人身受けがたし 今すでに受く | 岡本一志 幸せのタネまき日記

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こんばんはオカモンです。
今日は出張で東京をはなれて北陸にいます。

とても涼しいですね。カラッとしています。

今が一番、いい時期ではないでしょうか。


【人身受けがたし今すでに受く】


今日は、少し、流れを変えて、仏教に盲亀浮木のたとえという話があります。


お釈迦様が、阿難というお弟子に、「お前は人間に生まれたことをどれぐらい喜んでいるか?」

とたずねられました。「どれぐらいといいましても・・」と答えに困っていると

お釈迦様は、それでは人間に生まれるということがどれほど有り難いものなのかたとえで教えよう。


と盲亀浮木のたとえを説かれています。


「はてしのない海の底に目の見えない亀がいる、その盲亀が100年に1度、海の上に顔を出すのだ。

海の上には丸太棒が一本浮いている。その丸太の真ん中には穴があいている。風のまにまに西へ東へ南へ北

へと漂っているのだ」

「阿難よ、100年に一度、顔を出す、その亀が丸太棒の真ん中にひょいっと首を入れることがあると思うか?」


「御釈迦様!!そんなことはとても考えられません!」


「では、ゼッタイないと言い切れるか?」


「・・・それは何億年×何億年、何兆年×何兆年のあいだにはひょっと頭を入れることがあるかもしれませんがな

いといっていいぐらい

難しいことです」


「阿難よ、私たちが人間に生まれるということは、この亀が丸太棒に首をいれるよりも難しいことなんだ、有難いこ

となんだよ」

と言われています。有り難いということはあることが難しいということでめったにないことです。

人間に生まれたことはそれほど、有り難いこと、喜ぶべきことなのだよ、といわれたお釈迦様のお言葉です。


ところが私たちは人間に生まれてきたことを喜んでいるでしょうか?

喜んでいるどころか、こんなに苦しいのなら死んだほうがましと、恨んでいる人さえあります。


それは、人生の目的を知らないからです。

人生の目的を知り、それを果たしたときに初めて、

人間に生まれてよかった、生きてきてよかったという生命の大歓喜の身になれるのです。


その喜びを「人身受けがたし今すでに受く」と言われています。




【次回の勉強会】


6月26日(木)18:30から20:30

東大駒場キャンパス 5号館教室です。

学生さんでなくても誰でも参加できます。

希望者はメール下さい。