とめてほしかった | 岡本一志 幸せのタネまき日記

岡本一志 幸せのタネまき日記

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著書 岡本一志 のブログです

★昨日のつづきです

加藤容疑者が、警察の調べに対して「通報されるなどして、誰かに止めてほしかった、亡くなった7人に対して申し訳ない」ともいっているそうです。
決して許すことのできない犯罪ですが、犯人自身も誰にも分かってもらえない孤独に苦しんでいたと思います。

「僕の存在は透明だ」といった神戸の連続殺人事件を思い出します。

誰でも生まれてきたからには、「生きるって素晴らしい」と心から充実した人生を送りたいと思います。

ところが、そう願いながらも、「どうしても生きる意味が分からない」「人生が無意味としか思えない」そんな

むなしさに多くの人は苦しんでいるのではないでしょうか。

今回の犯罪は、そういう生きづらさに対する、犯人の魂の叫びともいえるとおもいます。

ノーベル文学賞受賞者・・アルベール・カミュー(セインカミューのおじさん)は「人間の奥底には生きる意味を”死にもの狂い”
で知りたがる願望が、激しく鳴り響いている
」といいました。

社会の制度、教育のあり方、いろんな問題が取り上げられますが、それらは二次的な問題で、「人生に生きる意味があるのかないのか」ここに問題が集約されます。



★ちょっといいはなし★

明日は父の日ですが・・


水戸黄門として有名な徳川光圀は、

自分の誕生日には、最も粗末な食事をしたという。

吉川英治は、次のように描いている。

(今日は、わしの誕生日ではなかったか)

(さようにございまする)

(-だのに、なぜこのような馳走をたくさんに、

 膳部へならべてくるか)

(そのためわざわざ、那珂港の生きた鯛をえらび、

 お赤飯をさしあげるのでございますが)

(また失念いたしたの。光圀の誕生祝いには、

 かならず白粥と梅干ひとつでよいというてあるに)

(あ。左様でございました)

家臣はあわてて、膳部を退げた。

年に一度のことなので、膳部の係りも、

初めのうちは、よくこんな失態を演じたが、

後々には、光圀の親思いが、

家臣の個々の心にも沁み入って、決して忘れなくなった。

生母のひさ子が世を去ってから後である。

光圀は、自分の誕生日には、かならず梅干と粥ですましていた。

(産褥の母のすがたを忘れぬが何よりの誕生日-)

と、侍臣へ云った。

(『水戸黄門-梅里先生行状記-』)

この心を、もう少し掘り下げてみよう。

「なぜ、誕生日には粗末な食事なのですか」

と、光圀に尋ねると、こう答えるに違いない。

「なるほど、誕生日は、この世に生まれた祝うべき日であるかもしれない。

 しかし、この日こそ、自分が亡き母上を最も苦しめた日なのだ。

 それを思うと、珍味ずくめでお祝いなどする気にはどうしてもなれぬ。

 母上を思い、母上のご苦労を思えば、

 自分はせめて一年中でこの日だけでも、

 粗末な料理で母上のご恩を感謝してみたい」

中国の軍人・蒋介石にも、同じような話が伝わっている。

彼は母の死後、自分の誕生日には、朝食を取ろうとしなかった。

「子の誕生日は、母親にとっては、生みの苦しみを体験した日でもある。

 子としては、ただ、誕生を喜ぶだけでなく、

 母の苦痛をもしのばなくてはならない。

 そのために食を断ち、母のことを思っているのだ」

と周りの人に語っていたという。

古歌にも詠まれている。

「諸人よ 思い知れかし 己が身の 誕生の日は 母苦難の日」