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Oa's Report

(1)2013年4月「東北ひとめぐり」ツアー
(2)2012年2月「兄弟仁義Special「★シュウ・メイ・シキ★」@ TAKE OFF 7(東京渋谷)」ライブオフ by Oa

 4/27夜は、気仙沼プラザホテルに一泊。塩分のある温泉と、朝から海の幸がたっぷりいただける朝食バイキングが印象的。
 明けて28日朝、出立前に、堺支配人の話を伺う。
 堺支配人は、気仙沼市の目の前に浮かぶ気仙沼大島の出身、震災当日は、休暇で大島にいた。
 大島はこれまで、天然の防波堤として、外洋の波をさえぎっていた。この島のおかげで、気仙沼は、台風などの際に船が避難してくる良港だった。
 東日本大震災の巨大津波は、その大島をつっきって、気仙沼を襲った。島のやや低くなった箇所で、津波は島を2つに分断したのだ。(→河北新報・図あり
 気仙沼市のガソリンスタンドや危険物タンクが津波で破壊され、流出した燃料に車などから引火、津波火災が起きた。この火が大島の亀山に燃え移り、山火事となった。
 津波の時刻、多くの住民は、気仙沼市へ仕事に出ていた。島に残っていたのは、老人と子供が多かった。
 堺支配人は、消防団の一員。奔走したが、山火事が大規模すぎて、消し止めることはできなかった。気仙沼の火事、津波被害者の救助と手も機材も足りない。ヘリの散水はなかなか来ない。(メモとれておらず、ウェブで確認:東京消防庁のヘリコプターは14日は風で現場に近づけず、15日に散水開始)。中学生まで含めた住民の手も借りて、可燃物のない防火帯を作り、火事の延焼を防ぐ努力をした。最終的に消火に至ったのは17日だった。
 村は停電の上、海底にあった本土からの上水道のパイプが、津波で破壊されて、水道も出ない。井戸は濁り、濾過してもなお臭うプールの水を飲料にしたという。
 という凄まじい経験を話してくださる間、ホテルの支配人らしい、穏やかな語り口で、かえって溜息が漏れた。

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△ホテルの前の桜の木。東京ではすっかり散った桜が、気仙沼ではまだあちこちで咲いていた。

 今回のツアーとは無関係の方だが、「気仙沼プラザホテル」を検索していて見つけた藤田八束さんのブログ記事。堺支配人の顔写真があったので、紹介。
http://sakana114.exblog.jp/18057405
 そして、上記のブログの2011/3/11の記事。地震後、津波が到達する直前、これから何が起こるか判らない時点で撮影した気仙沼の写真が掲載されている。……この先については、ぜひ記事を読んでほしい。
http://sakana114.exblog.jp/13188548/

[5/8修正]堺支配人のお名前を誤記しておりました、訂正しました。大変失礼いたしました。
ご指摘ありがとうございました。

追記:気仙沼プラザホテルサイトにある「語り部」の項を引用させていただきます。詳しくは、http://www.pkanyo.jp/を。
ご希望があればDVDや写真集を交えながら、震災当時の体験談や生活状況などを語り部としてお話させていただきます。