監査哲学を考えるようになってからというもの、駆け出しの頃のように間違い探しに躍起になるということはなくなりました。監査のルーツは論理であり、誤りがあろうがなかろうがソースをたどってエビデンスを用いて証明していくのが仕事だと気づいたからです。
センスや勘はここぞというときに切り札になるものですが、直感さえサポートがないと誰にも理解されません。
その辺今更ながら気付きました。主観を客観的なエビデンスでサポートできたとき、センスは本物と周知されるようになります。しかし、
簡単そうに見えてかつリスクの低そうに感じるわりにいざ論理的に立証しようとすると困難なことは多いものです。
Android携帯からの投稿
センスや勘はここぞというときに切り札になるものですが、直感さえサポートがないと誰にも理解されません。
その辺今更ながら気付きました。主観を客観的なエビデンスでサポートできたとき、センスは本物と周知されるようになります。しかし、
簡単そうに見えてかつリスクの低そうに感じるわりにいざ論理的に立証しようとすると困難なことは多いものです。
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