正直なところ危機感を感じるほど行き詰まりを感じています。なんて自分は無力なのかとむなしくなってきます。

 無事なときの無双感、有事のときには頭真っ白。事例のない有事のときこそ腕の見せ場で燃えないといかんのに今日も終始なにもできずマネージャー任せ。

 弱すぎる。

 経験あることなら有事でもなんとかなりますが、経験ないことに応用できずに専門家を語るなどあり得ない話です。自分はショボいという現実です。マネージャーにはまったく勝てていない。

 そして、もう一つショックが。私には憧れの部門があるのですが、とおりすがりにその部門の人がいて、クライアント相手にすさまじいパフォーマンスを見せていたことです。結構若そうなのにすさまじいオーラを放っていて、到底今の私では太刀打ちできない空気だったのです。

 ちょっと情けないほど自分はショボいと感じてしまった一日でした。上には上がいるものですが、強敵を前にも揺るがぬ確かな強さがなければ、この先は滅びるのみです。
 
 しかし私の思う猛者とは能力が高いやつや処理能力の高いやつのことではなくて自分の仕事により熱狂しているやつのこと。自分の仕事にとても胸を張れないことに私は危機感を感じたのです。

 ただ弱い自分をゆっくり憂いている時間などありません。人生は限られているわけですから。
 ラインのアカウントでするただのゲームです。正直細かいルールもよくわからんし走りながらコイン集めて障害物を踏んで、穴をかわしてとテレビゲームで誰もが一度はやったことのある単純ゲームです。

 これに限らずですがちょっとした不快感がポイントなんだと思います。レベルをあげるとずいぶん操作が簡単になることを知るとちょっとくらい金払ってもいいかと思ったり、プレミア版使えば容量大きくなったり、操作が早くなったり。

 ほんの少しの投資で今の不快を良くできる。そんなものが利益に繋がっていると思えてなりません。エバーノートもそう、アメーバだってそう。無料のちょっとした不快感のそばにある有料サービス。

 これがネットビジネスの基本の一つなのだろうかなんてラインのゲーム一つで思ってしまう辺り、会計士に浸かってきたなと思うわけです。

Android携帯からの投稿
 汚い話であるが、トイレの蓋である。私は必ず閉める。ニューヨークでホームステイしていたとき、受け入れてくれたホストにしつけされて以来そうである。

 確実に閉めている。しかし驚くべくは最近私の使うトイレの蓋が閉まっていることである。昔はそんなことなかったはず。試しに普段いかないフロアのトイレに行くとやはり蓋は空いている。

 特にこの半年くらい徹底して同じトイレの蓋を閉め続けてきた。この影響がないとは思えないのである。きっとずるやセコやワルが伝染するのと同様に良き習慣も伝染するのである。

 人は思っている以上に周りの影響を受けやすい良くも悪くも。そんなことが考えられる瞬間であった。行動を伝染させることこそ統制環境を浸透させるヒントなのである。
 メールを開けるとブラックで有名な監査部門所属の同士からメールが。ずいぶん前にクライアントのためにとあるアンケートを依頼していたのですが、1ヶ月たった今回答が。

 いわくメールのコントロールもできんほど忙しかったそうで。そして中身には悲痛な叫び。

 周りがまた次々やめていく。このままじゃやばい。みたいな文面で鬼気迫る感じが見てとれて正直ビビりました。
 絶対自分も逃げると最後に決意表明がなされていました。確かに今年は魔がいた繁忙期だった気がします。増収増益の会社が多く株価もイケイケなのでネガティブな諸論点が出ず楽なはずだったのですが。そんなに甘くはなかった。

 きっと昔に戻ったということなのでしょう。
 ただ多分昔の方が給料はよくて期中はもう少し休めたはず。最近日増しに規制も厳しくなってきていますしサラリーマンみたいになってきたなと思うのです。
 私は一年前くらいから近所にすんでいる自称アメリカ人を雇って1時間3000円で英語の授業を受けています。アポは気分の乗ったときにメールする程度で、定期的にしているわけではないのですが、あまりに日常の一環に溶け込んでいるので、気付けば平時も自然に英語で話したり適当に英語でメールしたりできるようになってきました。
 普段は日本のサラリーマン相手に学校で授業していて、まったく日本語しゃべれないのですが、日本人慣れしている点、初級者の私には助かります。

 さて、その中でよく単語の意味の捉え方について議論するのですが、Sensitive と Emotional は似たような意味だよといってた点、感銘を受けました。Sensitiveの方が神経質な弱そうなイメージがあってEmotionalは燃え盛る恋のようなあれでは、と聞くとそんなことを言っているのではなく、両者とも強い気持ちという意味では同じじゃない、と言われました。

 なるほど確かにそうです。強い気持ちをSensitiveに表現するかEmotionalに表現するか、言われてみると些細なことです。何気に微妙な言葉の捉え方や考え方の日米差を知る機会として興味深いのが1年続いた理由と思われます。言葉に対して英語の方が寛大な気がする。