続きのようでもありますが、危機感です。
 監査業務はいつしか専門職から工数が分解されていき、多能工の様相を呈しています。しかしそれは個の力によるというよりも仕組みの力と言えるのでしょう。

 そのため全精力をかけた個の凌ぎ合いのような緊迫感はほとんどない環境である点が物足りないところと言えます。

 会計士MJは20代であり、まだ若すぎるし未熟です。
 そのためもっとサッカーでいうとブラジルに負けるような感覚を今のうちに味わって己の無力さを知る必要があると考えています。まだまだのびしろや余力があるのは良くない。ついてなかったとか言い訳できない敗北を経験しなければなりません。主体的にやったのに結果がでなかったり期待に応えられなかったというような力不足を感じる経験のほしいところです。

 マニュアルに支配されている何となくな仕事ばかりしていてはいけない。このような作業は失敗しても言い訳できるし、あまり主体的であることが求められていないからです。個の力が試される場面というのを多く経験してこそ監査法人に入った甲斐があるというものです。

 専門的なスキルや個の強さは言い訳できない状況で猛者に相対してこそ得られるものと確信しています。どれだけの時間緊迫感をもって今年一年を過ごせるかが勝負なのです。

 今年は幸いにもそんな場面が多くなることが予想されるので、しっかりやりきりたいですね。
 時間ができてふと事務所内の様子を俯瞰してしまうことがあります。巨大上場企業の監査チームほど花形の空気が漂い、誰しも監査スタッフなら一度は関わってみたいと憧れるというのが私の新人の頃の様子でした。腐れ縁でそのようなジョブに関わるようになり「あなたはついている」などとパートナーやマネージャーから言われたのを懐かしく思います。

 それが五年経った今、失礼ながら花形は想像していたものとは違い、ただの役所のように感じてしまいます。この原因のひとつにチェックリストやマニュアルがここ数年で密かにしかし飛躍的に具体的かつ詳細になって、場合によっては現場監督者や主任の理解を超えたものになっているため受け身な工数が増えていることが挙げられるように思います。
 巨大企業ほどリスクの高さゆえより精緻に準拠する必要がありますので、この傾向が顕著だと思います。ポイントはときに理解をこえていてマニュアル類に業務を支配されていることです。

 業務の最中に気づいた課題やリスクの高い事項に対してアプローチするために主体的に工数を増やしたり手続きをカスタマイズするのではなく、「これいるの?」との合言葉のもと手続きが追加される現状を悲観しています。

 もはや個の経験やスキル、知識など必要とされておらず、慎重なマニュアル類の理解、従順な対応をどれだけ高い制度でできるかというサラリーマン力が求められているとも言えます。そして監査リスクアプローチに自治権はほぼありません。

 会社のことや業務のことわかっていないけれど、マネージャー業がうまい、という評を聞いたことがあります。ご自身の役割をよくわかっている方なのでしょう。実際管理者は必ずしも現場の実態を適切に把握しているとは限らないのが現状なのです。

 この辺、花形業務の上位者は皆漫画ワンピースでいうところの覇気を使って現場を把握する力に長けていると思っていた自分の期待違いでした。

 監査現場にたまに颯爽と現れて、数字を見た瞬間「これはおかしいやろ。担当者読んでこい」とか言って流れを変えるマネージャーやパートナー。資料の整合性パズルにはまるスタッフに一言助言して解決させる類推力の極めて高い主任。そんな渋い会計士になりたいと同志と話していましたが、残念ながらモデルがあまりいません。なりたい自分と目上の上司が違うなら、ボーッと言うことを聞いているだけではダメですし真似しているだけではダメなのです。

 その辺再確認したと共にこのままでは沈没してしまうとの危機感を感じています。
 本日はエステー鈴木社長の講演を聞いておりました。

 このところ本を通じて経営者の声を聞くというマイブームが続いており、「社長は少しバカがいい」という本の影響を受け講演を聞いてみたくなりました。生で聞くとやはり響きます。

 空気を変えよう。
 勉強は体に悪い。

 社長は勉強する人を使う。あるいは従業員に勉強させる。空気を変えるのは文字通り臭いを消したり送り込んだりするだけでなく、発言やオーラで場の空気を変えることも含まれている。空気を停滞させないように変え続けるのも社長。

 そんなメッセージを受けとりました。実行を何らかの形で支援するのだとしても、勉強してあんな危険やこんな危険にばかり注目してしまうだけの会計士でなく、勉強はしても空気を変える会計士を目指していきたいですね。


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http://www.fsa.go.jp/singi/singi_kigyou/siryou/soukai/20130619.html

ピュアなIFRSのほかに、我が国においても、「あるべきIFRS」あるいは「我が国に適したIFRS」といった観点から、個別基準を一つ一つ検討し、必要があれば一部基準を削除又は修正して採択するエンドースメントの仕組みを設けることについては、IFRS任意適用企業数の増加を図る中、先般の世界金融危機のような非常時に我が国の事情に即した対応を採る道を残しておくことになるなど、我が国における柔軟な対応を確保する観点から有用であると考えられる

 日本はIFRSを導入するけれど、都合が悪くなったら会計基準を変えますということですか。建前としてIFRSを使っているけれど日本独自に修正する可能性を残したいということでしょう。

 しかし今までIFRSに近づけてきた日本基準の意義はどうなるのでしょうか?また我が国に適したというところが具体的に何のことか示せないと世界に対して会計基準に関する有用な発言などできないでしょうに。

 経済環境の変化は数字に現れるべきで基準を変えて対応するという考え方事態間違えていると思います。会計基準が追加されたり変更されたりするのはビジネスモデルが変わったときや生まれたときだと思います。私にはよくわかりません。

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 幸運にも本日近場の出勤でサッカーをフルで見てから出勤できました。本日のイタリア戦は前回とうって変わって接戦でした。

 前回と決定的に違ったのはこいつに負けるかというマインドだったようにおもいます。ブラジルさんすんませんという感じで固くなっていたのがイタリアに負けるかという気持ちがあったように感じました。それでもイタリアには勝って当然とまで思う勝者のマインドの欠落が敗北に繋がったのではと妄想します。

 格上さえも上から目線で見ることができれば本当に結果がついてくることが多いと思いますしそれこそ人間の神秘と思えてなりません。簡単のできそうで意外に難しいマインドセットというやつですね。

 しかしなかなか実績のないなかで勝者のマインドを持とうにも虚勢になることがしばしばと思います。そういう意味では本当に今日の敗けは残念だったなあと思います。

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