昨日の事。

ブログで私が仙台に居る事を知ったブロ友の「あこさん」から

連絡を頂き、有り難い事にdoogwoodさんまで車で送って頂きました。

おかげさまでティアラ達に重い果物バナナみかんや人参を沢山

買って持って行く事が出来ましたし、長野で使う雪が入らない丈の

長靴(土曜日は長?靴の中まで雪が入りビチャビチャ)も買う事が

出来て大変助かりました。

そして美味しい珈琲屋さんにも立ち寄って下さり、美味しい珈琲と

ケーキのセットにホッとする一時をプレゼントして頂き、一時疲れを

忘れる事が出来ました。

あこさんも離れ離れに暮らす三毛猫のみーちゃんに会いに

関東の里親さんの所へ新年に行かれるとの事でした。

みーちゃん捜索については2011年11月18日と12月22日の

ブログに載ってますのでご興味の有る方は読んで下さい。

みーちゃんは里親さんが飾るお花に花瓶を倒さんばかりに

スリスリするとか…小高のお家ではお庭は花で一杯で

お家の中にも常時お花が絶える事無く飾ってあったそうです。

里親さんがあまりにみーちゃんが猫なのに花に執着するのに

気付き連絡が来て、小高でのみーちゃんの生活環境が

判ったそうです。

2年9ヶ月たってもみーちゃんの頭の中にはお花が一杯の

小高のお家が有るんだなぁ~と感無量の想いと共に

故郷を離れて暮らす被災動物全てを可哀想に思いました。

勿論埼玉に預けたリンちゃんも泣き顔が脳裏に浮かんでは

消える日々です。

ロンちゃんはもとよりグルメやティアラ、大阪に貰われて行った

ティアラの恋人てんだって口に出して言葉で人間に伝える事は

出来ないけれど、産まれ育って自由奔放に長年暮らした

小高の山と馬房が恋しいのだろうな…と心の中で涙を

新たにしました。

ロンちゃんを連れて帰りたい!!でも住む事も出来ない地域です。

生活水の検査だって未だされてもいません。

28年を帰還のメドにしているようですが、馬達も私も

ますます歳を取り、ますます帰還は難しくなります。

何度も何度も思う事‥せめて10歳若かったらしょぼん

人生の晩年に試練を受けるのは若い時の数十倍も辛く大変です。

私を精神的に支えている基盤は育ててくれた両親特に母と祖母の

人生経験です。

関東大震災の火の海を命からがら生き延びたと思えば

幼子4人連れての第2次世界大戦で空襲に会い、

またまた爆弾の雨をくぐり抜け命からがら幼子の手を引いての

疎開生活でした。

食べる物も無く酷くひもじかったのをうっすらと記憶しています。

都会人が初めて生きる為に慣れない山畑の開墾までして

育ててくれました。

末っ子で幼い私は炉端に火をおこす為の杉の葉集め、

井戸からの水汲み、貴重な蛋白源としてのイナゴ取りなど

しながら男の子とビー玉やメンコ遊びで1日が暮れていました。

私は母の背中に負ぶわれた事は有りません。

勿論ベビーカーなど乗った事も有りません。

七五三の晴れ着を着た事も雛壇を飾ってもらった事も

有りません。何時も胸の前にくくりつけてあったそうです。

背中は生活物資を運ぶ為の場所でした。

母の背中は食べ物だけで無く、薪や配給の硝子板を数キロも

離れた町から雪の中運んで来る大事な場所でした。

あの時代の母と祖母の苦労を思ったら今の私の苦労など

砂粒程の物でしか有りません。

混乱の時代に五体満足に育てて貰ったのに、

人生にギブアップしては母と祖母に対して顔向けできず

恥ずかしい!!

最も親達は子供らが平穏で豊かな人生を送る事を

念じて頑張ったのでしょうが‥。


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