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(私が一番保護に思い入れの有る白犬の事です。長いです)


3月の原発事故の後、無人の里に戻っても一週間で馬糧も食料も尽き、途方にくれていました。


そんな時、馬の友人が人馬共に命をつなぐ2トンもの良質な馬糧・食料・ガソリン・大量の水…


そして大量の国産ペットフードを放射能をものともせず群馬から避難区域までトラック搬送までして


届けてくれました。


当時のガソリン事情や原発事情を考えてみれば、常人に出来る行為では有りません!!


命に受けた恩を返す為、即座に3~40キロ先の気候の厳しい山間の犬猫達に給餌を始めました。


当時買える燃料の半分を毎日使い、買えない時は残量と闘いながら必死で情報を集め、点在する


山間の町から町へさまよいました。


未だ雪が降り、リードが絡まり雪に埋もれて半狂乱になっている犬達も居ましたし、たとえ餌を与えられて


いても雪が降り積もり、1日中ガチガチに凍結し解けることの無い餌。


水は厚い氷となって飲む事も出来ない…


3月の山間の犬猫達はそんな状態でした。


今から思えば1番放射線量の高い国道114号線を毎日給餌に通っていました。


犬を捜すのに口笛を吹けないからとマスクもせず…。


そんな中に8頭以上の犬達が集まっている場所が浪江町小塚地区に有りました。


2週間も通った給餌場から、私が幾つかの団体から選別し依頼した愛護団体の到着前に、若く綺麗な


柴犬達から姿が消えていき、大きな老犬と皮膚病が酷く顔が血だらけだった(給餌中に改善)雑種の


白犬が残されました。


老犬を先に保護したら(この犬も早い段階で飼い主さんに引き取られました)、翌日は警戒したのか


白犬は現れませんでした。


弱っている病気の犬なのに保護の順番を後回しにした為だと激しく後悔し、初めて大泣きしたのを


覚えています。


翌日も諦めきれず、ボランティアの方と現地へ向かうと左前脚を骨折した状態で1頭だけで待っていて


くれました。


驚喜したと同時に、僅か1日の間に彼女に何が有ったのかと保護が遅れた事を悔やみました。


馬屋に連れ帰ると脚の痛みも忘れたように、腹を見せて甘える姿に自分が飼うと心に決めましたが、


馬屋が警戒区域となり住居を失い、那須へ一緒に移動する計画も崩れ彼女との約束は果たせず、


獣医さんに預かって頂いていました。


小塚地区の町議さんに保護する旨を伝えておきましたら、なんと4ヶ月も経ってから避難先の飼い主さん


が町議さんを通じ探してくれました!!


避難した人々に少しだけ気持ちの余裕が生まれ、犬猫達を探し始めているようです。


各地で保護されている犬猫達が、飼い主さんとの糸が再びつながるように心から願っています。


今後の生活の場が定まらず、被災した犬1頭猫1匹も引き取って里親になる事も出来ないのが


悔しいです。


彼女の生還と治療、幸せ探しに関わって下さった多くの個人ボランティアの方々、愛護団体の方々、


獣医師の方々に感謝申し上げます。


たった1頭の犬の生還にも多くの方々の愛情が詰まっています。


白チャンが幸せに長生きしてくれる事を願ってます。