現生人類の出アフリカ 1 | 鬼川の日誌

現生人類の出アフリカ 1

    ホモ・サピエンスの出アフリカ


  いわゆるミトコンドリアイブ説が1987年に唱えられてから、

 DNAの分析は飛躍的に進み、現生人類の生物学的な歴史の理解は驚異

 的に進歩した。

  今ではミトコンドリアだけでなく男系の遺伝子であるY染色体の分析

 もミトコンドリアの分析を補う形で進められている。そちらからもほぼ

 同じ進化の様子が解き明かされて来ている。

  100万年以上前にアフリカから世界に拡散したホモ・エレクトスの

 子孫が各地の「人種」を形作ったといういわゆる「多地域進化説」は

 ほぼ否定されている。

  * ホモ・サピエンス一種

  いわゆるネグロイド、モンゴロイド、コーカソイドなどという概念は

 これを人種とすることは出来ない。
  生物学的には今の人類はただの一種-ホモ・サピ エンス-だけであり、

 違いは亜種と位置づけられる。

 

  しかし 地質学的にはほんの一瞬といわれるが10万年という時が

 いかに膨大な時であることか。

  かくも多 様な地域性、見た目の差異の豊富さを生み出したのは驚く

 べき ことに違いない。

  今の時代はこの差異、多様性を肯定的に評価するだけの度量に欠けて

 おり、いわゆる「人種差別」がなくならない。


  20万年前頃にアフリカで進化した現生人類ホモ・サピエンスが
 アフリカだけでなく全世界に拡散し、現生人類すべての祖先になったと

 いうのが現在の定説である。
  つまりそれ以外の人類は絶滅したのである。

  ここでは『人類の足跡10万年全史』と題する
 スティーブン・オッペンハイマーの説を中心に紹介する。
 現生人類の出アフリカが「南ルート経由・一回限り」だったというこの
 説はまだ研究者全ての同意が得られているわけではないらしい。
 
  * 氷河周期とホモ・サピエンス以前

  ところで人類の進化そのものもまた出アフリカや絶滅も地球の気候

 変動、氷期、間氷期のサイクルを繰り返す氷河周期に決定的に左右され

 てきたことが明らかになりつつある。

  なによりも厳しい気候変化は広範囲にわたる人類を含む動物類の絶滅

 をもたらした。その一方で新しい人類の登場は厳しい氷河作用とアフ

 リカのサバンナの拡大と同時に起こったらしいのだ。

  400~300万年前に生きていた歩くチンパンジーといっていい
 アウストラロピテクス・アファレンシスやアフリカヌスたちに続いて

 ( 250万年前頃から始まった寒冷化から世界は湿潤、温暖だった
 鮮新世から氷河時代の更新世へと移行した。)

  更新世の不安定で寒冷で乾燥した時代になると石器と大きな脳を持つ

 最初の人類(ホモ属)がアフリカのサバンナに登場した。

  ホモ・エルガステル195万年前にアフリカを離れた最初の人類で、

 後にアジアのホモ・エレクトスになった。
 彼らは間氷期に気候が温暖化するとすぐにアフリカを出て中東、ロシア、

 インド、極東、東南アジアに広がった。
  
彼らは100万年の間地球を支配した。

  またおよそ100万年前に連続した厳しい氷期にはアシュール文化

 して知られるより洗練された石器を使用する新しいヒトが出現した。
  この新しい人類はアフリカを出てヨーロッパへ行き50万年前には
 中国にも到達したらしい。(ホモ・ハイデルベルゲンシス等)

  35万年前に再び過酷な氷期がやってきて30万年前頃にまた別の

 人類がアフリカの舞台に登場する。
  彼らは旧ホモ・サピエンスとかホモ・ヘルメイと呼ばれる。
 彼らも温暖期にアフリカを出て25万年前にユーラシア一帯に広がった。
 
  彼らがヨーロッパとアジアのホモ・ネアンデルターレンシスおよび
 同時代のインドと中国の親戚を生み出した可能性がある。
  
  ( この辺の諸人類は次々と新たに発掘されたり研究者によって
   整理の仕方が違っていたりする。 )

  * ホモ・サピエンスの出アフリカ

  私たちの種ホモ・サピエンスは17万年前もっとも厳しい氷期に総

 人口が1万にまで落ち込んで人類が絶滅しかけた後に誕生した。
  (17年前とより限定した。ボトルネックがあったという説。)
 
  ホモ・サピエンスは12万年前頃の間氷期にアフリカからレバント

 地方に出て行ったが遺伝子の証拠は彼らの子孫がその後訪れた氷期に

 死滅してしまったことを示している。
 (レバント地方とは現代のシリア、レバノン、イスラエル、パレスチナ
 ヨルダンなど地中海に面した中東諸国)

  およそ8~7万年前についに現生人類がアフリカを出て世界に広がった

 とき、ユーラシアにはまだいくつかのほかの種の人類が住んでいた。

  ヨーロッパにはネアンデルタール人、おそらく東南アジアには
 ホモ・エレクトス。彼らは少なくとも3万年前まで生存していた。

  * 第一回目の出アフリカの失敗


  霊長類の親戚とともに人類はアフリカを出て行ったがそのタイミング

 と道筋は常に気候の変動によって決められた。
  アフリカから出るには北と南の二つのルートがあった。
 ある時期にどちらのルートが開いているかは気候によって決まった。

  アフリカとユーラシア大陸を繋ぐ北の通路はシナイ半島であるが普段

 は極度に乾燥した砂漠で門は閉ざされている。しかし太陽の熱が極地を

 溶かしそれに続いて地球が暖かく湿潤になるおよそ10万年ごとにおこ

 る温暖期には、サハラ、シナイの砂漠に湖が出来緑が生い茂り地質年代

 の春がくる。

  しかしこの期間はごく短い。現生人類はこのようなパラダイスを
 17万年前に現れてから二度しか経験していない。

  イーミアン間氷期として知られる最初の温暖期は現生人類 が生まれて

 からすぐの12万5千年前に始まった。早期の現生人類がサハラ以南

 から北アフリカやレバント地方へ非常に早い段階で旅したことがわかる

 のは彼らの骨がそのような場所で見つかるからだ。
 
  しかしながらこの早期の軌跡は9万年前ごろにレバント地方で途絶え

 ている。9万年前に短いが壊滅的な地球の氷結と乾燥化がありそれが
 レバント地方全体を極砂漠に変えたことが分かっている。
 
  この地方に住み着いたのは北方から氷河が前進してきたために南の

 地中海地方に追われてきた私たちのいとこのネアンデルタール人だった。

  その後5万年から4万5千年前にクロマニヨン人が出現
 ネアンデルタール人から覇権を奪うまで現生人類はレバント地方
 あるいはヨーロッパにいたという物的証拠は存在しない。

  つまりこの北ルートからの現生人類の第一回目の出アフリカは失敗

 したのである。

 

  (続)

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