ウイルス再考
ウイルスとは何なのか
25年12月の時点、インフルエンザが1ヶ月以上も時期を早めて流行
し始め(サブクレードKとかいう新変異株)今やピークかという勢い。
コロナはすっかりその他の感染症並みに社会に定着したかのように
時折顔を出してくるが以前のような猛威はない。
(ウイルスは人間社会に定着するように振る舞うものらしい。)
*以下コロナウイルスが猛威を振るっていた、20年5月に記録した
ものです。再録補筆します。
ところで冷静に振り返ってみると我が日本ではコロナ肺炎ではなく、
普通の肺炎で亡くなる人は年寄りに多い誤嚥性肺炎も含めると、ほぼ
毎年死因の第三位になり、13万人くらいになるそうだ。世界では毎年
数億人が発症し、約400万人が死亡しているのだとか。
日本でいえば肺炎で月にほぼ1万人くらいは亡くなっているわけで
ある。医療の体制が整っていれば私たちはこれくらいの人たちを粛々
と見送って平穏な日常を送っていることになる。
(死因上位を含む、全死亡数なら年で百数十万人くらい、月で十万人
くらいとなる。総人口一億数千万人が生活するという事がいかに凄い
かという事である。ー出生数はこれを遥かに下回る。
*今現在いよいよ日本は多死、人口減少社会。火葬場が足りない
だの、火葬料金がやたら高いだのよく話題となる。)
だから問題はコロナ肺炎の死者の数ではなく、新たな感染症の場合
薬がなくもちろんワクチンはなく、感染者の急増による医療崩壊に
よって助かるはずの命が奪われることであり、それを救おうとする
医療従事者が危機にさらされることであり、日常は縁遠いはずの病が
災厄となって身近に迫ってくる恐怖にある。
行政がオリンピックにかこつけて対応が遅れたという意味では明ら
かな人災であるが自然災害と似たところがある。
(大概の自然災害もよく見れば人災であり、怠慢や悪意によって被害が
増幅される事が多い。)
またその恐怖がnet社会であるがために煽り立てられ、より一層増幅
されることによって、社会的な混乱がひどくなる現実にある。
必要以上に私たちは怯えさせられてきた。当たり前の日常を奪われ
てしまうことによって困窮し、命を落とした人は相当な数になったの
だろうが、それが明らかになることはない。
私たちが直面してきたのは新型コロナウイルスであるが、そもそも
ウイルスとは何なのか、医者でもない私たちが知っておくべきことを
少し勉強してみようと思う。
以下が覚書です。
* 野口英世とウイルス
私たちがありがたく使っていた1000円札には野口英世の顔が印刷
されている。(新札発行で徐々に目にしなくなるのはありがたい。)
一般の日本人にとっては野口は立志伝中の人、国民的ヒーローで
ある。しかし「彼の業績、すなわち梅毒、ポリオ、狂犬病、あるいは
黄熱病の研究成果は当時こそ称賛を受けたが、多くの結果は矛盾と
混乱に満ちたものだった。」
(野口がいたロックフェラー大学の広報誌、2004年)
「数々の病原体の正体を突き止めたという野口の主張のほとんどは、
今では間違ったものとして全く顧みられていない。」「彼の業績で今日
意味のあるものはほとんどない。」とまで言われているのだ。
野口が黄熱病に倒れたのは1928年であるが、彼が生涯をかけて
追った黄熱病も、狂犬病も、その病原体の正体はその当時の世界が
その存在を知らないウイルスだった。
「ウイルスを『見る』ことができるようになったのは、光学顕微鏡
よりも十倍から百倍もの倍率を実現する電子顕微鏡が開発された
1930年以降のことである。」
「野口は見えようもないものを」見たとしたのだ。
その研究は「単なる錯誤だったのか、あるいは故意に研究データ
を捏造したものなのか・・今となっては確かめるすべがない。」
野口を「結婚詐欺まがいの行為を繰り返し、許婚や彼の支援者を
裏切り続けた、ある意味での生活破綻者として」その破天荒な生身
の姿として描きなおした評伝が『遠き落日』(渡辺淳一、角川書店、
1979)である。
先の広報誌も「彼はむしろヘビイドリンカーおよびプレイボーイ
として評判だった」としている。
しかしこのような再評価は日本では無視され、いまだに神話化され
た偉人伝像が大手を振ってまかり通り、野口はとうとうお札の肖像画
にまで祭り上げられた。日本人の常識というのは外から見れば相当に
奇妙である。
(引用は『生物と無生物のあいだ』 福岡伸一 講談社現代新書。
以下もこの本を参考にウイルスについて少し勉強したい。)