自画像と個人(町田市の事件補足)
明治以降の錯覚
先に「町田市の事件と『世間』2」で
「明治10年にソサイェティーの訳語として『社会』という言葉が誕生し、
明治17年にはインディヴィデュアルの訳語として『個人』という言葉が
生まれた。」ことを紹介した。
だからそれまで日本には「個人」はいなかったわけだが、今の私達
にはなかなか理解しにくい。
このことがよく分かるのが、「自画像というジャンル」がなかったと
いうことだ。
明治20年設立された「東京美術学校(現東京芸術大学)で卒業制作
として自画像を描かせるようになった。それまで日本には、、、少数の
禅僧の場合以外日本の絵画の歴史には自画像はなかった、、、」
「その理由は、、、日本の個人は『世間』の中に埋没しており、自分
ひとりを描くという動機もなかったからなのである。」
「絵画の場合は欧米に手本があったから、日本でもやがて自画像を
書く人も増えてきた。」
「しかし人文社会科学の場合には個人という言葉が生まれただけで
大きな誤解が生じた。、、、日本でも西欧と同じ個人が言葉とともに生
まれたという錯覚が生じたのである。この錯覚は今も変わることなく
生き続けている。」
(『日本人の歴史意識』 阿部謹也)
*「individual」という言葉についてはこんな話もある。
「individual」は divide(分ける)」に由来する「dividual」に「in]
という否定の接頭辞がついた単語で、直訳すれば「不可分」つまり
「(もうこれ以上)分けられない」という意味です。
「分けられない」という否定系の言葉が「個人」という人間の単位
になっている、、、
( 「dividual」に「分人」という言葉を当てて、「対応する相手に
より変わる人格」があってもいいと提唱する作家 平野啓一郎 )
*「atom」
原子を表す「atom」という言葉も「tom」に「a」という否定語を
つけてやはりこれ以上分けられないという最小単位を示している
「tom」は「分節する」という意味でそれに「a」をつけることで
「分節できない」という意味になっている
(生物学者 福岡伸一)