誤解だらけの生態系
『自然はそんなにヤワじゃない』(新潮選書、花里孝之)
(11年 元記事、補筆)
* 生命の歴史
人間も一つの生物種である。今その生物種が、地球規模で環境を変え、
生態系構造を大きく変えている。そのため、この人間の働きが問題視され
ている。
しかしある生物種が地球規模で環境を変え、そのときにつくられていた
生態系を大きく変えたことは過去にもあった。
今から30億年ほど前、地球上には酸素がなく、生息していた生物は
嫌気性細菌だけだった。
最初の細胞が生まれてから1億年ほどたったところで、太陽から降り
注ぐエネルギーを利用して炭酸ガスと水から糖類をつくる光合成細菌や、
窒素を利用して栄養物を作る窒素固定細菌が生まれた。
*光合成細菌
このような細菌はシアノバクテリアとか藍色細菌(緑色細菌)と呼ば
れている。(藍藻類と呼ばれるもの。)
水(H*2+O)の水素を光合成に使うと糖類が出来るだけでなく、
酸素が廃棄物として放出され酸素が地球の大気圏を満たし始める。
6(CO*2) + 6(H*2O) + (太陽エネルギー)
炭酸ガス 水
→ (C*6 H*12 0*6) + 6(O*2)↑
ぶどう糖 酸素
その後20億年ほど前になって真核生物が現れ、活発に光合成が行わ
れるようになり、海の中に酸素が溢れた。これによって嫌気性細菌の
多くが絶滅した。これは大きな生態系の撹乱だったのである。
シアノバクテリアはそれまでの環境下で優占してきた生物たちにとって
は環境をめちゃくちゃにする極悪人であったが、それが新たな生物の
誕生を導いたのである。今の生物のほとんどすべては酸素を利用する
呼吸によってエネルギーを得ている。
ブドウ糖という分子の秩序を保つために使われているエネルギーが
ブドウ糖を分解すると放出される。放出されたエネルギーをATP
(アデ ノシン三リン酸)という分子の中に貯めることが出来る。
シアノバクテリアなどにより地球上に酸素が増えてくると、糖類の
分解に酸素を利用する細菌が出現した。このような細菌はブドウ糖を
炭酸ガスと水に完全に分解することが出来る。
このような反応は好気的な反応と呼ばれ一個のブドウ糖を分解すると
三十八個ものATPを得られる。これが呼吸である。
(私たちもこの反応によってエネルギーを得ている。)
(C*6 H*12 0*6) + 6(O*2)
→ 6(CO*2) + 6(H*2O) + (38ATP)
呼吸というのは光合成細菌が太陽光線のエネルギーを捕まえて糖類の
なかに蓄えたものを取り出し、ATPのなかに蓄えなおすことといえよう。
(私たちの細胞の中でこの反応を担っているのが、ミトコンドリアであり、
古に真核細胞に取り込まれた細菌であるといわれている。)
そんなわけでシアノバクテリアは今の地球上に暮らす生物にとっては
「神様」である。
( 参照『植物と動物の起源』『炭素と窒素』 )
* 恐竜の絶滅
地球の長い歴史の中では、人間の活動よりも短時間で地球環境を大き
く変え、生態系を大きく撹乱した事件があった。今から約6500万年
前の中生代白亜紀末の大隕石の衝突である。これによりそのとき地球を
優占していた恐竜をはじめ、多くの生物が絶滅することになった。
いわゆる白亜紀の絶滅。海洋プランク トン(単細胞の浮遊生物)の
ほとんどすべてが地質学的に言えば突然死に絶え、海産無脊椎動物の
ほぼ15%の科が滅びた。
(科が消滅するということはその中の種すべてが滅びたことを意味する。
その中にはアンモナイトをはじめそれまで優勢であった多く の動物群
が含まれる。)
陸上では1億年以上にもわたる挑戦者なき支配が終わり恐竜たちが
姿を消した。
ところがこれほど急激で大きな生態系の撹乱に直面しても、生き残った
ものがいた。
哺乳類は生き延びたのであり、恐竜の絶滅によりその後の進化が約束
された。
(羽毛を持つように進化した恐竜も生き残り、その後鳥類に進化を遂げた
といわれている。)
( 参照 『恐竜の絶滅』 )
このことを考えると、生物というものはとてもタフで打たれ強いもの
であることが分かる。
すると、今人類が強い力で地球環境を変えて生態系を大きく撹乱しても、
人類は滅びるかもしれないが、その急激に変化する環境を上手く生き抜き、
新たに作られた環境の中で繁栄する生物種が必ず出てくるに違いない。
* 生態系を考える基準
このように考えると生態系の良し悪しを考えるときには誰を中心にする
か、何を基準とするのかによって、評価が大きく変わることがわかる。
その基準を決めなければならないだろう。
「人間は他の生物種を人間と同等に扱わなければならない。そのため
すべての生物を大切に保護しなければならない」と考える人もいる。
しかしそれは不可能なのだ。
ある生物種が生きていくためには、必ず他の生物種に影響を与える
ことになる。例えば餌を食べることで、餌生物種の個体数を減らすよう
に圧力をかける。場合によってはその餌生物種を絶滅させてしまうかも
しれない。
われわれ人類も生きていくために他の多くの生物種に、好むと好ま
ざるとに関わらず、何らかの影響を与えているのである。われわれ人類
にとっては自分たちが生きていくために必要なものとして生態系を考え
る以外にないのである。
「地球生態系は人類が健全に生きていくためにある」「生態系は人類の
ため」なのである。言いかえれば人類が生きていける生態系を保全す
べきなのである。
ただし「人類のため」とはいえ生態系全体への影響を考慮せずに今の
人類の都合が良いように、やりたいことをやって良いというものでは
もちろんありえない。
なぜなら人類も他のあまたの生物種同様に、地球生態系の一員である
ことは紛れもない事実だからである。
地球生態系内の物質循環に組み込まれており、すべての生物たちの
活動によって作られているバランスの中でいきているのだ。そのため、
闇雲に生物群集を変えて変化させるとその影響は巡りめぐって、悪影響
として人類自身に返ってくるに違いない。
(この点で一番心配されるのが米国の強欲なアグリバイオ企業が作り
出す遺伝子組み換え作物などである。それが長期的にどのように生態系
に影響を与えるかは何も分かってはいないのである。)
生態系の保全は今の人類にとっての損得ではなく、後々の人類が生き
残るため、そのときでも人類が健やかに生きていけるということを基準
として考えるべきであろう。
生態系はある意味とても冷淡な存在なのかもしれない。現在の生態系
に適応できなくなった生物種を容赦なく切り捨てる。もちろん人類も例
外ではない。
したがってわれわれは、人類が地球生態系から見放されないように
努力しなければならない。人類が生態系に大きな影響を与え続けている
と、変化した生態系の中で生きていけなくなるだろう。
すなわち生態系に見放されるのである。
『地球には人間は要らない。だが、人間には地球が必要なのだ。』
『地球に優しい』などというキャッチフレーズは、実は上から目線の
甚だしい思い上がりを表現したものでしかない。