プラセボ効果 2
プラセボ効果 (続き)
** 語源 ”プラケボ”
1785年当時「オーストリア人医師フランツ・アントン・メスマー
の磁石と水には治癒効果があるという新説が、パリの街を催眠術に
かけていた(催眠術をかけるという意味の英単語mesmerizeはメスマー
の名前から来ている)。」
これに対しこの学説が信用できるものかどうか、当時パリにいた
ベンジャミン・フランクリンは、ヨーロッパの一線級の科学者たちと
ともに調査を依頼された。
「調査では、被験者の反応が実験結果に影響を与えないよう、初めて
目隠しが用いられた。これが盲検法の始まりだ。1785年委員会は
磁石と水の治療効果は『実際には人間の想像力が引き起こしたもので
ある』と調査報告書を提出した。」
フランクリンが”証拠に基づく医学”の父といわれる由縁である。
そして「面白いことに1785年は医学辞典にはじめてプラシーボ
の語が収録された年でもある。・・『ありふれた医療法もしくは薬剤』
として載っている。」
「プラシーボという語には、そもそも否定的な含みがある・・。
語源であるラテン語の”プラケボ”は『私は喜ばせる』を意味し、それ
が中世以来、不誠実、へつらい、暴利をむさぼるという方向に転用さ
れた。きっかけは、強欲な聖職者たちが葬儀の席で、”プラケボ・
ドミノ・イン・レギオーネ・ヴィヴォールム”(わたしは生者の国に
とどまり、神を喜ばせる)で始まる詩篇116章を祈りに使って、
会葬者に金銭を要求したことだ。」
(この転用が実現された中世という時代の民衆の精神のありようを
考えると実に面白い。知識に溢れたかにみえる今の社会の住人たち
より余程諧謔に富んでいたのではないだろうか?
なんとなく「坊主丸儲け」という言葉を思い出す。)
1811年の「『新医学辞典』のプラシーボの項には、『患者を癒
すことより、喜ばせることを目的とする薬剤の総称』とある。
プラシーボが、患者を喜ばせるだけでなく癒す役にも立つかもしれ
ないということは、当時の臨床医たちの頭をかすめもしなかったのだ。」
古代のギリシャ人たちは「治療はある種のまじないを用いて行われ
ねばならず、そのまじないとはすなわち、思いやりに満ちた言葉なの
だ。思いやりに満ちた言葉は節度を霊魂に吹き込み、節度は健康を、
頭だけでなく全身に速やかにいきわたらせる。」
(『カルミデス』プラトン)
といったが、「証拠にもとづく医学の時代に入ってほぼ250年に
なるが、呪文はいまだに効力がある。」
** プラシーボ効果の不思議、人体の不思議
それゆえに、また語源そのものが示すようにプラシーボは基本的に、
まやかしとなる可能性もはらむものであるを示している。
「臨床研究によると、モルヒネを投与していることを患者に告げた
上で投与すれば、モルヒネの使用量をー長期に渡ってー半分ですませる
ことができる。
また患者に鎮痛薬を注射すると告げて、生理食塩水を注射しても、
6~8mgのモルヒネを注射したのと同じ効果を得られる。」
’70年代にアメリカで最も売れた抗不安剤(鎮静剤)ジアゼバムは
「こっそり投与された場合・・なんの効き目ももたらさない。
ジアゼバムに加えて、薬剤投与を予期することから生まれる期待感
化学物質の働きが必要だ。期待感化学物質は、それ自体でかなりの
効力を持つが、ジアゼバムと併用されると薬効は絶大なものになる。」
『今後の研究で、暗示が人間の心に作用する仕組みが完全に解明さ
れたら、そのときこそ倫理について議論する必要があるだろう。』と
著者はいうのだが、多分「暗示が人間の心(と身体)に作用する仕組
みが完全に解明される」ことはありそうもない。
「医学にとって、プラシーボ効果は両刃の剣だ。・・注射針が近づく
のを目にしただけで体の生化学環境は乱れ始めるので、体の生化学に
作用したのが薬剤のどの化学成分か、はっきりしたことがわからなく
なるのだ。それはまるで、何を計測するにしても計測者が必ず計測
対象に影響を与えるから、計測値が正確かどうかはっきりとはわから
ないという物理学の不確定性原理のようだ」
「プラシーボ効果はさまざまな驚異をもたらしたが、おそらく最
も肝心なのはその限界を認識することだろう。プラシーボ効果では
ガンは治療できない。アルツハイマーやパーキンソン病の発症を遅ら
すことはできないし、機能不全に陥った腎臓をよみがえらせること
もできない。マラリアを予防することもできない。」
プラシーボ効果の不思議は、人間そのもの、人体の不思議を物
語っており、人間が人間をまだまったく解明できていないということ
を指し示しているといえそうだ。
(了)