『日本の歴史をよみなおす』 その二 | 鬼川の日誌

『日本の歴史をよみなおす』 その二

  「時国家文書」  (ジェミニとの問答)

 

 

  5月24日

 * 問

  網野の研究に大きな転機となったと思われる「時国家文書」で彼が

 明らかにしたことをまとめてくれませんか?

 

 * ジェミニ

  網野善彦にとって能登の時国家(ときくにけ)文書との出会いは、

 彼の歴史観、特に「非農業民」論や「封建的農業社会」批判を確固たる

 ものにする上で、まさに画期的な転機となりました。

  時国家は、石川県輪島市に位置する、平安時代末期から続く旧家で

 あり、江戸時代には廻船業などを営む大地主でした。この時国家に伝

 わる膨大な古文書群(上時国家文書・時国家文書)は、網野が長年追い

 求めていた「従来の史料には出てこない人々の姿」を鮮明に描き出す

 ものでした。

  彼が時国家文書から明らかにした主要な点は以下の通りです。

  「豪農」というイメージの刷新と多角経営の実態:

  従来の歴史学では、時国家は「豪農」として認識されていました。

 しかし、網野が徹底的な調査(特に味噌蔵の片隅に丸められた古紙や、

 襖や屏風の裏張りなど、これまで「紙屑」と見なされがちだった史料

 に注目)を行った結果、時国家の経営実態が単なる農業収入に依拠する

 ものではなかったことが判明しました。


  時国家は、廻船業(船を所有し、海路での交易を行う)、貸金業、

 さらには鉱山開発にまで手を染めるなど、非常に多角的な経済活動を

 展開していたことが明らかになりました。これは、土地に縛られた

 「農民」という単一の生業像とはかけ離れた実態でした。


  「非農業民」の存在感と経済的役割の可視化:

  時国家文書は、彼らが海を舞台に広範な交易ネットワークを築き、

 塩、材木、炭などを運ぶことで、日本海側の経済に深く関与していた

 ことを示しました。これは、当時の社会が農業生産だけでなく、商業や

 流通といった非農業的な経済活動によっても、大いに動いていたことを

 具体的に裏付けるものでした。


  従来の公的な文書史料が主に年貢など農業に関連する記録に偏りがち

 だったのに対し、時国家文書からは、行商、漁業、職人といった多種

 多様な生業を持つ人々が、地域経済の中で重要な役割を担っていた姿

 が浮かび上がりました。


  「移動する人々」の活動の再評価:

  時国家が廻船業を営んでいたことは、人や物の移動が中世・近世社会

 において活発に行われていたことを示唆します。従来の「定住型農業

 社会」というイメージに対し、網野は、遍歴する芸能民、商人、職人

 など、移動しながら生計を立てる人々の存在を重視してきましたが、

 時国家文書は、そうした移動と交易が社会の基盤を形成していた一例

 として、彼の説を補強しました。


  なぜこれが「転機」となったか:

  時国家文書は、網野が提唱してきた「百姓=農民ではない」という

 主張、そして「日本社会は封建的農業社会という単純な図式では捉え

 きれない、もっと多様な生業や人々の活動が存在した」という認識を、

 具体的な一次史料に基づいて実証する強力な証拠となりました。

  特に、従来は捨てられていたような「粗末な」古紙の断片や襖の裏

 張りにまで目を向け、そこから新たな情報を見出す彼の史料解読術は、

 歴史研究の方法論自体にも大きな影響を与えました。

  これにより、単に「公的な」文書だけでなく、日常生活の中で生み

 出された多種多様な記録の中にこそ、これまでの歴史学が見落として

 きた「民衆の生きた姿」が隠されている、という網野史学の核心が深

 まったのです。

  時国家文書の発見と分析は、網野の「日本社会は農業社会か」という

 問いをより鮮明にし、その後の彼の研究活動と著作(特に『日本の歴史

 をよみなおす』)に多大な影響を与えました。