ロボトミー | 鬼川の日誌

ロボトミー

    これが常識?だった

 

  * 世界は

 

  米大統領選はトランプ対ハリスで固まったようだ。民主党の副大統領

 候補もまもなく決まるだろう。しかしイーロンマスクは最低の人間だな。

 アメリカ社会の腐敗を象徴している。

  ネタニヤフのような殺人鬼を平気で議会演説に迎えるなどというのは

 アメリカ権力者たちも基本同類だからだ。

 

  ネタニヤフは自ら指定した人道地区や難民キャンプをたびたび爆撃し

 さらに大勢の市民子供達を殺している。犠牲者は4万人を超える。

  レバノンのヒズボラとの間に緊張が高まっている。どちらも全面対決

 にはしたくないようだが。

 

  日米防衛相の29日の会談で自衛隊と在日米軍の指揮・統制の枠組みを

 向上させる議論を本格化させ、米日軍の一体化、自衛隊の米軍への従属化

 をいよいよ具体的に進めることで合意した。

  自衛隊は24年末に陸海空を一元的に指揮する「統合作戦司令部」を

 発足させ、在日米軍司令部を「統合軍司令部」として再構成して自衛隊

 を組み込むことにするようだ。

 

  こうした中自民党は「公職選挙法違反」や「詐欺罪」!で立件される

 議員が次々と出て腐敗の末期症状を露呈している。

 

  PFASの飲水への混入がようやく多摩地区、沖縄だけでなく全国的な

 問題となりつつある。新たな公害問題となることは必至だが、どうして

 日本の行政は世界的に見ても対応がどん尻に近く鈍いのだろう?

  汚染源の大きな一つである、在日米軍の泡消火剤の垂れ流しに対して

 日本政府がなんの手も打てないでいることで汚染が深刻化している。

 まさに露骨な対米従属日本の現状を象徴している。

 

  * ロボトミー手術

 

  1949年度のノーベル生理学・医学賞はエガス・モニスというポルトガル

 人医師に、「ロボトミー手術」が精神病の治療に役立ったからとその業績

 を讃えて贈られた。

 

  ロボトミー手術とは脳の前頭葉(lobo)を切る(tomy)手術である。

 現在では前頭葉には脳の司令センターがあり、これを切るということは

 その人の人格そのものを破壊することになるというのは常識である。

 

  映画「カッコーの巣の上で」(75年)はこのロボトミー手術の悲惨さを

 告発したものだった。ジャック・ニコルソンの演技は印象的だった。

 

  きっかけは「チンパンジーに対してロボトミー手術を行ったら凶暴性が

 なくなった」とする神経医学会の報告に接したモニスが精神病の患者に

 応用することを思いつき、すぐに自分の患者の手術を始めた(35年)、と

 いうから今では考えられない。

 

  この頃は統合失調症や躁うつ病などに効果的な治療法がなく、しかも

 第2次世界大戦が始まろうとする暗黒時代で急激に患者が増えていった

 時だった。

 

  モニスは最初の手術後いきなり数十人を実験台にしている。そしてこの

 手術はアメリカの医師たちによって年間600件くらい一気に行われるよう

 になり49年のノーベル賞までにアメリカだけでも1万件にも達したという。

  日本でも戦後広瀬某医師が一人で500件以上の手術を行ったことは分

 かっているが全体の数字はよく分からないのだそうだ。

 

  モニスは「単純な手術で」「安全で」「効果的」とかいうが、手術で死ん

 でしまった人は4%はいたらしいし、当初から手術により「別人になった、

 ようするに魂が抜けてしまった」と告発されていたが、こうした「副作用」

 は省りみられなかった。

 

  その後効果的な薬が開発されてきたこととか、脳科学の進歩で前頭葉

 こそが脳の司令センターで、ロボトミーは人格を破壊する取り返しの付

 かない手術と評価が逆転し、70年代以降にはほとんど行われなくなった。

 

  70年代までこの手術が行われていたということに驚く他ないが、以上

 は竹内薫の『99、9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方』

 (光文社新書)による。

 

  竹内は「ロボトミー手術を考案したモニスが良いか悪いかといった

 単純な話ではありません。そうではなく、時代によって『正しい方法』

 は移り変わる、ということをいいたいのです。』としている。

  (「白い仮説」から「黒い仮説」への転換とする。)

 

  確かに当時ノーベル賞を受賞するまでもてはやされたこと自体が今から

 すれば信じ難いことで、許し難い所業だとするのは新しい治療法や脳科学

 のその後の進歩などの新しい「常識」の上に立った判断には違いない。

 

  しかし竹内先生のようにそれは「当時の常識」でその後「仮説が移り

 変わっただけ」で如何ともし難いと突き放すにはどうも違和感がある。

 

  それは精神病患者に対してモニスだけでなく当時の人々、そして今も

 続く深刻な差別意識を克服出来ているのか、私たちもそれから自由で

 あるのかどうかという点にあると思う。

  その時代の「仮説」常識で無惨にも殺されるか人格を奪われ事実上殺

 された無数の人々への鎮魂の思いを深く抱くかどうかにあると思う。

  (つい最近も日本の精神病院で患者の虐待事件の発覚があった。)

 

  *

  今年、旧優生保護法の違憲判決がようやく出たが、この法の施行は

 S23年(48年)、奇しくもモニスがノーベル賞を受けた前年な訳だ。

 

  旧優生保護法が優生思想を高く掲げたナチスと同じ軍国主義日本の話で

 はなく、戦後になってからの法だというところに問題の深刻さがあるの

 だが、まだまだこの頃は精神病患者や障害者に対する強烈な差別意識が

 根強かったということ、そしてそれは自分たち戦後生まれの人間もまた

 そのような差別意識の中で育ってきたのだということ、に思い至らない

 わけにはいかないのだ。

 

  2016年7月26日には相模原の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で

 19名もの入所者が殺害される事件があった。わずか8年前だ。