死の臨床 1 | 鬼川の日誌

死の臨床 1

  「死の臨床」、ホスピスケア 1

  (『僕は9歳のときから死と向きあってきた』 柳田邦男 

                      新潮社 2011年8月)

 

 

 

  1977年に「日本死の臨床研究会」が発足した。「死の臨床」という用

 語を初めて使ったのは、神戸の河野博臣医師だ。

 

  世界的には1967年が「死を前にした患者のケアへの取り組みの元年」と

 もいうべき年だった。「イギリスでシシリー・ソンダースが世界で最初の

 現代ホスピスである聖クリストファー・ホスピスを創設し、アメリカでは

 エリザベス・キューブラーロスが死を前にした人の心理過程についての最

 初の論文(のちに単行本『死ぬ瞬間』となる)を発表した年だ。」

 

  「近代医療は治療に力を入れるあまり、治療を期待できなくなった患者

 に対しては、もはやなすべきことはないとして、関心を向けなくなり、、

 、死をがんの進行による生体の機能停止という医学的な論理だけで見て、

 幕を引いてしまう。」

 

  *

 

  「近代以降の医学は、デカルト、ニュートンによって拓かれた西洋近代

 科学のパラダイムにのっとって発達して」きた、、「要素還元主義による

 因果律思考と専門分科の傾向は、医師の目を、疾患、臓器、組織、細胞、

 遺伝子、化学組成といったモノとして見えるもの、論理的客観的にとらえ

 うるものに集中させ、モノと論理で組み立てられた専門分野別の医学の体

 系を構築してきました。その結果、患者の心とか人生といった、個別性が

 強くあいまいなものは、、土俵の外に排除されてしまった」

  

  「医師の目が患者の『生物学的いのち』にばかり向けられ、精神的な

 いのちに対しては、、視野の外に外してしまう傾向が強まった」 

 

  *

 

  「病院財政の要素もからむと、治療をしない末期患者でベッドをふさい

 でおくことは、赤字の要因になるから、退院を迫ることになる。」

  「治療成績の向上や新治療法の開発に熱中し、そこに最大の価値を置く

 近代医学のひずみあるいは負の部分を一身に背負わされたのが、死を前に

 した末期患者だった。」

 

  文字通り患者は「見放され」末期がんの壮絶な痛み苦しみにのたうちま

 わるままに放置されるしかなかった。他の病気や怪我の末期患者の場合も

 全く同じだった。

 

  「人間にとって生も死も一体のものとして重要であり、とくにいのちの

 精神性においては、死があるからこそ生きる時間のかけがえなさが照らし

 出され、死があるからこそ遺された者がそこから生き方について学ぶべき

 ものを忘れ得ぬ形で獲得できるということであり、死を視野の外に排除す

 ることは生の本当の意味を見失うということだった。」

 

  生の本当の意味を見失った現代の医療を突き動かしている思想は「臓器

 主義であり人体機械論だ。」「死と死にゆく人に向き合うことの重要性に

 気づくこと」「死の臨床」への取り組みは現代医療を「生と死を包括して

 とらえる方向へと転換させる役割を果たしてきたといえる。」

 

  (続く)