『ワイルド・スワン』 | 鬼川の日誌

『ワイルド・スワン』

  『ワイルド・スワン』(ユン・チアン著)

 

 

  この本は1952年生まれの著者が78年(26歳)に中国からイギリスに留学

 するまでの祖父母の代からの家族史である。

 

  これが中国・清朝の滅亡、日本の満州・中国侵略、第2次世界大戦終了、

 日本の降伏、国共内戦、49年中華人民共和国成立、朝鮮戦争、そして毛沢東

 による「反右派闘争」などの整風運動、大躍進運動(人民公社)の破綻によ

 る大飢饉、文化大革命、76年毛沢東の死去、鄧小平の復権と続くまさに激動

 の時代の中国史となっている。

 

  著者の父は27歳で中国共産党に入党し「延安」にも参加した筋金入りで、

 のち四川省の共産党幹部として活躍するが、毛沢東の文化大革命に疑問を抱

 くようになり、当時としては考えられなかった毛沢東宛ての「毛沢東批判」

 の手紙を書き送り、迫害されて狂気に陥り、最後は死に追いやられた。

 

  この本の中心がこの文化大革命の悲惨な現実、父母を含む「走資派」とさ

 れた人々に対する迫害とその出鱈目さ加減、「奪権闘争」の腐敗した残忍極

 まる実態を記すことにより、中国人民が毛沢東という最悪の人物によって、

 如何なる無惨な目に会ったか、を暴露するものとなっている。

  (直前の大躍進運動、人民公社化運動というとてつもなく愚かな運動ー極

 め付けは「土法炉」による製鉄という毛沢東のバカ丸出しの思いつきーによ

 り大飢饉が引き起され、数千万人もの農民、人民が餓死させられたが、その

 狂気な運動のアホさ加減もよくわかる。誰もこれを止められなかったし、こ

 れでも毛沢東は終わらなかったのだ。)

 

  中国共産党は日本の侵略から中国を解放したものの、毛沢東というさらな

 る災厄、最凶の人物を生み出し、徹底的に中国人民を苦しめたのだ、という

 ことが明らかにされている。

 

  著者は最後に「毛沢東思想の中心にあったのは、はてしない闘争を必要と

 する(あるいは希求する)論理だったと思う。人と人との闘争こそが歴史を

 前進させる力であり、歴史を創造するにはたえず大量の『階級敵人』を製造

 し続けなければならないー毛沢東思想の根幹はこれだったと思う。これだけ

 多くの人を苦しめ死に至らしめた思想家がほかにいただろうか。私は中国の

 民衆が味わって来た恐怖と苦痛の深さを思った。あれは何のためだったの

 か。」と記している。

 

  「毛沢東は生来争いを好む性格で、しかも争いを大きくあおる才能にたけ

 ていた。嫉妬や怨恨といった人間の醜悪な本性をじつにたくみに把握し、、

 、人民がたがいに憎みあうようにしむけることによって国を統治した。ほか

 の独裁政権下では専門の弾圧組織がやるようなことを、憎しみあう人民に

 よってやらせた。、、人民そのものを独裁の究極的な武器に仕立てたのであ

 る。だから毛沢東の中国にはKGBのような弾圧組織が存在しなかった。必要

 なかったのだ。毛沢東は、人間のもっとも醜い本性を引き出して大きく育て

 た。そうやって、倫理も正義もない憎悪だけの社会を作り上げた。」

 

  「毛沢東主義のもう一つの特徴は、無知の礼賛だ。毛沢東は中国社会の大

 勢を占める無学文盲の民にとって一握りの知識階級が格好のえじきになるこ

 とを、ちゃんと計算していた。、、また誇大妄想狂で、中国文明を築き上げ

 た古今の優れた才能を蔑視していた。さらに建築、美術、音楽など自分に理

 解できない分野には、まるっきり価値を認めなかった。そして結局、中国の

 文化遺産をほとんど破壊してしまった。毛沢東は残忍な社会を作り上げただ

 けでなく、輝かしい過去の文化遺産まで否定し破壊して、醜いだけの中国を

 残していったのである。」

 

  祖母から父母そして著者とその兄弟が苦しめられて来た毛沢東主義に対す

 る著者の怒りは当然のことである。

  89年の春、著者はこの本を書くために中国各地をたずね歩いて、各地で

 反政府デモを目にした。そして(第2次)天安門事件。「軍が発砲したとき、

 大多数の人々は心底驚いたようだった。ロンドンの自宅でテレビに映る殺戮

 場面を見たとき、自分の目が信じられなかった。私を含めて多くの中国人に

 とって解放の象徴であったあの人物(鄧小平)が、本当にこれを命じたのだ

 ろうか?

 、、自由化の流れを逆転させることはできないのだ。」としている。

 

  著者は毛沢東を批判することはできたが、鄧小平の中国、中国共産党その

 ものには幻想を抱いていたということなのだろう。毛沢東主義、中国共産党

 は「社会主義、共産主義」を標榜しているが、実はスターリンの後塵を拝し

 た全くの偽物だということは明らかにされてはいない。中国が社会主義なら

 誰がこんな出鱈目で無惨なものに「人民の解放」の望みを託すだろうか?

 

  鄧小平も亡き後、今や香港の民主化運動も徹底的に潰され、中国国内では 

 33年目の天安門事件の犠牲者を追悼する集会すら開けなかったように、自由

 化、民主化の流れは完全に逆転した。

  己を毛沢東と並ぶ権威に仕立てようと習近平が躍起になっている様を著者

 も目にしているのだろう。今やKGBを上回る弾圧組織が中国人民を縛り上げ

 ているし、ウイグル族やチベット族の人々は民族ごとの弾圧にさらされて

 いる。またもや毛沢東時代とは違った形で「残忍な社会」「醜いだけの中国」

 が復活している。

 

  多分この本は今の中国では見ることはできないのだろうな。

 

  (91年秋出版、日本語版93年1月。)