燧ケ岳 | 鬼川の日誌

燧ケ岳

  燧ケ岳BCスキー  18,4,27・28    

 

  栗駒山で終わりかと思っていたし、下界が暑くなって沢始めに勘七ノ沢で水浴びを

 してきたりした。しかし今シーズン足の不調でとうとうBCスキーに一度も行けずに

 終わりそうな仲間を誘い、また私も連休前半予定がなかったし、今シーズン最後と

 燧ケ岳BCスキーを計画した。問題は天気と連休直前までに御池までの林道が開

 通するかであった。今年は雪解けも早いので連休前に林道は開通したし天気も良さ

 そうである。

 他に2名やはりあまりBCスキーをやれなかった仲間が参加して計4名。皆さん滑り

 に関しては抜群だがオーバー古希の年代で体力が少々不安かな。

 

  前泊はテントでもキャンプ場でも良かったが、せっかく仲間が集まったし宿で前祝だ

 と桧枝岐の民宿をいくつか探す。ところが意外と連休直前だからかやってないところ

 がある。

 

  私が単独で山歩きを始めた頃だからもう25年以上も前に(30年に近いか?)何故

 ここだったか理由も覚えてないが会津駒ケ岳に登った時、桧枝岐村に来て役場で紹

 介してもらい泊まった宿を思い出した。役場は駒ケ岳登山道の入口にあるから紹介

 しただけかもしれないが、親切な宿だった。

 

  サンショウウオのテンプラが出たことや食事中山菜取りの人が近くで熊に襲われた

 というニュースを聞いて、次の日1人で登る最中不安だったことなど、私にとって初め

 の頃の本格的な単独登山で印象深かったからかいろいろと思い出す。NETでも調べ

 られたが今は「山人の宿」(猟師の宿)と紹介してあった。幸いここが予約できた。

 

  当然代替わりして今は若い女将さんがやっているようで(もう覚えてもないがその

 母?義母?らしい昔の女将さんも元気でいた)宿もきれいになっていた。なにより

 この宿の山菜料理はどれもこれも味付けがとても良くておいしかった。料理を食べに

 もう一度来たいものだと思うくらい。

 例のサンショウウオのテンプラも出たし、山人の宿に相応しく熊肉が出て、「シシタケ」

 とかいうキノコの混ぜご飯は絶品だった。夕方着いて夕食を食べ寝て朝食を取りその

 まま山に出発でわずかな時間だったが対応も親切でいい宿に当った。

 

  また相変わらず前祝が過ぎて飲みすぎたが朝食もおいしくたっぷり食べて気分よく

 御池駐車場に行く。多分明日からはぎっしりになるのだろうが数えてはいないが10

 台は優に越える車が既にいた。準備して駐車場の奥から歩き始める。

 

                    (桧枝岐村で多く見かけた桜、ピンクがかっている)

 

  雪はもう相当に減っているようだ。歩き始めたのが7:45頃かな。さすがに歩き始め

 の頃は涼しかったがすぐに脱ぐことになる。最初は緩く登るが20分ほどで前に壁が

 出てくる。

 

 

  この壁が結構急である。今日はツボ足で登っている人たちも沢山いる。一旦棚に

 出る直前が急で少しだが板を外して抱えて登ったりした。以前来た時はそんなことは

 なかった気がするのだが。

 

 

  さらにまた坂を登っていくと9:10前くらいで斜度が緩み広い広沢田代に出る。

 

                          (広沢田代、前が熊沢田代への壁)

 

  横断するのに10分くらい掛かったようだ。

 

 

  次の熊沢田代への壁もまた急である。斜度の緩そうな所を探して壁を左から右へ

 横断したりかなり苦労した。スキーアイゼンの嫌いな人はまた板を外して持って上

 がってきた。あまり歩いてない人はやはり遅れる。斜度が緩くなり向こうに燧ケ岳の

 山頂が頭を出す所までで(熊沢田代手前の1986mピークの前)なんだかんだ

 10:10頃になってしまった。ここまで2時間半近くかかったということになる。

 ここで少し休憩する。

 

 

  ピークに出ると熊沢田代とその向こうの燧ケ岳山頂が聳える。まだはるかかなた

 だね。田代のルートの一部に雪がない。ここは板を担いで木道を渡る。

 

 

  田代を横断してまた広い斜面を登っていく。山頂直下に出るまでに手前の緩い

 ピークの森を抜けるようだ。背後の熊沢田代の上に会津駒ケ岳がせりあがる。

 

 

  山頂直下は左手の雪面を登るようだがそこに取り付く前の森の中に沢が横切って

 おり、これを迂回しながら右手から左へ抜けていった。

 

 

 

     (続く)