富士山 | 鬼川の日誌

富士山

 富士登山  17,6,16・17  

 

 昨年は須走口から登り始めたのだが天気が悪く、7合目太陽館辺りで雨が酷くなり撤退した。また15年は富士山に登ってないから14年10月以来3年ぶりということになる。しばらく高度順化が出来てない、これがオートルートで酷く消耗した理由の一つなのかもしれない。

 富士宮口5合目(2400m)から富士宮山頂(浅間大社、3700m+)までおよそ高度差1300m、地図上の水平距離約2.6kmだから、水平1kmで高差500mの斜度となる。水平866mで高差500mなら斜度はちょうど30度だから、富士山の平均斜度は30度に少し欠けるくらいだ(8合目から山頂までがちょうど30度くらい)。

 他にはない高さで距離といい高度差といい手応えのある登りだから、ヨーロッパの4000m級の山を登りたい人はここで高度順化を繰り返し、タイムを縮める努力が欠かせない。その挑戦はもうない人でもここをどれくらいで登れるかは今の自分の体調を推し量るバロメーターである。

 

 16日夜水ヶ塚公園でテント仮眠して翌朝5合目に上がる。駐車場は結構一杯になっていた。登り始めたのは6:10過ぎた頃か。今日は11名。風もなく晴天で絶好の富士登山日和のようだ。

 

 

 6合目を過ぎる。今日は8合目まではリーダーペースでゆっくり全員まとまって登る。最初はともかくスローペースで歩き始めるのが富士登山のコツだ。私も久しぶりだし今日はとりあえず山頂に登れればいうことない。

 

 

 7合目。7:15頃で約1時間。

 

 

 元祖7合目。8:00頃。私もまあ普通に着いていける。ゆっくりでも着実に山頂は近づき6合目小屋は小さくなる。

 

 

 さて8合目を目指して登る。この辺りがきつく感じるところかな。8合目に8:40過ぎに着き8:50頃まで休憩する。

 

 

 小屋裏には雪が少し残っていた。この先は各自ペースでいいということで3人の元気女性が先行する。私も10分ほどしてもう少し早くしても行けそうだったので前に出て登る。今回参加した師匠も後を追ってくる。いや元気ですね。

 

 

  9:20頃、9合目。水を飲むだけで先に進む。師匠も直ぐ後ろに続く。

 

 

 9合5勺、9:45頃。この上は登山道に雪渓が残っている。ここも水を飲むだけで進む。

 

 

 雪渓は表面は柔らかいが中が凍っていた。登りはまあ何とかアイゼンなしで登れる。雪渓の終点が10:05頃。

 

 

 これからが胸突き八丁。さすがに結構きついな。先行した3人が前に見えるし師匠も遅れずぴったり着いてくる。

 

 

 鳥居を潜り9:20頃には富士宮山頂に着いた。登りは休みを入れて4時間10分くらいだった。タイムを問題にせず登ってきたし自分のペースは8合目以後であるがそれほど息も上がらずに登れたので久しぶりにしてはまあまあかな。師匠も同着。凄い。私はもう基礎体力がよれてきているので師匠の年代になる80才近くでこのペースで登れるとはとても思えない。そもそも富士山に登るとすら思わないかもしれない。なによりこの世にいるかも怪しいものだ。

 

 

 山頂で合流と決めていたのでのんびり待つ。本隊は10:55頃に着いた。本隊の中にも師匠と同年代の「お化け」がもう1人いる。全く凄い人たちだ。この超人ぶりが理解できないある人は、「あの元気さは絶対処女の生き血を吸っているからだ」と固く信じている?

 全員登頂で記念写真。

 

 

 その後行きたい人は剣ヶ峰に登る。登ったのは師匠と私と少し遅れてリーダーと剣ヶ峰初めてという元気女性の4名だけ。

 

 

 降りの雪渓ではアイゼンを着けて降る。アイゼンを履いたので結局8合目までは雪渓を降った。このほうが断然速い。

 

 

 その後はブル道を降る。遠回りだが膝には楽。しかしホコリが舞い上がりズボンや靴が真っ白になる。大分富士山を吸い込んだだろう。富士山ハイ(肺)。

 

 

全員14時頃には下りついたようだ。

 

 

 4月の初めにオートルートから帰り、21~24日に北海道山スキーに行ったものの4月中はその他はほとんど歩かなかった。お陰で5月6日に勘七ノ沢に行った時、山行に支障はなかったものの翌日その次の日と酷い筋肉痛に見舞われた。その後21日に水無川本谷、27日に丹沢地蔵尾根から袖平山、6月4日金峰山古道、12日丹沢本間ノ頭南東尾根から弁天尾根の巨木巡りとわりと頻繁に歩いてきた。地蔵尾根、金峰山、巨木巡りには師匠も付き合ってくれた。そんなわけでこの間は結構歩いていたので3年ぶりの富士山もそう草臥れずに歩けたのだろう。まあ普通に富士山に登るだけの脚力、心肺能力はあるようで一安心。しかしまた衰えることのないよう歩く計画をしっかり作っていかなければと思う。