オートルート 8 | 鬼川の日誌

オートルート 8

 オートルート  17,4,1・2・3

 

 4月1日はロープウェイでエギュドミディに登りそこからヴァレブランシュを滑る予定で駅まで行く。しかし強風でロープウエイは動かなかった。好天もついに昨日まで。せめてエギュドミディには登ってみたかったが。

 

 

 結局この日は中止となり、可能であれば明日滑るということになった。明日は帰国でジュネーブに行くのは夕方なので忙しいが時間はある。しかし結局次の日も天気は悪くヴァレブランシュを滑ることはとうとうできなかったのであるが。

 この日は休養ということになり、ガイド3人は別のスキー場に行き滑ることにしたようで、私たちは土曜日で開かれていた市場で昼飯を買い入れたり、午後は街中を散歩して過ごした。夜はまたガイドたちと合流して街中のレストランで夕食。この日は日本料理が出るレストランで、ちょっと変わった握り寿司などを食べた。毎晩結構ご馳走を食べてますね。

 

 

 2日は雨、雪の降る悪天でヴァレブランシュを滑ることは結局叶わなかった。ヴァレブランシュを滑ると回り込んで降りはメールドグラス氷河を下ってくることになるはずだったので、そのメールドグラス氷河の見物に行く。

 シャモニーの町から登山電車でモンタンヴェールまで。電車の出るまで時間があったので近くの博物館を見学。

 

 

 

    (モンタンヴェール駅)             (ドリュはもちろん見えなかった)

            (メールドグラス氷河)

 

 水晶博物館。

 

 

 氷河見学が出来るようだ。

 

 

 昔はこのザレの線まで氷河はあったらしい。上のレストランで少し休んでまた登山電車でシャモニーに戻る。これで全てが終了である。

 

 

 最後は天気に恵まれずヴァレブランシュを滑ることはできなかったがまあそこまで好天を期待するのはこの時期には無理なのかもしれない。オートルートが晴天で完走できただけでもついていた方なのだろう。仕方がない。

 

 夕方にはこれまでの宿や飲食代の精算をして、また白野さんが車でジュネーブ空港まで送ってくれた。菊池ガイドはまだ残り、国際ガイドの資格を取るための訓練に明け暮れるのだそうだ。細い女性だがさすがガイドで驚くほど体力・技力あるのに感心する。随分助けてもらった。

 帰りも同じくエミレーツ航空で、ドバイに寄り日本(帰国は羽田)に帰着した。着いたのが3日夜中の11時近く別便も到着して羽田は大混雑。荷を受け取るのもかなりの時間が掛かり、ガイドたちとも慌しく別れ、遠い人はもう一晩どこかに泊まらざるを得ない。私は4日夜中の2時前くらいに帰り着いた。タクシー待ち人が多く順番がなかなか来ないので、結局最寄り駅からスーツケースを引きずって帰ったがこれも疲れた。

(日本時間で計算すると、ジュネーブ発3日4:40で帰宅が4日の2時前、ジュネーブ空港に着いたのは何時間も前だから、やはり24時間を越えて移動に時間が掛かっている。今回は移動時間、飛行機内の缶詰時間が長くこれも疲労の大きな要因だった。)

 

 これで12日間のオートルートツアーは終了した。

行けたらいいなとの思いはずっとあったものの、ほぼ諦めていたオートル-トだったので、今回のツアーを主導した体力もスキー技術も満載の女史のような強い思いとそのための準備も私は明らかに不足していた。それでなくとも体力不足を痛感し始めている最中で、巡ってきたチャンス・お誘いに乗るにはやはり少々無理があった。懸念したとおり私は酷く疲れ果てたが、ともあれオートルートを完走できたので(途中ルートを少し変更したが)、石坂国際ガイドの知り合いのガイドたちとシャモニーで出合ったときは、ガイド同士では「グッジョブ!」で、私たちには「コングラッチュレイション!」と祝福してくれた。マッターホルンを登った後の「コングラッチュレイション」には感動したけれど、今回は感動よりも終わってともかくほっとしたというのが正直なところかな。やはり雪の季節の3000m標高の5泊6日もの行程は私の力を超えていたようだ。

 実際帰国して後2日ほど経って体重を量ったらかつてなく減っていてびっくりした。最後はヴァレブランシュを滑ることも叶わず、おいしいものを食べてぶらぶら過ごしたにもかかわらずだ。だから降り着いたツェルマットや帰りのシャモニー辺りで量っていたら20歳代の体重になっているのを見ることが出来たかもしれないのだ。半世紀ぶりのことなのに惜しいことをした。また普通は直ぐに戻るのにそれからしばらく体重は増えなかった。軽いということはクライミングにはいいので出来るだけ増えないように注意はしていたのだが、これからビールがおいしい季節になるのでそんなに長くは持たないだろう。

 

 (了)