城ヶ崎 | 鬼川の日誌

城ヶ崎

 城ヶ崎忘年クライミング 16,12,6・7

 

 このところ恒例になった忘年クライミング。城ヶ崎といっても私たちには難しいところはお呼びでないので、易しいクラックルートのあるフナムシロック(富戸駅から)とファミリーロック(伊豆高原駅から)エリアに行く。近くの民宿に泊まり忘年会。今年は新たな人が参加することになった。

 

 いつものように熱海での伊豆急の乗換えで集合し、初日は近い方の富戸駅で降りる。海岸に向かって降っていく途中イチョウの大木が見事に黄金色に輝いていた。

 

 

 今日はフナムシロック。ここまで来てクラッククライミングのためのテーピングなど準備をしているうちにもう11時に近くなる。今日は他のグループは一人もいない貸しきりで慌てる事もない。まずは一番易しいところから始めるつもりだったが、そこは波が押し寄せていて不可。いつもの鬼殺し(5.8)ルートにO2が取り付きロープを張るセットをする。ここなら私も問題なく登れる。O2殺しルートだが撃退されなくて良かった。しかし皆はリードはいきなりは不安がある(問題はカムのセット)ということで、上から支点用にロープを垂らす。これに中間支点としてヌンチャクを掛けられるようなワッカを(インラインエイトで)間隔を置いて作っておくことにした。これで通常のリードでカムのセットと合わせてワッカ(ヌンチャク)にロープを掛ける。テンションした場合万一カムが効いてなくてもヌンチャクロープで支えられる。トップロープで支えておいてカムのセットの練習をするよりはリードの練習にいいようだ。まずお試しで師匠がお手本を。

 

 

 波打ち際でとても気持ちがいい。

 

 

 順に取り付く。MoさんとTnさんも(安全)リード(と呼ぶことにします)。

 

 

 この間にO2が隣の純(5.8)に取り付く。ここはダブルクラックが合流した上のチムニー状に這い上がるのが難しい。若干上が被っていることもある。這い上がるためのハンドサイズのクラックにカムを入れてしまいがちで今回も久しぶりで忘れていてそれをやってしまい、カムを入れなおすのでテンションした。ここは苦労する。そんなわけで師匠はカムのセットをしながら最初はトップロープ。隣の鬼殺しでは今回初めてのMsさんがトップロープで登る。クラック登り(ジャミングが効いたのか)であったかどうかは定かではないが、ともかく登りきったから立派。

 

 

 今度は支点用ロープを純側に移してMoさんが(安全)リードトライ。

 

 

 (安全)リードでTnさんが続きます。皆さん上手で順調に登った。

 

 

 大島が随分近くに見えます。海の傍は気持ちいいですね。

 

 

 初めてのMsさんはトップロープですが難しいところを突破して見事登りました。

 

 

 すぐ傍の島には柱状節理が見られます。

 

 

 まだ時間があったのでフナムシロックで最も著名なパープルシャドウ(5.8)にO2がリードトライ。ここは上部が被っているし少し長いので前回はトップロープで練習した。O2初めてのリードトライだったが残念ながら被ったところを突破するのにテンションでレッドポイントならず。最近オンサイトとかレッドポイントを狙う気力がいまいち足りないな。ともかく上までいき、支点に格好の立ち木にトップロープを張る。ここは皆さんトップロープで挑戦。

 

 

 

 

 

 皆さん問題なく登りきった。年に1度か2度くらいでは登りを忘れてしまうからなかなか難しいが、今度は皆さんもリードにトライできるでしょう。これでフナムシロックでの練習を終了した。この頃で既に16時に近くなっていた。急いで撤収して富戸駅に向かったが、ぎりぎりの電車には間に合わず次の電車で伊豆高原駅に行き、民宿に向かう頃にはすっかり暗くなってしまった。一番日の短いときだ。昨年は別の民宿だったこともあり道を間違えたりしながら到着。ここはもともと仲間がガイドクライミングで使ったとかで紹介してもらった。安くて親切でおいしい料理が出る。

 今宵もとてもおいしい料理と持ち寄りのおいしいお酒をごちそうになり、気の置けない仲間との楽しい忘年会となった。

  

  (続く)

 

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 今年も残すところ1週間。毎年毎年月日の経つ早さを嘆きながら最後の週を過ごしている感じがする。ここ数年特に酷く早いと感じ、昨年の年末と今があまりにも近い。もしかして1年間違えているのではないかと思うくらいである。生物学者福岡ハカセによれば私たちの体内時計はそれを司る生命の回転速度が落ちるに比例して遅れていく。そのため物理学的な時間の経過に追いつけず、体内時計では半年かな?の感じの頃、実際は1年が終わってしまっていることになるのである。だから「もう1年が終わりか」と慨嘆せざるを得ない。だんだん早く感じるということはそれ自体が生命力の衰えの証拠というわけだ。年を取るのがこんなに早くては一生の終盤が圧縮されて、あっという間に棺桶に入ることになりそうで恐怖である。さりとて何をなすべきか手も足も出ない。「昨日またかくてありけり、今日もまたかくてありなむ」ということか。