小同心クラック 2 | 鬼川の日誌

小同心クラック 2

 横岳、小同心クラック登攀 16,11,20

 

 

  クラック1ピッチ目リードで師匠が登っていく。

 

 

  師匠はピナクルテラスまで行かず手前でピッチを切ったようだ。

 コール後相方Tさんが登り始めるのに続いて、O2も1ピッチ目

 リードに取り付く。

 

  直ぐ続いたのでTさんの登りの写真を撮りそこなった。

 1ピッチ目ホールドは豊富で最初のフェース、そしてチムニー状に

 入っても難しくはないが、久しぶりのアイゼン登攀だし、分厚い

 手袋だとそう楽ではない。

 

  また支点がハーケンが見つかればいいが少ないので、基本岩に

 スリングを巻いて支点を作っていかなくてはならない。落ち着い

 てくるとぼろいハーケンも見つかってくる。

 

  師匠がピッチを切ったところに到達してこちらもセカンドの

 ビレイの支点を作る。師匠はもっと上まで行きたかったらしいが、

 中間支点作りのスリングが足りなくなりそうでピッチを切った

 とのこと。

  

  師匠組みのTさんは2ピッチ目に既に取り付いて登っているとこ

 ろらしいが何せ上が被っていて様子が全然見えない。写真を撮る

 こともできない。私は相方Mさんにコールして登ってきてもらう。

 

 

  Tさんの2ピッチ目がかなり時間が掛かっていてなかなか

 コールがなく、下から叫ぶが岩が被っていて声が届かないようだ。

 

  後からの話だがTさんはピナクルテラスからチムニーに入らず

 にその外のフェースを登ったらしい。(ピナクルテラス前でピッチ

 を切るとその先で登るラインを見失ったとかの記述もあるから

 分かりにくいらしい。)ロープの流れが悪くなりそうだということ

 もあったようだから、やはり1ピッチ目はピナクルテラスで切った

 方が良かったようだ。それにしてもフェースの方が余程難しいと

 思うのだがさすがに実力者だ。

 

  声はうまく届かないがロープの動きからセカンドのビレイが出来

 たようで師匠が登っていき、O2組はMさんが2ピッチ目をリード

 で登っていく。ピナクルの手前であるから出始めはかなり立って

 いる。これを越えて行くと姿は見えなくなる。ところが先ほどの

 Tさんの時間と比較するとMさんからはわりと早めにコールがあり

 私がフォローで続いて登る。

 

  登っていくとMさんが岩に掛けたスリングとハーケンでビレイ

 していた。その上がTさんが登ったフェースになっていて、Tさん

 のロープに繋がる師匠はそのままフェースを登っていかざるを得

 ないのだが、Mさんが後を追うことになったので、師匠がそれを

 止めたようだ。

 

  やむなくMさんは少し降りて(降りるのは怖かったらしい)、

 ハーケンのあるところで支点を作りそこでピッチを切りO2に

 コールしたということらしい。確かにここからチムニーに入るの

 なら問題ないが、その前から上がってきたとするとロープの流れ

 が悪くなりそうだった。

 

  O2組はここから3ピッチ目ということになったので、私が

 チムニーに入っていきリードする。広めのチムニーを登っていくと

 一旦テラス状に出てしっかりしたボルトの終了点があった。

  ここが通常の2ピッチ目の中間点になるらしい。多分ここまで

 師匠組のTさんは外のフェースを登ったようだ。恐い人だな。

 

  私も一旦ここで切ろうかとも思ったが、師匠組みは先に行って

 しまっているし追いつくためにも、ここで切らずに進むことにした。

 

  この先のチムニーに入る入り口がかなり立っていて狭いので一度

 身体を外に出す感じになるのだが、ホールドは豊富でそう問題は

 ない。その先の狭いチムニーは身体がすっぽり入って登るので怖さ

 はない。抜けると師匠が最後のピッチをリードするTさんをビレイ

 していた。私もここに支点を作りコールしてMさんに登ってきて

 もらう。

 

  そんな分けで自分の組みも師匠組みもその途中の登りが全く見え

 なかったし皆さんの登攀の写真は今回は全く撮れなかった。

  追う立場で登ると意外と気分的に余裕もないのだろう。最後

 3ピッチ目の終了点から周りの光景と登ってくるMさんの写真が

 取れただけである。これから登る横岳。赤岳方面。Mさんが登って

 きたところで12時頃となっていた。

 

 

  Mさんのリードで最後のピッチを登り、小同心の頭に出る。

 ここは短い。既に師匠組みは先に進んでいた。私たちもロープの

 1本を仕舞い1本をコンテにして進む。この頃かなりガスが上

 がってきて何も見えなくなっていた。頭まで2時間と少しだ。

 

  ピッチの切り方でもたもたしたかもしれないが、アイゼン登攀

 で2時間強だから登攀では余計な時間が掛かったわけではない。

 

  横岳の山頂に抜ける最後の岩場はⅢ級程度ということだがそれ

 なりに立っているので、師匠組みはTさんにO2組はMさんに

 それぞれリードしてもらい登った。最後の私が山頂に飛び出した

 のが13時頃。山頂には誰もいなかった。ここまで登攀の時間は

 3時間弱そんなものでしょう。

 

 

  山頂で記念写真を撮り、ガスも出て寒いので休まず移動する。

 

 

  横岳山頂からの降りは雪も残っているし梯子、鎖が続くのでアイ

 ゼンは付けたまま移動する。

 

 

  難所を抜けると見覚えのある、今年3月に大同心稜登攀で稜線に

 抜け出たところに着く。このとき少しガスが取れて遠く富士山が

 見えた。ここでアイゼンを取り、少し休憩する。

 

 

  余程ここから大同心稜を降ろうかとも思ったのだが、このときは

 風もさほどではなく硫黄岳周りが予定だったのでそのまま進む。

  しかししばらく歩くと風が厳しくなってきた。寒いしときおり

 よろめかされるほどの風。ガスも出てくる。一旦硫黄岳山荘の影で

 風除けするが収まる気配はない。だらだらと長い硫黄岳の登りでは

 いつもこちらに来たことを後悔しているような気がする。

 

 

  14:40前にようやく硫黄岳山頂。ここまで来れば後は降り

 である。

 

 

  赤岳鉱泉への分岐には元気な二組の親子連れがいた。この若い

 夫婦もクライマーらしく小同心クラックを登ったことがあるよう

 な口ぶりだった。ここを出たのが15時頃。

 

 

  それからまだ1時間強掛かってようやく赤岳鉱泉に着いた。

 

 

  預けた荷物を回収し下山の準備をしているうちに宿に明かりが

 付く頃となって赤岳鉱泉を後にする。16:30頃。

 

 

  覚悟の上ではあるが少し進むととっぷりと日も暮れてきた。

 この時期は本当に日が暮れるのが早い。シシ岩に引き続き今回も

 ヘッドランプの出番である。さすがに真っ暗な北沢沿いの登山道

 は歩きにくい。凍ってなくて良かった。

 

  もう終わりかという頃には登攀用具の重さが肩に応えてくるし

 暗い道は先が見えずなかなか着かない気がしてくる。こんなに

 遠かったかと思うほどだ。疲れたな。

 

  ようやく登りと同じく2時間を越えて赤岳山荘の駐車場に着いた。

 しばらくすると赤岳主稜隊の1人が先発で降りてきたから、主稜

 隊も遅くなっているらしい。

 

  私たちは主稜隊の到着を待たずに先に帰京する。後からの話では

 主稜隊は相当遅くなったということだ。帰りの高速道路も事故も

 あったらしく酷く混み新宿に着いたのは23時頃となり、帰宅は

 0時を回ってしまった。それでも次の日には釜ノ沢東俣の次の日の

 ような酷い筋肉痛にはならなかったから、この間それなりに身体

 を動かしていたという証明だろう。

 

  初めての小同心クラック登攀自体は大きなトラブルもなく順調で

 はあった。企画してくれた師匠と一緒に登ってくれた仲間に感謝だ。

 が、いまいちルートイメージがすっきり湧かないような登りに

 なってしまったし、登攀の写真も全く撮れなかったので、今一度

 チャンスがあれば再挑戦してみたいと思っている。しかし今回寒さ

 には直面せず良かったと思うくらいだから、真冬の登攀はもう私に

 は厳しく無理だろう。

 

  アイゼン登攀は実現したことでもあるから雪が終わる頃かな?

 横岳のつくも草を見に行かないかという話もあるし。

 

  (了)