鹿島槍ヶ岳 2
鹿島槍ヶ岳 16,5,6~8 (続き)
白樺平から夏道少しでいよいよ急峻な雪渓の登りとなる。
鹿島槍ヶ岳山頂が大分低くなり高度を上げてきたことが分かる。
急斜面の雪壁の向こうに冷池山荘が見えてきた。
冷乗越への雪渓のトラバースと登り。ここは滑落死亡事故も多かった
ところだし緊張する。とりわけこの時期の腐れ気味の雪はアイゼンの
利きが悪くしっかり雪を掴んでる感じがしない。その代わりバケツは
掘り易い。まあ無事に通過する。(1枚仲間の写真)
冷乗越に11:30頃。遅れている人を待つ。
乗越に出ると霞みがちだが正面に剱岳。
爺ヶ岳方面には種池山荘や針ノ木岳が望める。
南峰は大分夏道が出ているようだ。北峰前にはやはり人影はない。
ここで後続を待つリーダーと膝が心配なもう1人を置いて私と師匠2人は
先に進むことにする。進んでも13:30頃を一応のメドにする。
冷池山荘に12:00頃着。宿でまもなくの仲間の到着を知らせ、天気の
様相を確認すると、これから明日は間違いなく天気が崩れるということで
山頂に行くなら今しかない。アイゼンを用意しているうちに、遅れた人を
フォローしていたもう1人が宿に到着し、一緒に行くと出発する。
布引山へはしばらくの雪道の先はもう全く夏道のようだ。爺ヶ岳三峰も
山頂付近は雪がない。とにかく今年は雪が少ない。
樹林の向こうは立山から剣岳の稜線。
布引山まであと少し。この登りがきつい。しかし大展望。
布引山13:00頃。南峰までも全くの夏道で問題なさそう。
後30分では無理そうだが師匠と先に行くことにする。かなりハイペース。
13:30頃約束のメドになったがあと少しだ。私と師匠は荷をデポ
して山頂に向かう。もう一人はずっと遅れていて姿が見えない。
13:45頃山頂到着。北峰には装備も置いてきたし時間的にももう
行けない。北峰に人影はどこにも見えないので、東尾根組みは何らかの
事情で撤退したらしいと確信した。
宿に帰ってから「雪が少なく藪が酷くて撤退した」と連絡がすでに昼前
には入っていたと聞いた。
山頂で展望を満喫して降る。蓮華、針ノ木には針ノ木雪渓らしきが
確認できる。
私たちが少し降ったころもう1人が登ってきた。
14:00頃山頂を振り返ったとき彼が山頂直下にいるのが見えた。
もうこの頃から霧雨状に雨が降ってきた。風も出てきた。
宿に到着したのは15時を過ぎていただろう。宿で待っていた仲間から
東尾根組みは午前中で撤退したと宿に連絡があったと聞いた。
残念だが今年の小雪では仕方がないし、無理すればこの雨に遭遇する
ことになっただろう。ビバークとなればもっとヤバイ。
山頂に登った3人は10時間近くの行動時間だった。
私ともう1人はアラ古希で頑張った。私は最近とみに体力に自信がなく
なっているのだが、それなりにまだ頑張れるとうれしかったな。
師匠は喜寿過ぎだから凄いの一言。日頃の節制と鍛錬のたまもの。
この真似は私にはとても出来そうもない。
宿までで終わった3人の方が皆若かった。
連休中とはいえ今日は平日。天気も思わしくなく宿泊は我々だけだ。
この山荘に所縁のある人が連絡してくれていたお陰で宿の方でも
何かとサービスしてくれた。
雨はずっと降り続いた。風も相当強くなっている。
7日朝雨風が収まるのを待つが良くならない。やむを得ず8:30をメドに
準備をして下山開始。冷乗越から赤岩尾根に入るまで稜線は凄い風
だった。雨は降り続いている。
冷乗越下の危険なトラバースは師匠次に私で慎重に降る。そもそもの
腐れ雪が昨日から降り続く雨で一層グズグズとなりなんとも始末の
悪い、アイゼンの利きが悪いいやな雪になっていて怖かった。
何とか危険地帯を乗り越えたが、ひとつの失敗が取り返しのつかない
ことになりかねないのだから、本来はロープを出して安全を確保して
降るべきところだったろう。手間を惜しまないことだ。
雨に濡れた赤岩尾根は厳しかった。高千穂平に10:30頃。
この直下も悪い雪壁だ。これを降るまでアイゼンをつけて歩いた。
雨は少しずつ上がってきたが、ずっとガスの中の降りだった。
途中何度か休憩しながら降る。
かなり早くから沢水の音が聞こえてくるがそれからが長い。
下の堰堤が見える頃はもう12:30くらいになっていた。
湿った崖地にエンレイソウ、コバイケイソウ、コゴミなどが見られた。
コゴミの深い緑色が気持ちがいい。コバイケイソウの新葉が雨の滴を
マトイ美しいのだが、これをウルイと間違えて食中りする人がいる
とか、これは毒草である。見慣れれば間違いようもないのだが。
赤岩尾根登山口で少し休憩し大谷原へ。13:50頃には皆到着した
ようだから5時間強掛かったか。降りも鈍足組みにふさわしかった。
赤岩尾根は登りも降りもきつかった。
ともあれ悪天の中皆無事下山出来てよかった。
この晩は3人の登頂と皆の無事を祝し乾杯の宴会で過ごした。
翌朝帰京した。
朝の鹿島槍ヶ岳が出発時と同じように白く輝いていた。
(了)
白樺平から夏道少しでいよいよ急峻な雪渓の登りとなる。
鹿島槍ヶ岳山頂が大分低くなり高度を上げてきたことが分かる。
急斜面の雪壁の向こうに冷池山荘が見えてきた。
冷乗越への雪渓のトラバースと登り。ここは滑落死亡事故も多かった
ところだし緊張する。とりわけこの時期の腐れ気味の雪はアイゼンの
利きが悪くしっかり雪を掴んでる感じがしない。その代わりバケツは
掘り易い。まあ無事に通過する。(1枚仲間の写真)
冷乗越に11:30頃。遅れている人を待つ。
乗越に出ると霞みがちだが正面に剱岳。
爺ヶ岳方面には種池山荘や針ノ木岳が望める。
南峰は大分夏道が出ているようだ。北峰前にはやはり人影はない。
ここで後続を待つリーダーと膝が心配なもう1人を置いて私と師匠2人は
先に進むことにする。進んでも13:30頃を一応のメドにする。
冷池山荘に12:00頃着。宿でまもなくの仲間の到着を知らせ、天気の
様相を確認すると、これから明日は間違いなく天気が崩れるということで
山頂に行くなら今しかない。アイゼンを用意しているうちに、遅れた人を
フォローしていたもう1人が宿に到着し、一緒に行くと出発する。
布引山へはしばらくの雪道の先はもう全く夏道のようだ。爺ヶ岳三峰も
山頂付近は雪がない。とにかく今年は雪が少ない。
樹林の向こうは立山から剣岳の稜線。
布引山まであと少し。この登りがきつい。しかし大展望。
布引山13:00頃。南峰までも全くの夏道で問題なさそう。
後30分では無理そうだが師匠と先に行くことにする。かなりハイペース。
13:30頃約束のメドになったがあと少しだ。私と師匠は荷をデポ
して山頂に向かう。もう一人はずっと遅れていて姿が見えない。
13:45頃山頂到着。北峰には装備も置いてきたし時間的にももう
行けない。北峰に人影はどこにも見えないので、東尾根組みは何らかの
事情で撤退したらしいと確信した。
宿に帰ってから「雪が少なく藪が酷くて撤退した」と連絡がすでに昼前
には入っていたと聞いた。
山頂で展望を満喫して降る。蓮華、針ノ木には針ノ木雪渓らしきが
確認できる。
私たちが少し降ったころもう1人が登ってきた。
14:00頃山頂を振り返ったとき彼が山頂直下にいるのが見えた。
もうこの頃から霧雨状に雨が降ってきた。風も出てきた。
宿に到着したのは15時を過ぎていただろう。宿で待っていた仲間から
東尾根組みは午前中で撤退したと宿に連絡があったと聞いた。
残念だが今年の小雪では仕方がないし、無理すればこの雨に遭遇する
ことになっただろう。ビバークとなればもっとヤバイ。
山頂に登った3人は10時間近くの行動時間だった。
私ともう1人はアラ古希で頑張った。私は最近とみに体力に自信がなく
なっているのだが、それなりにまだ頑張れるとうれしかったな。
師匠は喜寿過ぎだから凄いの一言。日頃の節制と鍛錬のたまもの。
この真似は私にはとても出来そうもない。
宿までで終わった3人の方が皆若かった。
連休中とはいえ今日は平日。天気も思わしくなく宿泊は我々だけだ。
この山荘に所縁のある人が連絡してくれていたお陰で宿の方でも
何かとサービスしてくれた。
雨はずっと降り続いた。風も相当強くなっている。
7日朝雨風が収まるのを待つが良くならない。やむを得ず8:30をメドに
準備をして下山開始。冷乗越から赤岩尾根に入るまで稜線は凄い風
だった。雨は降り続いている。
冷乗越下の危険なトラバースは師匠次に私で慎重に降る。そもそもの
腐れ雪が昨日から降り続く雨で一層グズグズとなりなんとも始末の
悪い、アイゼンの利きが悪いいやな雪になっていて怖かった。
何とか危険地帯を乗り越えたが、ひとつの失敗が取り返しのつかない
ことになりかねないのだから、本来はロープを出して安全を確保して
降るべきところだったろう。手間を惜しまないことだ。
雨に濡れた赤岩尾根は厳しかった。高千穂平に10:30頃。
この直下も悪い雪壁だ。これを降るまでアイゼンをつけて歩いた。
雨は少しずつ上がってきたが、ずっとガスの中の降りだった。
途中何度か休憩しながら降る。
かなり早くから沢水の音が聞こえてくるがそれからが長い。
下の堰堤が見える頃はもう12:30くらいになっていた。
湿った崖地にエンレイソウ、コバイケイソウ、コゴミなどが見られた。
コゴミの深い緑色が気持ちがいい。コバイケイソウの新葉が雨の滴を
マトイ美しいのだが、これをウルイと間違えて食中りする人がいる
とか、これは毒草である。見慣れれば間違いようもないのだが。
赤岩尾根登山口で少し休憩し大谷原へ。13:50頃には皆到着した
ようだから5時間強掛かったか。降りも鈍足組みにふさわしかった。
赤岩尾根は登りも降りもきつかった。
ともあれ悪天の中皆無事下山出来てよかった。
この晩は3人の登頂と皆の無事を祝し乾杯の宴会で過ごした。
翌朝帰京した。
朝の鹿島槍ヶ岳が出発時と同じように白く輝いていた。
(了)