福島の山
福島の山(西大巓、箕輪山)山スキー 16、2、19夜~22
もう何年も連続してスキーの祭典(山スキー)に参加しているが、
今回は予報どおり天気が悪く、消化不良の3日間となってしまった。
昨年は2日間天気に恵まれ、念願の西吾妻山から二十日平を降
ることが出来たし、雄国山のコースも行けた。
昨年は二十日平は滑れたものの余り良い雪質ではなく滑りに苦労
したので、もう一度行ければこれを快適に滑りたいと思いまた参加
したわけだ。しかし今頃の福島の気象はそんなにいい天気には
めったにならないのだ。
20日朝、予報は下り坂早ければ午後には雨か雪ということだ。
西大巓までなら登ったコースを降れるので、少々天気が悪くても可
能でゲレンデで滑っているよりはいいと出かける。
グランデコスキー場のゴンドラ、リフトを乗り継ぎ、終点でシールを
装着する。
10:10頃からリーダーが各自のビーコンのチェックを行ってから
登り始める。オオシラビソに付着している雪は明らかに昨年より
少ない。先行者の踏み跡はしっかり付いている。
12名と多いのでリーダー班とO2班とに分けてO2班から進む。
まあほとんど一緒に行動することにはなるだろうが。
踏み跡は付いているしラッセルにはならないので交代するほどの
こともないが、10分くらいで先頭を順に担当して進む。
快適な登りだが少々暖かい。温度調節。
10:40頃になると早くもガスが出てきた。
11時頃にはガスがいよいよ濃くなる。まだこの辺でもオオシラビソ
はモンスターになっていない。雪が少ないのは明らか。
山頂の稜線に出る前大きな広い斜面があるはずで、そこをまずは
目指したのだが、私たちより先に歩いていたグループが上に見えた
ので広い斜面より少し右寄りに進んでしまった。
そのグループを追い越すと先は急なカリカリ斜面となり、樹林も密で
踏み跡もなくなってしまった。このときはまたO2が先頭になっていた。
進めなくはないがちょっと躊躇する厳しい感じなので、後ろから来る
リーダー組みを待つ。天気も怪しい。
追いついてきたリーダーがここで止めて降ることにしましょうと決断
した。私たちが追い越したグループも登ってこない。11:30頃。
樹木の下など足場を確保できるところでシールを外し、滑走の準備。
雪面は板を脱いでも全く潜らないくらい硬かった。
風が吹き抜けるので雪面が固まっているわけで、休むにも適当な所
ではないので直ぐに降ることにする。
リーダーは転んだり遅れそうな人を補佐して行くというのでO2班
から降ることにする。しかし出だしはカリカリだし、樹林は密でどう
ルートをとるか滑り始めが難しかった。横に移動しても先は崖のよ
うでいいところはない。ともかく登ってきたらしいところを滑り降りる。
硬いところを過ぎると踏み跡もはっきりし、これを大きくは外さない
ように滑っていく。皆も順に着いてくる。しかし後と余り離れないよう
にするために長い時間は滑れない。
雪質は少し重いがまあまあかな。
度々止まっては後ろを待つが、1人股関節を傷めたままで参加し
たとか、登りで痛み出したらしく滑るに滑れず酷く遅れる人が出た。
転んだときはリーダーが補佐するものの如何ともし難かったようだ。
12時頃少し広めの場所があったのでここで昼飯休憩とする。
このとき樹林帯の向こうに磐梯山が見えていた。
思い思いに休み昼食を取る。磐梯山の山頂は雲に覆われて見え
ない。天気はどうみても良くはなりそうもない。ここでまた遅れ気味
だった人がメガネのレンズを雪の中に落としたとか、皆も手伝って
探したがとうとう見つからず。足を傷めている上片目状態になって
しまったのでこの人はこの後余計滑れなくなってしまった。
滑り出すところで雄国沼も見えた。12:15頃。
ほとんどの人は休憩場所から15~20分くらいでゲレンデに降り
着いた。この降りはゲレンデも近いので途中からは各自自由に滑り
降りる。ここは雪もよく皆さん楽しんだようだ。
ところが足を傷めたうえ片目状態になってしまった人と付き添って
いるリーダーがなかなか降りてこない。
雪が降り始めていた。私たちが降り着いてから40分以上待って
ようやくリーダーから隣のリフト終点に降りたと連絡があった。
ともかく連絡が付いたので下で待ち合わせることにして私たちは
ゲレンデを降る。
ところが遅れた人はゲレンデの途中でリーダーとも逸れて、皆が首
を長くして待ってもなかなか降りて来なかった。相当よれよれになっ
てしまったらしい。
そもそもは山スキーのかなりなベテランらしく、(股関節を傷めて普
通に歩くのにビッコを引くほどと後で知ったが)身体の不調を押して
でも滑れると思っていたようだ。
年でもあり無理はいけませんね。自分が辛いだけでなく皆に迷惑を
掛けることに結局はなるからだ。
超ベテランと思われた人がこんなことではリーダーは大変だ。
(後の2日間はゲレンデスキーにしてもらった。)
昨年から思えばほんの少し登りほんの少し滑り降りただけに終わ
り、それも長くは滑れなかったがまあ一応山に入れた。
宿に帰ってからは山スキー組みはゲレンデ組みより一足早く楽しい
宴会である。山スキーの女性陣はいつものことながら皆さんとても
元気で賑やかである。私は半分は女性陣から元気をもらうために
参加しているようなものだ。
**
翌21日は朝から雨が強く降っていた。天気予報も1日良くない。
山スキー組みは自由行動と決まった。
女性陣のほとんどは観光に行ったようだ。男性陣は猪苗代スキー場
でゲレンデスキー。
雨だったので少し出発も遅らせたのだが、ゲレンデに出かける頃は
一時的に晴れてきたりした。しかしやはりその後は吹雪となったり
晴れ間が覗いたり、濃いガスが出たり、荒れ模様の天気だった。
猪苗代の一角か隣にミネロスキー場があり、この最上部に二つを繋ぐ
連絡道がある。これを二度ほど使ったが、高いので風は唸り、雪道は
完全に氷となり酷く危ない状態だった。翌日は閉鎖されていたとか。
これを使わなければ行けない猪苗代の最上部のバーンがある。昨年
は10cmくらいの新雪が乗り滑るとこれが舞い上がり最高に気持ち
良かったが、今回はテラテラのアイスバーン斜面となっていた。
ともかく1日風が強く寒かったので山には行かなくてよかった。
男性陣4名は猪苗代ゲレンデのほとんどを1日滑った。
この夜はゲレンデ組みと合わせて宿で大宴会。昨日から飲みすぎ
である。私はこうなると反って目がさえて眠れなくなり往生した。
まあ最後には眠り込んだようで翌日に持ち越すことはなかったから
良かったが。ときおりこんなことがある。
**
22日余りいい天気ではないものの回復傾向ということだ。
それでも今日は帰京するので長い時間は取れない。
リーダーは今回のメインに鉄山から派生する尾根を降り、迷い沢
を渡るコースに行きたかったらしい。しかし今年は酷く雪が少ない
ので迷い沢を渡渉するのが難しいかもしれない(大人数だし)とい
うこと、なによりこの2日間が天気が悪かったのでお預けである。
今日は短い時間で往復できる箕輪山に行く事にした。11名。
ところがスキー場のリフトを降りてみると目の前の斜面はブッシュ
だらけ。ブッシュがほぼ全部出ているほど雪が少なくびっくりだ。
これはどうにもならない感じだが、ともかくシールを付けて少し歩い
て様子を見る。かなり寒い。9:10頃か。
昨夜少し降ったはずの雪は風に飛ばされて雪面は硬いアイス
バーンになっている。なにより笹の葉に積った雪で頭が垂れてその
先端が雪に埋まり丸くワッカとなって、自然のトラップがあちこちに
出来ている。滑っていてこれに板が入れば酷い転倒をしかねない。
これは箕輪山に登るのも容易ではなく、滑り降りるのは更に危険
なことになりそうで箕輪山は諦めることにした。ともかくもう一つ上の
リフト終点までは歩く。直ぐにスキーアイゼンを付けなければならな
いほど雪面は硬く凍っていた。9:20頃。
スキーアイゼンを付ける場面はそうは多くないので付けて歩いた
ことのない人にはいい練習になったでしょう。
雪面は硬いがアイゼンが効けば歩くのは難しくはない。
ガスが強く寒かったが、霧氷がとてもきれいだった。
墨絵の世界ですね。9:30頃。
寒いけれどなかなかきもちのいい歩行訓練となりました。
9:40頃から山歩きを止めて上のリフトからのスキー場連絡道に
降りる。
連絡道をリフト終点に登る。上からスキーヤーが降ってくる。
この辺りの霧氷もかなりきれいだった。
今回はこの霧氷が唯一の慰め。
10:10頃には最上部リフトの終点。
シールを取り滑走の準備をしているうちに少し晴れてきた。
連絡道を下るうち晴れ間が広がってきた。確かに回復傾向。
もう少し青空になれば霧氷がもっときれいに見えるだろう。
10:30頃にはかなり晴れてきたが私たちの山スキーは終わり
である。なんとも上手くいかないタイミングの悪い天気だった。
しかしあの硬く凍り少ない雪では頑張って滑るのも楽しくはないし、
危なくてどうにもならないのは変わらない。
今回は一つも山頂を踏めずに終わってしまったからなんとも消化
不良な山スキーではあったが、最初から酷く天気予報が悪くある程
度は予想されたことだったので仕方がない。とはいえ個人的には
いっそのことゲレンデスキー参加に変えようか大分迷ったほどだ。
その方が正解だったかもしれないが、山スキー仲間が大勢集まる
という楽しみに加われたからいいでしょう。
スケジュールを組んで天気に関わらず行くのだから2,3年に1回
くらいしか天気に恵まれない。天気のいい時を狙っていくのは個人
で計画すればの話になる。
もう何年も連続してスキーの祭典(山スキー)に参加しているが、
今回は予報どおり天気が悪く、消化不良の3日間となってしまった。
昨年は2日間天気に恵まれ、念願の西吾妻山から二十日平を降
ることが出来たし、雄国山のコースも行けた。
昨年は二十日平は滑れたものの余り良い雪質ではなく滑りに苦労
したので、もう一度行ければこれを快適に滑りたいと思いまた参加
したわけだ。しかし今頃の福島の気象はそんなにいい天気には
めったにならないのだ。
20日朝、予報は下り坂早ければ午後には雨か雪ということだ。
西大巓までなら登ったコースを降れるので、少々天気が悪くても可
能でゲレンデで滑っているよりはいいと出かける。
グランデコスキー場のゴンドラ、リフトを乗り継ぎ、終点でシールを
装着する。
10:10頃からリーダーが各自のビーコンのチェックを行ってから
登り始める。オオシラビソに付着している雪は明らかに昨年より
少ない。先行者の踏み跡はしっかり付いている。
12名と多いのでリーダー班とO2班とに分けてO2班から進む。
まあほとんど一緒に行動することにはなるだろうが。
踏み跡は付いているしラッセルにはならないので交代するほどの
こともないが、10分くらいで先頭を順に担当して進む。
快適な登りだが少々暖かい。温度調節。
10:40頃になると早くもガスが出てきた。
11時頃にはガスがいよいよ濃くなる。まだこの辺でもオオシラビソ
はモンスターになっていない。雪が少ないのは明らか。
山頂の稜線に出る前大きな広い斜面があるはずで、そこをまずは
目指したのだが、私たちより先に歩いていたグループが上に見えた
ので広い斜面より少し右寄りに進んでしまった。
そのグループを追い越すと先は急なカリカリ斜面となり、樹林も密で
踏み跡もなくなってしまった。このときはまたO2が先頭になっていた。
進めなくはないがちょっと躊躇する厳しい感じなので、後ろから来る
リーダー組みを待つ。天気も怪しい。
追いついてきたリーダーがここで止めて降ることにしましょうと決断
した。私たちが追い越したグループも登ってこない。11:30頃。
樹木の下など足場を確保できるところでシールを外し、滑走の準備。
雪面は板を脱いでも全く潜らないくらい硬かった。
風が吹き抜けるので雪面が固まっているわけで、休むにも適当な所
ではないので直ぐに降ることにする。
リーダーは転んだり遅れそうな人を補佐して行くというのでO2班
から降ることにする。しかし出だしはカリカリだし、樹林は密でどう
ルートをとるか滑り始めが難しかった。横に移動しても先は崖のよ
うでいいところはない。ともかく登ってきたらしいところを滑り降りる。
硬いところを過ぎると踏み跡もはっきりし、これを大きくは外さない
ように滑っていく。皆も順に着いてくる。しかし後と余り離れないよう
にするために長い時間は滑れない。
雪質は少し重いがまあまあかな。
度々止まっては後ろを待つが、1人股関節を傷めたままで参加し
たとか、登りで痛み出したらしく滑るに滑れず酷く遅れる人が出た。
転んだときはリーダーが補佐するものの如何ともし難かったようだ。
12時頃少し広めの場所があったのでここで昼飯休憩とする。
このとき樹林帯の向こうに磐梯山が見えていた。
思い思いに休み昼食を取る。磐梯山の山頂は雲に覆われて見え
ない。天気はどうみても良くはなりそうもない。ここでまた遅れ気味
だった人がメガネのレンズを雪の中に落としたとか、皆も手伝って
探したがとうとう見つからず。足を傷めている上片目状態になって
しまったのでこの人はこの後余計滑れなくなってしまった。
滑り出すところで雄国沼も見えた。12:15頃。
ほとんどの人は休憩場所から15~20分くらいでゲレンデに降り
着いた。この降りはゲレンデも近いので途中からは各自自由に滑り
降りる。ここは雪もよく皆さん楽しんだようだ。
ところが足を傷めたうえ片目状態になってしまった人と付き添って
いるリーダーがなかなか降りてこない。
雪が降り始めていた。私たちが降り着いてから40分以上待って
ようやくリーダーから隣のリフト終点に降りたと連絡があった。
ともかく連絡が付いたので下で待ち合わせることにして私たちは
ゲレンデを降る。
ところが遅れた人はゲレンデの途中でリーダーとも逸れて、皆が首
を長くして待ってもなかなか降りて来なかった。相当よれよれになっ
てしまったらしい。
そもそもは山スキーのかなりなベテランらしく、(股関節を傷めて普
通に歩くのにビッコを引くほどと後で知ったが)身体の不調を押して
でも滑れると思っていたようだ。
年でもあり無理はいけませんね。自分が辛いだけでなく皆に迷惑を
掛けることに結局はなるからだ。
超ベテランと思われた人がこんなことではリーダーは大変だ。
(後の2日間はゲレンデスキーにしてもらった。)
昨年から思えばほんの少し登りほんの少し滑り降りただけに終わ
り、それも長くは滑れなかったがまあ一応山に入れた。
宿に帰ってからは山スキー組みはゲレンデ組みより一足早く楽しい
宴会である。山スキーの女性陣はいつものことながら皆さんとても
元気で賑やかである。私は半分は女性陣から元気をもらうために
参加しているようなものだ。
**
翌21日は朝から雨が強く降っていた。天気予報も1日良くない。
山スキー組みは自由行動と決まった。
女性陣のほとんどは観光に行ったようだ。男性陣は猪苗代スキー場
でゲレンデスキー。
雨だったので少し出発も遅らせたのだが、ゲレンデに出かける頃は
一時的に晴れてきたりした。しかしやはりその後は吹雪となったり
晴れ間が覗いたり、濃いガスが出たり、荒れ模様の天気だった。
猪苗代の一角か隣にミネロスキー場があり、この最上部に二つを繋ぐ
連絡道がある。これを二度ほど使ったが、高いので風は唸り、雪道は
完全に氷となり酷く危ない状態だった。翌日は閉鎖されていたとか。
これを使わなければ行けない猪苗代の最上部のバーンがある。昨年
は10cmくらいの新雪が乗り滑るとこれが舞い上がり最高に気持ち
良かったが、今回はテラテラのアイスバーン斜面となっていた。
ともかく1日風が強く寒かったので山には行かなくてよかった。
男性陣4名は猪苗代ゲレンデのほとんどを1日滑った。
この夜はゲレンデ組みと合わせて宿で大宴会。昨日から飲みすぎ
である。私はこうなると反って目がさえて眠れなくなり往生した。
まあ最後には眠り込んだようで翌日に持ち越すことはなかったから
良かったが。ときおりこんなことがある。
**
22日余りいい天気ではないものの回復傾向ということだ。
それでも今日は帰京するので長い時間は取れない。
リーダーは今回のメインに鉄山から派生する尾根を降り、迷い沢
を渡るコースに行きたかったらしい。しかし今年は酷く雪が少ない
ので迷い沢を渡渉するのが難しいかもしれない(大人数だし)とい
うこと、なによりこの2日間が天気が悪かったのでお預けである。
今日は短い時間で往復できる箕輪山に行く事にした。11名。
ところがスキー場のリフトを降りてみると目の前の斜面はブッシュ
だらけ。ブッシュがほぼ全部出ているほど雪が少なくびっくりだ。
これはどうにもならない感じだが、ともかくシールを付けて少し歩い
て様子を見る。かなり寒い。9:10頃か。
昨夜少し降ったはずの雪は風に飛ばされて雪面は硬いアイス
バーンになっている。なにより笹の葉に積った雪で頭が垂れてその
先端が雪に埋まり丸くワッカとなって、自然のトラップがあちこちに
出来ている。滑っていてこれに板が入れば酷い転倒をしかねない。
これは箕輪山に登るのも容易ではなく、滑り降りるのは更に危険
なことになりそうで箕輪山は諦めることにした。ともかくもう一つ上の
リフト終点までは歩く。直ぐにスキーアイゼンを付けなければならな
いほど雪面は硬く凍っていた。9:20頃。
スキーアイゼンを付ける場面はそうは多くないので付けて歩いた
ことのない人にはいい練習になったでしょう。
雪面は硬いがアイゼンが効けば歩くのは難しくはない。
ガスが強く寒かったが、霧氷がとてもきれいだった。
墨絵の世界ですね。9:30頃。
寒いけれどなかなかきもちのいい歩行訓練となりました。
9:40頃から山歩きを止めて上のリフトからのスキー場連絡道に
降りる。
連絡道をリフト終点に登る。上からスキーヤーが降ってくる。
この辺りの霧氷もかなりきれいだった。
今回はこの霧氷が唯一の慰め。
10:10頃には最上部リフトの終点。
シールを取り滑走の準備をしているうちに少し晴れてきた。
連絡道を下るうち晴れ間が広がってきた。確かに回復傾向。
もう少し青空になれば霧氷がもっときれいに見えるだろう。
10:30頃にはかなり晴れてきたが私たちの山スキーは終わり
である。なんとも上手くいかないタイミングの悪い天気だった。
しかしあの硬く凍り少ない雪では頑張って滑るのも楽しくはないし、
危なくてどうにもならないのは変わらない。
今回は一つも山頂を踏めずに終わってしまったからなんとも消化
不良な山スキーではあったが、最初から酷く天気予報が悪くある程
度は予想されたことだったので仕方がない。とはいえ個人的には
いっそのことゲレンデスキー参加に変えようか大分迷ったほどだ。
その方が正解だったかもしれないが、山スキー仲間が大勢集まる
という楽しみに加われたからいいでしょう。
スケジュールを組んで天気に関わらず行くのだから2,3年に1回
くらいしか天気に恵まれない。天気のいい時を狙っていくのは個人
で計画すればの話になる。