八ヶ岳、県界尾根
県界尾根から赤岳 14,11,22・23
新雪のアルパインルートを期待して、県界尾根から赤岳を目指す。
22日清里から清里スキー場までタクシー。ここから40分ほど歩いて
県界尾根取り付き点付近でテント泊とする。ところが見上げる赤岳
は赤茶色で雪が付いている様子がない。たっぷりの新雪は期待でき
そうもないがこればかりは仕方がない。
今回はペアを組んだ同士でテントから明日の登攀までやることに
しているので、テント村が出現する。テントを設営し明日の打ち合わ
せを兼ねて宴会です。大人数なので外しかないが寒かった。
この晩長野県北部で大きな地震があり(神城断層地震)、緊急地
震速報を受けた人達は起こされ揺れを感じたそうだが、私は何も
知らずに寝ていた。
私のテントは4人で朝3時起きでラーメンをかき込み、4時15分頃
歩き始める。まだ全く暗闇である。登り口は分かっているし私は何回
かここを登っているので先頭で歩く。先に出発した組も多いはずだが
見えない。
夏道で小天狗まで約1時間だ。その頃には前を行く何組かに追い付
いた。この登りは道が掘られて段差が大きく結構きつい。
暗闇をランプの明かりを頼りに登るのは、周りが見えず無念無想に
なれるから私はさほど嫌いではないが、これは好き好きだろうな。
多分そのせいか10分ほど前に出た組に追いついたから少しペース
が速くなったようだ。
県界尾根のどの辺かは分からないが、6時頃遠く富士山が朝日を
浴びて見えてきた。赤くは焼けなかったようだが素晴らしい。写真に
はやっと写る程度。
6:10頃ようやくしらじらと明けてくるが、もうこれで出発から2時間
近く掛かっている。ここは大天狗までが長い。
大天狗を過ぎた辺りか、6:30頃完全に明けてきて赤岳が薄赤く
染まる。残念ながらモルゲンロートというほどにはならなかった。
2時間以上歩いているのにまだこれから。もう一登りして鎖の付い
た壁に出てからが本番で遠い。
富士山もじっくり構えて撮れば素晴らしいのだろうが、歩きながら
撮っているので、枝が重なってしまった。
横岳が見えてきた。この辺りで最初のテント4人組が解体し、私の
ペアが先に進む形になった。6:40頃。
(kさんの写真)
樹林越しに天望荘が見えてきた。6:55頃。
7:10頃鎖場のある壁付近。ここで相棒とアンザイレンし、コンテで
進むことにして相棒にリードを託す。壁には全く雪が付いてないので
アイゼンは履かずに登る。このとき壁の前に数組が到着していた。
各組とも皆ロープが長いのでロープのまとめ方などをレクチャーする。
(鎖場前、kさんの写真)
鎖を頼りに壁を登ると少し先にルンゼが出てくる。ここも鎖は完全
に出ているが、薄い雪に覆われているので手前でアイゼンを装着す
る。後続メンバーたちにも指示する。
雪の多いときは結構な斜度に見えるのでこのルンゼの登攀はロープ
を出す。
今回は雪は少ないもののリードの訓練だったから、ロープを出しビレ
イし相棒にリードしてもらえば良かったのだが、後ろが大勢待ってい
ることもありコンテでアンザイレンしたばかりだし、そのまま進んだ。
鎖を掴めば全く問題ない。一応鎖にセルフビレイを取りながら登る。
ルンゼの先を少し登ると、天望荘へのトラバースルート入り口が
ある。前回11年5月には4人で10時前頃スキー場を出発して赤岳
を越えて天望荘泊まりの予定だったが、上に行く時間がなくなりこの
トラバースルートを行くことになった。ところがルートは腐りかけた雪
面となっていて、斜度はさほどではないものの崩れそうでえらく気持
ち悪かったことを思い出す。残雪期を狙うならもう一月早く来る必要
があったようだ。
今回は赤岳山頂へのルートを辿る。山頂が覆いかぶさるように見え
これからがきつそうだ。
振り返ると後続メンバーも登ってきている。7:50頃。
その先の長い梯子を登って。雪はこんな程度。8:05頃。
この先は鎖の付いた岩場でほぼ雪はなかった。アイゼンを履いた
岩登りである。モミソ沢アイゼントレが早速役に立つ。
8:15頃。後続のペアが大分離れた。
8:20過ぎには山頂小屋が頭の上に見えてきた。
8:40前には山頂に到着する。最初の鎖のある壁から約1時間半。
大分下に後続の何組かが見える。
本峰に8:45頃。テント場から4時間半だ。
権現岳の向こうに南アルプス。しかし霞んでる。
到着記念写真です。赤岳には冬になるとお世話になるな。
9時頃には後続隊が続々と到着する。
富士山も霞んでいる。登ってきた県界尾根を見下ろす。やはり
長く大きな尾根で、沢から尾根までかなりあることが分かる。
山頂の仲間たちの様子。
山頂でゆっくりした後降り始める。直下の岩場付近で2組の後続
パーティーとすれ違う。そしてさらに天望荘へのトラバースルート口
付近で最後尾の組とすれ違う。9:40頃。
ここから山頂まで1時間ほど掛かるし、休んだ時間とこの降りの時間
で1時間程、合わせて2時間ほどもペースが違う計算になる。
随分じっくりリードの練習をやっているようだから、更に時間が掛か
りそうだ。
私たちも降りの場面で、半マストでの下降とか懸垂下降の練習を
しながら降っていった。それでも最初の鎖のある壁下に10:55頃に
は到着した。同じテントの組も到着した。ロープはここで外す。
登りはルンゼまでアイゼンは着けなかったが、大天狗からここまで
少し雪があったので、降りでもありアイゼンを履いたまま降っていく。
大天狗でアイゼンを脱ぎ休憩。
11:50頃振り返って赤岳を展望する。引っ張ると山頂に沢山の人が
いるのが分かる。
赤岳天狗尾根と権現岳。そして赤岳から天望荘、横岳。
11:55頃。
県界尾根のほぼ全貌が見渡せる場所。少し待つと同じテントの組
が現れいい被写体になる。12:15頃。
この先の小天狗で小休止し沢へ向かって降る。この降りは結構
段差が大きく、登りは暗闇の中であまり気にしなかったが大変だ。
私たちはほぼ13時頃にはテント場に降りついた。
同じテントの2人も直ぐに降りて来たのでテントを撤収したのだが、
途中で最終組と2時間以上の差があったわけだから、少しテント内
でコーヒーでも飲んでゆっくりしていれば良かった。まあいつもなら
あわただしく撤収するのが原則だから。(もしかしたら最終組は山頂
まで行かなかったかもと思っていたこともあるし。)
後続組を待っている間昨夜の地震が結構大きかったらしいことを
知らされたが、被害のほどを知ったのは家に帰り着いてからだった。
最も震度の大きかった小谷村には知り合いがいる。問い合わせて
くれた仲間によると、怪我や家屋の倒壊といった大きな被害は幸い
なかったようでホッとしたが、ライフラインが大きな被害を受けている
らしいから、しばらく困難に直面するだろう。心配である。それにして
も自然災害が多発しており、日本列島が活発に鳴動し始めたことは
確かなようで、今後どうなっていくのやら。どうであれ私たちに出来る
ことはほとんどないが。
その後の組はぼつぼつ帰り着いたが、最終組はやはり私たちより
2時間半以上後に降ってきた。待つ間が非常に寒かった。テントは
撤収してしまったし荷物もまとめたので、お湯を沸かすことも出来な
いでいたから。
こうなると寒さ対策は軽く運動するしかない。私は腕立て伏せやスク
ワットで温まる。これが整理体操になったようで翌日筋肉痛を全く感
じなかった。お陰でクールダウンの運動の効果を再確認することに
なった。
皆が降りついたところでスキー場まで降りタクシーで清里駅。
地震によりあずさなどが止まる恐れもあったが、幸い動いていた。
わりと待ち時間も少なく順調に帰宅できた。
(今回はどうもポイントで写真が撮れてなく、分かりにくい。
朝が早すぎる行動は頭が目覚めぬままらしい。
幾つか仲間の写真をお借りしました。)
新雪のアルパインルートを期待して、県界尾根から赤岳を目指す。
22日清里から清里スキー場までタクシー。ここから40分ほど歩いて
県界尾根取り付き点付近でテント泊とする。ところが見上げる赤岳
は赤茶色で雪が付いている様子がない。たっぷりの新雪は期待でき
そうもないがこればかりは仕方がない。
今回はペアを組んだ同士でテントから明日の登攀までやることに
しているので、テント村が出現する。テントを設営し明日の打ち合わ
せを兼ねて宴会です。大人数なので外しかないが寒かった。
この晩長野県北部で大きな地震があり(神城断層地震)、緊急地
震速報を受けた人達は起こされ揺れを感じたそうだが、私は何も
知らずに寝ていた。
私のテントは4人で朝3時起きでラーメンをかき込み、4時15分頃
歩き始める。まだ全く暗闇である。登り口は分かっているし私は何回
かここを登っているので先頭で歩く。先に出発した組も多いはずだが
見えない。
夏道で小天狗まで約1時間だ。その頃には前を行く何組かに追い付
いた。この登りは道が掘られて段差が大きく結構きつい。
暗闇をランプの明かりを頼りに登るのは、周りが見えず無念無想に
なれるから私はさほど嫌いではないが、これは好き好きだろうな。
多分そのせいか10分ほど前に出た組に追いついたから少しペース
が速くなったようだ。
県界尾根のどの辺かは分からないが、6時頃遠く富士山が朝日を
浴びて見えてきた。赤くは焼けなかったようだが素晴らしい。写真に
はやっと写る程度。
6:10頃ようやくしらじらと明けてくるが、もうこれで出発から2時間
近く掛かっている。ここは大天狗までが長い。
大天狗を過ぎた辺りか、6:30頃完全に明けてきて赤岳が薄赤く
染まる。残念ながらモルゲンロートというほどにはならなかった。
2時間以上歩いているのにまだこれから。もう一登りして鎖の付い
た壁に出てからが本番で遠い。
富士山もじっくり構えて撮れば素晴らしいのだろうが、歩きながら
撮っているので、枝が重なってしまった。
横岳が見えてきた。この辺りで最初のテント4人組が解体し、私の
ペアが先に進む形になった。6:40頃。
(kさんの写真)
樹林越しに天望荘が見えてきた。6:55頃。
7:10頃鎖場のある壁付近。ここで相棒とアンザイレンし、コンテで
進むことにして相棒にリードを託す。壁には全く雪が付いてないので
アイゼンは履かずに登る。このとき壁の前に数組が到着していた。
各組とも皆ロープが長いのでロープのまとめ方などをレクチャーする。
(鎖場前、kさんの写真)
鎖を頼りに壁を登ると少し先にルンゼが出てくる。ここも鎖は完全
に出ているが、薄い雪に覆われているので手前でアイゼンを装着す
る。後続メンバーたちにも指示する。
雪の多いときは結構な斜度に見えるのでこのルンゼの登攀はロープ
を出す。
今回は雪は少ないもののリードの訓練だったから、ロープを出しビレ
イし相棒にリードしてもらえば良かったのだが、後ろが大勢待ってい
ることもありコンテでアンザイレンしたばかりだし、そのまま進んだ。
鎖を掴めば全く問題ない。一応鎖にセルフビレイを取りながら登る。
ルンゼの先を少し登ると、天望荘へのトラバースルート入り口が
ある。前回11年5月には4人で10時前頃スキー場を出発して赤岳
を越えて天望荘泊まりの予定だったが、上に行く時間がなくなりこの
トラバースルートを行くことになった。ところがルートは腐りかけた雪
面となっていて、斜度はさほどではないものの崩れそうでえらく気持
ち悪かったことを思い出す。残雪期を狙うならもう一月早く来る必要
があったようだ。
今回は赤岳山頂へのルートを辿る。山頂が覆いかぶさるように見え
これからがきつそうだ。
振り返ると後続メンバーも登ってきている。7:50頃。
その先の長い梯子を登って。雪はこんな程度。8:05頃。
この先は鎖の付いた岩場でほぼ雪はなかった。アイゼンを履いた
岩登りである。モミソ沢アイゼントレが早速役に立つ。
8:15頃。後続のペアが大分離れた。
8:20過ぎには山頂小屋が頭の上に見えてきた。
8:40前には山頂に到着する。最初の鎖のある壁から約1時間半。
大分下に後続の何組かが見える。
本峰に8:45頃。テント場から4時間半だ。
権現岳の向こうに南アルプス。しかし霞んでる。
到着記念写真です。赤岳には冬になるとお世話になるな。
9時頃には後続隊が続々と到着する。
富士山も霞んでいる。登ってきた県界尾根を見下ろす。やはり
長く大きな尾根で、沢から尾根までかなりあることが分かる。
山頂の仲間たちの様子。
山頂でゆっくりした後降り始める。直下の岩場付近で2組の後続
パーティーとすれ違う。そしてさらに天望荘へのトラバースルート口
付近で最後尾の組とすれ違う。9:40頃。
ここから山頂まで1時間ほど掛かるし、休んだ時間とこの降りの時間
で1時間程、合わせて2時間ほどもペースが違う計算になる。
随分じっくりリードの練習をやっているようだから、更に時間が掛か
りそうだ。
私たちも降りの場面で、半マストでの下降とか懸垂下降の練習を
しながら降っていった。それでも最初の鎖のある壁下に10:55頃に
は到着した。同じテントの組も到着した。ロープはここで外す。
登りはルンゼまでアイゼンは着けなかったが、大天狗からここまで
少し雪があったので、降りでもありアイゼンを履いたまま降っていく。
大天狗でアイゼンを脱ぎ休憩。
11:50頃振り返って赤岳を展望する。引っ張ると山頂に沢山の人が
いるのが分かる。
赤岳天狗尾根と権現岳。そして赤岳から天望荘、横岳。
11:55頃。
県界尾根のほぼ全貌が見渡せる場所。少し待つと同じテントの組
が現れいい被写体になる。12:15頃。
この先の小天狗で小休止し沢へ向かって降る。この降りは結構
段差が大きく、登りは暗闇の中であまり気にしなかったが大変だ。
私たちはほぼ13時頃にはテント場に降りついた。
同じテントの2人も直ぐに降りて来たのでテントを撤収したのだが、
途中で最終組と2時間以上の差があったわけだから、少しテント内
でコーヒーでも飲んでゆっくりしていれば良かった。まあいつもなら
あわただしく撤収するのが原則だから。(もしかしたら最終組は山頂
まで行かなかったかもと思っていたこともあるし。)
後続組を待っている間昨夜の地震が結構大きかったらしいことを
知らされたが、被害のほどを知ったのは家に帰り着いてからだった。
最も震度の大きかった小谷村には知り合いがいる。問い合わせて
くれた仲間によると、怪我や家屋の倒壊といった大きな被害は幸い
なかったようでホッとしたが、ライフラインが大きな被害を受けている
らしいから、しばらく困難に直面するだろう。心配である。それにして
も自然災害が多発しており、日本列島が活発に鳴動し始めたことは
確かなようで、今後どうなっていくのやら。どうであれ私たちに出来る
ことはほとんどないが。
その後の組はぼつぼつ帰り着いたが、最終組はやはり私たちより
2時間半以上後に降ってきた。待つ間が非常に寒かった。テントは
撤収してしまったし荷物もまとめたので、お湯を沸かすことも出来な
いでいたから。
こうなると寒さ対策は軽く運動するしかない。私は腕立て伏せやスク
ワットで温まる。これが整理体操になったようで翌日筋肉痛を全く感
じなかった。お陰でクールダウンの運動の効果を再確認することに
なった。
皆が降りついたところでスキー場まで降りタクシーで清里駅。
地震によりあずさなどが止まる恐れもあったが、幸い動いていた。
わりと待ち時間も少なく順調に帰宅できた。
(今回はどうもポイントで写真が撮れてなく、分かりにくい。
朝が早すぎる行動は頭が目覚めぬままらしい。
幾つか仲間の写真をお借りしました。)