奥穂高岳・南稜 3 | 鬼川の日誌

奥穂高岳・南稜 3

  奥穂高岳・南稜  14.5.4・5   続き


  山頂で展望を楽しみ休んだ後、結構寒いので穂高岳山荘目指して
 降り始める。少し歩くと槍ヶ岳が見えてくる。
 

  槍ヶ岳の左後ろぎりぎりぐらいが立山で多分剣岳は見えないだろう。
 その左手が水晶岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳そして薬師岳と黒部五郎岳
 といったところか。
 槍ヶ岳の右手前は北穂でその間奥にに針ノ木岳、蓮華岳などがある
 はずだが、良く分からない。


  山頂から降り、下に山荘が見下ろせる位置からは相当な急雪壁と
 なる。雪のないときはただ少し急坂というだけなのだが。ここは事故
 も多く厳しいところだ。12:40頃。




  N隊は雪壁上にある懸垂支点を使って、懸垂でここを12:30頃
 には降ったらしい。


  12:45頃には下に降りついた。


  私たちも懸垂支点は見つけたのだが、下降の確保用に使い、ピッチ
 を切り、少しずつバックステップで降ったので時間が掛かった。
 奥穂山頂まで登ったかなり大勢の人が一斉に降っていて、上から雪の
 塊がヘルメットにぶつかる。ここは事故の多いところで、運が悪ければ
 人が降って来る恐怖もあった。私たちが降っているところを先に降りて
 いたNさんが撮った写真。


  結局私たちはN隊から1時間遅れて降りついた。


  笠ヶ岳と常念岳。


  山荘に到着したK隊の面々。Nさんが撮ってくれた。


  全員無事山荘に到着し、部屋も決まり落ち着いてから、お酒を買って
 乾杯である。ちょうど入口横のストーブの周りが空いていた。目標達成
 後のお酒は文句なく最高である。
 神戸から1人で来た元山岳同士会だという爺さんも、途中から話に加
 わってきた。この人は食事後の部屋での酒盛りにも、お酒を差し入れて
 入ってきた。1人でさびしかったのかも。
 予報でどうも明日は最悪の天気になりそうだが、私たちはもう降るだけ
 だから心配はない。しかし横尾から上高地の歩きはいつもながら最後
 の最後でとても長い。
 そういえば6年前は更に岳沢に張ったテントを回収に行ったのだから、
 相当疲れたが。

  朝起きてみると予報どおり悪天、猛烈な吹雪である。
 装備を着けて外に出る。元山岳同士会の爺さんは予定ではかなり困難
 なコースを単独で辿るような話だったがこれは無理でしょう。
 行かなかったと思うけど。


  白出のコルは吹き飛ばされそうな風だったが、私たちはコルから
 その下の雪壁に入り降っていく。直ぐに風下で風は収まるがガスで
 何も見えない急雪壁を慎重に降る。
 前回はここをシリセードで降ったが、スピードをコントロールしないと
 危ないし、ズボンが擦れて一発でオシャカにしてしまう。
 それ様に何か用意しないとその度にズボンを駄目にするなどとても
 もったいなくて出来ない。


  5月のこの雪壁では雪崩事故もあったところで、やはり猛烈なデブリ
 地帯を降ることになる。もう落ちるだけ落ちているようだし、今朝は寒く
 締まっているから大丈夫だが。


  最後の急斜面を降り、涸沢小屋をガスの中に見て、涸沢ヒュッテの
 テント場を過ぎる。穂高岳山荘を7時少し前頃に出て8:20頃である。


  ヒュッテ下を降る頃から雨に変わってきた。


  本谷橋を渡ると雪も少なくなり夏道となる。岩小屋を10時頃通過。


  横尾に10:25頃着き少し休む。


  徳沢園に11:40頃。この間が一番長いかな。長い雨の中の歩きで
 疲れるが我慢である。少し休む。


  猿の群れを見かけることが多くなっている。


  明神に12:30頃か。


  その後1時間掛からず上高地に着いたときはすっかりびしょ濡れ
 である。
 ここで東京組みはタクシーで沢渡へ、名古屋組はバスでアカンダナ
 駐車場までで、分かれる。お世話になりました。

  沢渡で着替えて帰京。連休の終わりですから中央高速はいつもの
 ように、小仏トンネル付近で30kmの大渋滞。
 事故もあったようで、我慢ガマンで通過。遅くはなりましたが、その日
 のうちには帰宅できました。

  5日の悪天にもかかわらず、南稜に取り付いたグループが遭難寸前
 で救出されるなど、この日は遭難のニュースが相次ぎ、亡くなった方も
 いた。
 5月の穂高は天気が悪くなれば、完全な冬山です。
 諸条件で無理をしたくなることがあるのでしょうが、実際に稜線で吹雪
 かれた身からすれば、あの悪天で突っ込むのは「判断ミス」でしょう。
 トリコニー下で動けなくなった8人もの人たちはヘリで救出されたようで
 大量遭難にならず良かった。
 穂高の別の場所で亡くなられた方々のご冥福を祈ります。

  それにしてもこの冬、厳しい思いをすることもあったが、私はほとんど
 の企画を完遂しました。
 余程ついていたのでしょう。これで一つの区切りにしなさいということ
 なのかなと思っています。