鎌倉散歩 2
鎌倉七口を歩く その2 13,6,18
軽い散歩に行きましょうということで、鎌倉七口の中
まだ残っていた朝比奈と名越切通しを、池子米軍住宅
の周りを巡る、やまなみルートで繋いで歩くことにした。
私はどこも何回か歩いたことはあるが、通して歩いた
ことはない。
JR大船駅からバスに乗り朝比奈下車。
少し戻ると入り口案内看板がある。
緩い坂を登っていくと、工場らしき建屋の横に切通し
解説板がある。切通しの上を横横道路が通っている。
10:00頃。
(朝夷奈は一夜にして切通しを切り開いたという伝説
の朝夷奈三郎の名から。反対側に三郎滝がある。)
入っていくと直ぐに切通しとなる。往時は重要な
物資の輸送路兼防衛拠点だったのだろうが、ノミの
他にはどんな道具を使って切り開いたのだろうか?
一夜どころか相当な難工事だったようだ。
道を緩やかに登っていくと、熊野神社への分岐。
熊野神社はうっそうとした林の中にある。
しっかり手入れされた立派な神社です。
奥宮に上がると、名木指定されたスダジイの大木がある。
この奥宮からやまなみルートに繋がるらしい道がある。
今回は切通しにまた戻り、十二所の方へ通して歩く。
切通しの最高点の峠。崖に彫られた仏様。
周りはヤグラが沢山ある。10:30頃。
峠を越えると湿った岩畳のような道となる。
崖も湿っているので、イワタバコが見られるが、もう
花は終わり気味である。
三郎の滝と十二所側切通し入り口。
十二所神社まで歩くと、梶原太刀洗い水なども見られ
るが、今日はここから十二所果樹園を抜けてやまなみ
ルートに入ることにする。
果樹園は収穫時期には閉まっている事もあり心配
したが、門は開いていて中に入れた。地元の人たちが
ジャガイモを収穫していた。90歳になるという元気な
お爺さんが快く私たちを休ませてくれ、熟した梅の実を
少し分けてくれた。生でも食べられるそうで、いい香り
がする。11:00頃。
果樹園を一番上まで登ると、やまなみルートに出る。
この付近にはいつもきれいなヤマユリが咲いている。
やまなみルートはあまり知られていない散歩道だ。
旧池子弾薬庫(今は米軍の池子住宅地となっている)
の周りをぐるっと巡る道で、コンクリート塀や鉄条網に
沿って歩くことになる。
鉄塔に分岐の標識。久木大池に行く。
また看板がありこれに従い山腹を下っていくと、
久木大池に出る。出口にやまなみルートの看板あり。
ちょうど12時頃で、ここの東屋でお昼とする。
ここから上の通りに出る。逗子ハイランドの東端の
大通りを歩き、横須賀線にぶつかった所で鎌倉方向に
少し歩き、路地に入ると通りを跨ぐ様に山門がある。
猿畠山の額が掲げられている。この奥が法性寺である。
法性寺にも門があるから夜中には通れないようだ。
寺の奥の急な階段を登る。12:50頃。
猿畠山の社がある。左手の崖に洞窟があり、鎌倉
での布教中に暴漢に襲われた日蓮が白猿に導かれて
隠れていたという伝説の岩屋らしい。
その裏手は現代の墓地であり、崖に彫られたヤグラ
群の中であるから、昔の墓地と共存しているわけだ。
背景に見える崖が大切岸。
大切岸の上に登っていくと大きな洋館がある。
鉄条網を張り巡らしものものしい。
洋館の先に案内板があり、名越切通しの一角である。
まんだら堂跡から第一切通し方面に進む。
まんだら堂は公開が終わったところで、見学出来ず。
この先が切通しで、騎馬が通れないほど狭く作って
あり、この上には戦闘用員が待機できる広場になって
いて、上から見下ろすことが出来る。
抜けたところにこの名越切通しの説明版がある。
それによると今の切通しは800年の昔のものとは全く
変わってしまっているどころか、江戸時代の様子も
大分下の地層に埋もれているようだとのこと。
明治以前まで使い続けられて来た、重要な交通路
だったようだ。13:20頃。
名越切通しの本体や大切岸の上を歩くにはもう一度
戻る必要があったのだが、住宅街に降ってしまったので
今日はこのまま名越トンネルを抜けて鎌倉駅まで歩き
散歩を終わることにした。
鎌倉までは結構な距離がある。40分くらい掛かった
のではないか?
鎌倉駅前に着くと適当な休憩の出来る店は一杯で
入れない。飲み屋はまだ開いてない。仕方なく食堂の
ような店で打ち上げの一杯を飲み終了。
名越切通しの核心部と大切岸辺りの探索がまた残って
しまったが、これはまたの機会にしようと思う。
軽い散歩に行きましょうということで、鎌倉七口の中
まだ残っていた朝比奈と名越切通しを、池子米軍住宅
の周りを巡る、やまなみルートで繋いで歩くことにした。
私はどこも何回か歩いたことはあるが、通して歩いた
ことはない。
JR大船駅からバスに乗り朝比奈下車。
少し戻ると入り口案内看板がある。
緩い坂を登っていくと、工場らしき建屋の横に切通し
解説板がある。切通しの上を横横道路が通っている。
10:00頃。
(朝夷奈は一夜にして切通しを切り開いたという伝説
の朝夷奈三郎の名から。反対側に三郎滝がある。)
入っていくと直ぐに切通しとなる。往時は重要な
物資の輸送路兼防衛拠点だったのだろうが、ノミの
他にはどんな道具を使って切り開いたのだろうか?
一夜どころか相当な難工事だったようだ。
道を緩やかに登っていくと、熊野神社への分岐。
熊野神社はうっそうとした林の中にある。
しっかり手入れされた立派な神社です。
奥宮に上がると、名木指定されたスダジイの大木がある。
この奥宮からやまなみルートに繋がるらしい道がある。
今回は切通しにまた戻り、十二所の方へ通して歩く。
切通しの最高点の峠。崖に彫られた仏様。
周りはヤグラが沢山ある。10:30頃。
峠を越えると湿った岩畳のような道となる。
崖も湿っているので、イワタバコが見られるが、もう
花は終わり気味である。
三郎の滝と十二所側切通し入り口。
十二所神社まで歩くと、梶原太刀洗い水なども見られ
るが、今日はここから十二所果樹園を抜けてやまなみ
ルートに入ることにする。
果樹園は収穫時期には閉まっている事もあり心配
したが、門は開いていて中に入れた。地元の人たちが
ジャガイモを収穫していた。90歳になるという元気な
お爺さんが快く私たちを休ませてくれ、熟した梅の実を
少し分けてくれた。生でも食べられるそうで、いい香り
がする。11:00頃。
果樹園を一番上まで登ると、やまなみルートに出る。
この付近にはいつもきれいなヤマユリが咲いている。
やまなみルートはあまり知られていない散歩道だ。
旧池子弾薬庫(今は米軍の池子住宅地となっている)
の周りをぐるっと巡る道で、コンクリート塀や鉄条網に
沿って歩くことになる。
鉄塔に分岐の標識。久木大池に行く。
また看板がありこれに従い山腹を下っていくと、
久木大池に出る。出口にやまなみルートの看板あり。
ちょうど12時頃で、ここの東屋でお昼とする。
ここから上の通りに出る。逗子ハイランドの東端の
大通りを歩き、横須賀線にぶつかった所で鎌倉方向に
少し歩き、路地に入ると通りを跨ぐ様に山門がある。
猿畠山の額が掲げられている。この奥が法性寺である。
法性寺にも門があるから夜中には通れないようだ。
寺の奥の急な階段を登る。12:50頃。
猿畠山の社がある。左手の崖に洞窟があり、鎌倉
での布教中に暴漢に襲われた日蓮が白猿に導かれて
隠れていたという伝説の岩屋らしい。
その裏手は現代の墓地であり、崖に彫られたヤグラ
群の中であるから、昔の墓地と共存しているわけだ。
背景に見える崖が大切岸。
大切岸の上に登っていくと大きな洋館がある。
鉄条網を張り巡らしものものしい。
洋館の先に案内板があり、名越切通しの一角である。
まんだら堂跡から第一切通し方面に進む。
まんだら堂は公開が終わったところで、見学出来ず。
この先が切通しで、騎馬が通れないほど狭く作って
あり、この上には戦闘用員が待機できる広場になって
いて、上から見下ろすことが出来る。
抜けたところにこの名越切通しの説明版がある。
それによると今の切通しは800年の昔のものとは全く
変わってしまっているどころか、江戸時代の様子も
大分下の地層に埋もれているようだとのこと。
明治以前まで使い続けられて来た、重要な交通路
だったようだ。13:20頃。
名越切通しの本体や大切岸の上を歩くにはもう一度
戻る必要があったのだが、住宅街に降ってしまったので
今日はこのまま名越トンネルを抜けて鎌倉駅まで歩き
散歩を終わることにした。
鎌倉までは結構な距離がある。40分くらい掛かった
のではないか?
鎌倉駅前に着くと適当な休憩の出来る店は一杯で
入れない。飲み屋はまだ開いてない。仕方なく食堂の
ような店で打ち上げの一杯を飲み終了。
名越切通しの核心部と大切岸辺りの探索がまた残って
しまったが、これはまたの機会にしようと思う。