鎌倉散歩 | 鬼川の日誌

鎌倉散歩

   鎌倉七口を歩く、その1  13,6,1




  29日に関東地方の梅雨入り発表があり、30日の
 予定を中止し、少しくらいの雨でも歩ける鎌倉に1日
 行くことにした。ところがいい天気になった。
 今日は鎌倉七口といわれる切通しの中、五つを繋げ
 歩いてみることにする。私も大仏切通しは歩いてない。
 またこうしてルートを作って歩いたこともない。

  江ノ電長谷駅に集合。
 
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  駅から星の井どおりに出て極楽寺坂を目指すと途中
 星の井(鎌倉十井の一つ)がある。

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  また傍に虚空蔵菩薩堂があるので拝んでいく。

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  その先が極楽寺坂切通し、といっても全く面影もなく
 今は立派な車道となっている。走りやすくするために
 広げたばかりではなく、急坂を掘り下げたらしい。

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  道沿いに成就院があり階段、坂を登って山門に着く、
 この山門の位置が、昔の切通しの高さだったといわれ
 ている。それなら相当な急勾配の道だったと思われる。
 坂の途中から振り返ると、鎌倉の海岸が望める。

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  弘法大師と不動明王像がある。

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  降りの階段のアジサイ。

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  極楽寺坂を降ると、江ノ電の向こうに極楽寺がある。

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  極楽寺は昔は裏通りに出られたが、今は抜けられず。
 また山門に戻り、花を見ながら稲村ガ崎小学校方向に
 進み、その前の路地に入る。

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  いわゆる谷戸といわれる狭い谷間の中にある集落
 (馬場ヶ谷)を抜けていくと、最後に急坂を登り、長谷
 配水池に着く。
 結構な高台で展望台もあるのだが、林に遮られ展望は
 ない。私は何回かここで宴会をやったことがあり、いい
 テーブルがあったのだが、なくなっている。

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  配水池を反対側に降っていくと、途中から長谷駅
 (高徳院、大仏)方面と源氏山方面(大仏ハイキング
 コース)に分岐する。そして源氏山方面に少し登ると
 大仏切通しへの道が分岐する。
 (この辺は大仏トンネルの上になる。)

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  この道を入ると大仏切通しとなる。

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  途中団地に降る分岐、この先火の見下バス停までが、
 切通しである。鎌倉は史跡から一歩降ると団地になる。
 史跡のほとんどは失われている。

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  今回歩いたうちではここが一番切通しの面影の残った
 コースである。

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  火の見下の集落に出る前にかなり大きなヤグラが
 崖に彫られている。ヤグラは鎌倉の山のいたるところに
 見られるが、葬送の場だったと言われている。現代の
 ような個人という概念がなかったわけであるから、今の
 お墓というものはなかったのだろう。説明書によると
 荼毘に付した跡もみつかるらしいから、火葬はしたら
 しい。それにしても鎌倉の山は全体が墓地のようなもの
 だといえそうだ。乏しい明かりでこうした場所を夜中に
 歩くのは難儀で恐ろしいことだったのだろう。 
  
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  この大仏切通しは反対側から入り口が分かりにくい。
 集落を抜けると通りに出たところが火の見下バス停だ。
 入り口を確認した。
 その後また切通しを戻り、大仏ハイキングコースを
 歩く。ハイキングコース中間にカフェテラス「樹」がある
 ので寄ってみる。
 なかなか素敵なところです。のんびりおいしいコーヒー
 を味わうのもいいですが、ジョッキ一杯のビールがそれ
 より少し高いくらいとなれば、ノンべはビールでしょう。
 陶器のジョッキでおいしいです。今日は散歩です。

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  空気の澄んでいる頃はここから樹間に富士山を望む
 ことも出来るが、この日は駄目だった。
 休憩後ハイキングコースを進み、佐助稲荷に寄ってみる。
 結構な急坂を降り、稲荷を見物しまた上がる。

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  ハイキングコースを源氏山公園まで歩きここでお昼
 とする。頼朝像の近くの広場でお弁当を広げる。直ぐに
 頭の上をトンビが舞い始め、よくおにぎりを持っていか
 れるから注意してとか話していたのだが、ちょっと油断
 した隙に一人がおにぎりをさらわれてしまった。まったく
 野生のスピードに人間はついて行けないことが良く理解
 できる。それにしてもびっくりする。

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  源氏山公園から少し戻り、化粧坂を降る。急な坂だが
 今は一部しか残っておらず、説明板の下はもう舗装され
 てしまっている。 

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  白いアジサイが咲いていた。

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  化粧坂の道から横須賀線のガード下を潜っていく。
 カンゾウがきれいに咲いている。ニッコウキスゲは山の
 花で珍重されるが、これは道端の花である。
 岩船地蔵堂の傍を通り、亀ヶ谷坂に入る。

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  亀ヶ谷坂(かめがやつざか)を大勢の学生たちが反対
 側から降ってくる。ここも立派舗装道路になっているが、
 幹線道路ではないので急坂として残っている。

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  一部昔の崖が残っている。

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  亀ヶ谷坂を越えて大通りに出て、鎌倉駅方面に進むと
 建長寺。先に進むと巨福呂坂トンネルである。この上が
 巨福呂坂切通し(址)である。しかし付近には入り口は
 なく、鶴ヶ丘八幡宮近くに降ったところにある。
 一旦休憩で八幡宮に寄る。物凄い人出である。

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  巨福呂坂に入ってみるが、巨福呂址というポールが
 立っているだけである。ここは史跡としても整備もされ
 ていない。史跡めぐりの一団が歩いていたけれど。

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  途中青梅聖天社があるので登ってみる。

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  また道祖神や庚申塔などがあるだけ。

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  道を人家の脇に入り込んでみたが、先は薮になる。
 薮を強引に分けていくと抜けられない崖になる。多分
 ここまで来る人はいないから、この崖もみることはない
 だろう。
 切通しがどのように通っていたのかも分からない。

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  ここで私たちも引き返し、今日の鎌倉七口のうちの
 五つ(極楽寺坂切通し、大仏切通し、化粧坂切通し
 亀ヶ谷坂切通し、巨福呂坂切通し)のハイキングを終わ
 ることにした。残る二つは朝比奈切通しと名越(なごえ)
 切通しで、この二つが往時の面影を一番残した切通し
 であるが、大分離れている。
 この二つを間の池子米軍住宅周りの「やまなみルート」
 で繋いで歩くと、結構なハイキングコースとなり、これは
 次の楽しみとする。
 もう一度鶴ヶ丘八幡宮を抜けて鎌倉駅に帰る。
 それにしても通りは人で溢れ、普通には歩けない。
 鎌倉は何時来ても混雑しているが今日は土曜日だ。
 鎌倉駅で解散した。
 のんびり散歩だったが1万歩は歩いたという話だ。