西欧の中世 3
「カテドラルの世界」続き (『中世の星の下で』より)
「ヨーロッパにおいては王だけでなく、騎士たちや聖職者、そして12世紀
以降は市民も大聖堂を建立するようになる。
そして日常生活の次元では今日のわが国でお中元、お歳暮、お土産、何か
の援助に対するお礼、等々の形で残存している贈答の慣行は中世以降クリス
マスと誕生日、復活祭以外には日常的には行われなくなっていくのである。
このような変化をもたらした原因は一体何か。」が問われなければならない。
* 中世都市文化の成立
12世紀に花開くカテドラル芸術は何よりもまず都市文化の成立を前提とし
ていたし、その背景に農業技術の大きな進歩があった。
セーヌ川とライン川にはさまれた地帯で始まった三圃農法は、原理的には
収量が五割増となるほどの大きな成果をもたらし、春撒きの豆類の普及に
よるレグミン蛋白の摂取にもよって(栄養が改善され)人口が急速に増加
した。
11世紀にはヨーロッパのいたるところで大開墾が進み、新しい村が成立し、
12、3世紀になると東ドイツ植民もはじまり、バルト海沿岸にも新しい町
や村が生まれていった。
新しく成立した都市は商人と手工業職人を主たる住民とする生活空間として
発展していった。
* 贈与経済から貨幣経済へ
贈与慣行の支配する社会においては贈答は身分を決定する重要な役割を占め
ていた。贈物をするということは・・相手の人格に目的がある。貴方と付き
合いたいという希望の表明なのである。
この世界に生きていた人々にとって、人格的な触れ合いを求めずただ物
のみの交換に終始する商人とははじめ対等な人間関係を結ぶことが出来な
かった。
しかしながら商業は当時富を蓄積する最も強力な手段であったから、また
たくまに商人は巨大な富を(貨幣として)蓄積した。
贈与経済の時代は富は本来中世前期の王のようにおしげもなく再分配され
るべきものだったから、目に見えない形で(貨幣として)富を蓄積する商人
に不満が向けられていく。
そして「富んでいる者が神の国に入るよりはらくだが針の穴を通るほうが
もっと易しい」(マタイ伝)という富に対する中世全体を貫く基本的観念、
キリスト教の倫理は人々の不満(心性の奥底に潜む感情)に理論的な武器
を与え、商人は蔑視の対象となっていた。
こうした社会では「富を蓄積した商人自身心の内奥で良心の呵責に耐えか
ねていた。彼らは多額の寄進を教会や貧民に行い、心の傷を癒し、社会的な
承認をえようとしていた。」
* 富の再分配の要の役割
「教会もそれを奨励し・・これらの多額の贈与に対しては寄進者の霊のため
に祈り、その贈与物は貧民に施すという建前のもとで商人が蓄積した富を天と
貧民に再分配する要の役割を引き受けたのである。
商業の発達とともに、お返しのいらない贈与によって教会はますます豊か
になっていった。貧民に対する教会の援助はシンボリックな形で行われたに
すぎず、教会は実質的には貧民や乞食をなくそうなどと考えたことはただ
の一度もなかったからである。」
「その他教会は罪のゆるしを与える贖宥の制度をも11世紀に考え出した。
これは教会や橋の建設などに寄進した者に現世の罪の償いを免除する制度で
司教が与えることが出来た。
こうしてカテドラル建設の費用は土地領主でもあった司教領の住民自身の
負担の他にこれらのさまざまな寄進によってまかなわれていたのである。」
「人と人との関係のあり方を古来長期にわたって規定してきた贈与慣行が
売買による関係に転化してゆく際の人々の心の葛藤の隙間に極めて巧みに仲
介者として登場した教会がカテドラル建設の費用を調達しえたのはこうした
背景があったからなのである。」
* 贖宥符批判と贈与慣行の終末
「16世紀初頭にルターが、贖宥符(免罪符)の批判を行い、現世における
善行つまり貧民や教会への喜捨・寄進などの行為は天国における救いを約束
するものではない、とはっきり断言し、カトリック教会の財源に打撃を与えた
ときヨーロッパにおける古代的な贈与慣行は少なくともプロテスタント地域
では原理的には払拭された。
ルターの贖宥符批判によって中世の中に浸透していた古代が終末を迎えた
のである。そして11世紀からルターの登場までが大教会建築の最盛期で
あった。」
さらにこれらの大きな転換と並んでヨーロッパの人々の時間意識も古代的
な円環的、回帰的時間意識(「神の時間」)から、直線的な時間意識(「商人の
時間」)、近代的時間意識へと転換していく。
歯車時計が出現し、「今や空間も時間も具体的で計量可能な尺度によって計
られるようになり、人間と人間の関係に貨幣と分秒単位の時間という普遍的
な座標軸がおかれることになった。その座標軸の中で現在の私たちも生きて
いるのである。」
こうしてみるとキリスト教の浸透による古代的贈与慣行の取り込みやその
批判・克服などの過程を経ていない日本社会に贈答の慣習(贈与・互酬の
慣行)が根強く残っているのはなんら不思議ではないことになる。
そしてこのことは日本社会とそこに生きる自分を考えるうえで重要な指針
になることは間違いない。