マッターホルン ④
マッターホルン ④ 06,7,24・25
いよいよマッターホルンに挑戦です。
7月24日私とOzさんはヘルンリヒュッテまで行き,夜ガイドと
合流しました。一対一のガイドです。
二人のガイド共30歳前で若い。ガイドは持ち物を点検し
出来るだけ荷を軽くさせます。
(一緒にスイスに来た他の4人は既にマッターホルンには
登っている。二人はヴァイスホルン、他の二人は
オーバーガーベルホルンというより困難な山に挑戦です。)
シュバルツゼー
ダンブランシュ
オーバーガーベルホルンとツィナールロートホルン
7月25日夜明け前小屋で固いパンを飲み込んで、ガイドと
ロープを結び、数10組が一斉に取り付き目指して殺到し
アタック開始。
最初の取り付き固定ロープが一人ずつしか登れずいきなり
渋滞です。暗闇の中ランプを着けた大人数が我先に取り付いて
行くのは一種異様です。
最初の岩場はこの大人数が数珠つなぎで登っていくのでゆっくり
登るというわけには行かない。
真っ暗な中ヘッドランプを頼りにもくもくと登る。
少し幅が出来ると抜きつ抜かれつしながら進む。
マッターホルンは難しい岩登りがあるというわけではなく、3級程度の
岩が延々と続くという点が困難なわけである。
29歳の私のガイドミヒャエル
ソルベイ小屋下の固定ロープのところが渋滞していたので
ミヒャエルはロープのない岩場を登らせてくれました。
(もちろん彼が先行して確保してですが、これは印象的でした。
「ナイスクライマー」とかおだててくれましたね。)
ソルベイ小屋上の休憩場所から。後続のクライマーたちと下界。
ソルベイ小屋の上で10分ほど休憩してくれました。その間に
Ozさん組が追い抜いていきました。
このもう少し上でアイゼンを装着しました。
更に上の固定ロープの場所で何組もがガイドに確保されて
渋滞しているところ(固定ロープが太いし、岩に薄く氷が張り付いて
ロープを使わないで登っているようだった。)、ミヒャエルはロープを
掴むと岩を蹴って一気に登り始めた。彼の様子では私ぐらいは
ぶら下げても登るという感じだ。しかしぶら下がるわけにも行かず
私も固定ロープを掴み一気に登った。垂直の壁の張り付いた氷を
蹴って登るのは手応えあった。
山頂に近づく頃にはさすがに息が上がって苦しかったし疲れた。
およそ3時間半少しで山頂に着きました。
Ozさん組の方が5分ほど早かったようです。
イタリア側山頂の十字架が見えます。
山頂直下の休憩場(マリア像のあるところ)から北壁側を見下ろす
後続のパーティ
山頂からのダンブランシュ
ヴァイスホルン
岩壁に立つガイドとヴァイスホルン。絵になる
救助ヘリが来た。この写真も偶然の遭遇で狙えるものでは
ないですから、とても気に入ってます。
山頂側を見上げる
下山中ヘリによる救助の場面に遭遇。目の下1000mを吊り上げ
られる人を見た。ちょっとぞくぞくした。これは二人目。
ヘリが二人を吊り上げて行くまでここで待機していたことになる。
ソルベイ小屋前のミヒャエル
岩壁には太いピンが打ってあります。
ミヒャエルはピンにロープを巻くと「シットインアーネス」
(ハーネスに体重を掛けろ)と言って私をぶら下げるとロープを
滑らせて垂直の岩場を降ろしてくれます。場合によっては岩に
ロープを巻いて降ろします。
ヘボが岩にしがみついて降るより遥かに早いからです。
(ところが断崖ですからこれが結構怖い。ロープに慣れてないのか、
怖くて岩にしがみついている女性がいましたね。)
岩にロープを巻いて降ろされるとさすがに大丈夫かなという
気になりますね。ガイドにはロープは消耗品のようです。
客を下に降ろしてガイドはフリーで降りるわけですが、客には絶対に
確保はさせない。客は自分を下で確保していればいい。客の力量
などはある程度しか分からないわけだから信用していないのだし、
これくらいは彼らには何の問題もないわけだ。
休憩場所からのヘルンリヒュッテ
私はちょうど往復で7時間でした。取り付きのロープを降りたところで
ミヒャエルが「コングラッチュレイション」と言い握手してくれたときは
少しジーンと来ましたね。やはりうれしかったです。
登り終えてヘルンリヒュッテで休憩
ガイドと登頂の成功を祝って乾杯し、チップを払い、ミヒャエルの
署名入りの登頂証明書をもらいます。私はうれしくてチップをはずんだ。
ミヒャエルも喜んでいた。
お礼の言葉がまともに出ないのがもどかしい。
彼はまだ若くマッターホルンは4か5回目だと言っていた。
ヘルンリヒュッテで休憩した後Ozさんとツェルマットの町のホテル
に帰りました。
ヴァイスホルン組もオーバーガーベルホルン組みもすべて登頂に
成功していました。
この夜はレストランで祝杯を挙げました。
マッターホルン登頂後、氷河特急に乗りサンモリッツ周辺、
オーバーエンガディンの散策、イタリアへの列車の旅と楽しみました。
これも素敵な旅でしたが、結局山には登れなかったので
報告はこれで終わりにします。