北岳バットレス登攀 | 鬼川の日誌

 北岳バットレス登攀

  北岳バットレス第4尾根 07,8,24~26 のぼろ会個人 4名

 
  かつてのぼろ会にバットレス登頂隊というグループがあった。
 岩登りの訓練を積んで、ガイドに連れて行ってもらうのではなく、
 自分達の力でこのアルパインクライミングのクラシックルートを登る
 ということを目標にした。

  文字通りアルパインクライミングのロープワークのイロハから勉強を
 始め主に三つ峠の岩場で練習を重ねた。

  私はこの三つ峠の入門ルート中央カンテをツルベでつまり自分も
 リードしながら初めて登ったときの怖さと感激を忘れられない。

  その後残念ながらバットレス登頂隊という形では続けられなく
 なったが、その続編の形で御在所岳での岩登りの訓練に参加したり
 また雪山アルパインクライミングなどへの参加を続けきた。

  そうした訓練の成果として06年7月初めてのヨーロッパアルプス
 への挑戦でマッターホルンに登頂できた。

  07年5月には白馬岳主稜登攀(雪山アルパイン、7名)に参加、
 6月谷川岳南稜を登攀し一の倉尾根を抜けて谷川岳に登った
(5名)。
 南稜を登るだけでなく一の倉尾根を抜けたのはリーダーのOz氏の
 こだわりだったがとても良かった。

 
  そして8月バットレス登頂隊のいわば生き残りというか残党というか
 その4名での念願のバットレス第4尾根の登攀を実現した。
  登頂隊の時イロハから指導してくれたOz氏と講師役で今回
 ツルベのパートナーを組んでくれたH氏のおかげです。
 (Ozさんと組んだSさんと私の3人はこの三つの登攀すべてに参加した。)

  ① 私たちはbガリー大滝への道を間違えてdガリー大滝から
    取り付いたが、こちらからの方が難しかったようだ。
    とりわけ横断バンドの崩壊が激しく触る岩すべてが落ちるような
    有様でとても怖かった。

 

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  ② さらに4尾根取りつきに出るまでのリッジもかなり難しかった。
    (3級上)コールが聞こえなくなり意思疎通が出来なくなった。

  ③ 4尾根の取りつきに出てからH氏は一度登ったことがあるので
    私に先頭を譲ってくれた。この尾根は奇数ピッチに核心部がある。

 

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  ④ 1ピッチ目のクラック登りが核心の一つだがクラックに足を
    ねじ込んで立てればそう難しくはない。

 

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  ⑤ 3ピッチ目は斜度はゆるく快適なフェースだが長かったと思う。

  ⑥ 5ピッチ目出だしの3mの垂壁が核心部。私は直ぐ右に逃げた。
    そのままナイフリッジを攀じ登っていくとマッチ箱のピークである。
    ここの高度感は素晴らしい。少しガスが出てきた。

  ⑦ ピークから懸垂で下のテラスに10mほどの垂壁を下降する。

  ⑧ この上の広いフェース(6ピッチ目)をH氏が登り7ピッチ目を
    枯れ木テラスで区切りビレーしたと思う。12:27。
           枯れ木テラスからのマッチ箱のピーク

 

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   ⑨ そしてこの上が終了点である。13:06。
     終了点の直ぐ上のフェースにOz氏が記念に4人の名前を入れた
     ハーケンを打ち込んで残してくれた。

 

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   ⑩ 登山靴に履き替えたがこの上も易しいがスラブなので慎重に登り
     草付き帯を越えていくと登山道に飛び出す。
     山頂はここから直ぐだった。14:09。   

 

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   白根御池小屋へ下り4尾根登攀の成功を祝って乾杯。
  最高のビールだった。

   26日朝日に輝く4尾根を眺めて帰路に着いた。

 

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