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日曜日のキジバト

生成AI/創発/しごでき(にあこがれる)/うまくいく単純なアルゴリズム/読書/職場のストレス

キャリアや人生について考えるとき、私たちは無意識のうちに「何者かにならなければならない」というプレッシャーを背負っていることが多い。

でもその一方で、「別に“何者か”でなくてもいいのでは」と感じる瞬間がある。

では、そのような自由な感覚は、いったいいつから持てるようになるのだろうか?


1. 「何者か」になろうとする衝動はどこから来るのか

子どもの頃は「将来なりたいもの」があった。 学生時代は「夢」に近かった。 社会人になると「役職」や「職能」として、「何者か」であることが期待されるようになる。

この背景には、評価されたい、認められたいという欲求がある。 「役に立っている」「意味がある」と感じることで、自分の存在価値を支えてきた人は多い。

→ 気づきのヒント: “何者か”になろうとすることは、自己実現と承認欲求の交差点にある。 それ自体は悪いことではないが、長く続くと「常に証明し続けなければならない」という疲れも生まれる。


2. “何者かにならない自由”とはどういうことか

SNSや職場、コミュニティの中で「自分らしさ」や「強み」を求められる。 でも本当は、何者かであろうとしなくても、そこにいていいという感覚こそが、自分を楽にしてくれる。

それは、何もしていなくても大丈夫だと思える感覚。 他人と比較せず、肩書きや成果で自分を定義しないあり方。

→ 気づきのヒント: 「ただ生きていてよい」と思える時間は、安心感や信頼関係の中で生まれる。 それは、年齢や立場よりも、環境や関係性に依存している部分が大きい。


3. 自由は、疲れたときにこそ見えてくる

“何者か”であろうと頑張り続けた結果、燃え尽きる。 やる気が出ない、手が止まる、意味が見えなくなる──そんなとき、人は初めて「別に何者かにならなくてもいいのでは?」と思い始めることがある。

それは敗北ではなく、視点の変化だ。

→ 気づきのヒント: 「頑張らなくても大丈夫」という感覚は、一度どこかで“降りる”経験をして初めて得られることがある。 そして、その感覚こそが、次に何かを始めるときの土台になる。


おわりに

“何者かにならない自由”は、ある日突然得られるものではない。 少しずつ疲れを感じ、立ち止まり、問い直し、試行錯誤する中で、ようやく手に入るものだ。

自由とは、「何をするか」よりも「何を手放せるか」で決まることもある。

今この瞬間に、少しでも「何者かにならなくても大丈夫かも」と思えたなら── それは、あなたがすでにその自由の入口に立っている証かもしれない。

 

SNSで“いいね”がつくと、嬉しくなる。 それは「見てもらえた」「認められた」「共感してもらえた」ような感覚を与えてくれる。

でも、ふと疑問に思うことはないだろうか──

この“いいね”、本当に自分の投稿内容に対する評価なのだろうか?

この記事では、SNS上の“いいね”が持つ曖昧さと、自己評価をゆがめないための視点を整理する。


1. 「いいね」は文脈によって意味が変わる

SNSの“いいね”には、明確な意味づけがされていない。 感謝、賛同、応援、礼儀、相互フォローの継続、好意…など、理由はさまざまだ。

同じ投稿でも、「文章が面白い」と思った人と、「画像がきれい」と思った人と、「あなたの人柄が好き」と思った人では、“いいね”の中身がまるで違う。

→ 気づきのヒント: “いいね”の数=内容の良さ、とは限らない。 むしろ「どんな投稿にどんな人が反応したか」を見るほうが、手応えを正確に捉えられる。


2. 「お返しのいいね」や「社交的いいね」は意外と多い

フォローしている人に“とりあえずいいね”をする文化は、特にX(旧Twitter)では根付いている。

悪意はないが、そこに評価性はほぼない。 また、投稿者本人ではなく「プロフィール画像」「発信傾向」などに好感を持たれているケースもある。

→ 気づきのヒント: いいねの背景にある動機はコントロールできない。 「これは社交的なやつだな」と見抜ける距離感を持つと、感情が揺さぶられにくくなる。


3. “いいね”がなくても、価値ある発信はある

“いいね”がつかないと、「つまらなかったのか」「誰も見ていないのか」と思いやすい。 でも実際には、

  • タイミングが悪かった

  • 見られてはいるが共感が難しかった

  • 内容が深すぎてリアクションしづらかった という可能性もある。

また、読むだけで心に残る投稿は“いいね”しないまま閉じられていることも多い。

→ 気づきのヒント: 「反応はゼロ、でも必要な人には届いていた」可能性もある。 目に見える評価がすべてではない。


おわりに

“いいね”はうれしい。 でもそれが「自分の価値を測る唯一の指標」になってしまうと、SNSとの距離感が崩れてしまう。

見えない評価、反応しない読者、言葉にできない共感── それらを想像する余白があることで、発信はもっと自由になる。

“いいね”の中身を見つめすぎないことが、結局は自分らしい発信を続けるための土台になるのかもしれない。

 

「なんだかやる気が出ない」「集中できない」「何をするにも腰が重い」──そんな状態が続くと、自分を責めてしまいがちだ。

けれど、それは本当に「あなたのせい」なのだろうか? もしかしたら、あなたの思考が“疲れている”だけかもしれない。

この記事では、やる気の低下の背後にある「思考の疲労」のサインと、それに気づくための視点を紹介する。


1. 選択肢が多すぎて、脳が判断疲れを起こしている

毎日の仕事、情報、SNS、タスクの山──現代人の脳は「選び続けること」に疲れている。

特に40代以降は、「これは本当に自分に必要か?」と考え直す場面も増え、判断に時間と労力がかかるようになる。

→ 気づきのヒント: 「今日はなぜこれをやるのか」が分からないとき、それは“判断疲れ”のサインかもしれない。 ToDoを減らすより、「迷いを減らす」視点が重要になる。


2. 完璧にやろうとすることで、常に脳が緊張している

「ちゃんとやらなければ」「失敗してはいけない」──その意識が続くと、常に軽い“戦闘モード”になり、脳が休まらない。

これは自律神経の面でも緊張を生み、パフォーマンスを逆に落としてしまう。

→ 気づきのヒント: 「6割で一度止める」「メモレベルで済ませる」など、“手を抜く知恵”を持つこと。 やる気は、余白があってこそ戻ってくる。


3. 考える前に「感じる」余裕がなくなっている

思考が疲れてくると、感じる力が鈍ってくる。 音楽や風景、食事を楽しむ余裕がなくなると、「やる気がない」ではなく「感受性が低下している」状態になっている。

→ 気づきのヒント: 意識的に“情報を遮断する時間”を持つ。 スマホを1時間見ない、5分間窓の外を眺める──そうした「感じる時間」が、思考を回復させてくれる。


おわりに

やる気が出ないのは、意志の弱さではなく、“思考が疲れている”というサインかもしれない。

頭がフル稼働しすぎて、感じること、緩めること、止まることを忘れているだけ。

やる気を取り戻すには、まず「考えることを一時停止する勇気」が必要だ。

やる気がない日の自分にも、ひとつの“警告灯”として耳を傾けてみてほしい。それは、ちゃんと働き続けてきた証でもあるのだから。