評価されることと、生きていくことは別の話だ | 日曜日のキジバト

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生成AI/創発/しごでき(にあこがれる)/うまくいく単純なアルゴリズム/読書/職場のストレス

どれだけ頑張っても、評価されないことがある。
思いのこもった仕事が、数値で測られないことがある。
誰かの役に立った実感があっても、それが「成果」として記録されないこともある。

そういう瞬間に、ふと「このままでいいのか」と考えてしまう。
まるで、評価されなければ存在していないかのような錯覚に陥る。


でも、よく考えてみれば――
人が生きていくうえで、すべてを評価に還元できるわけではない。

きちんと休むこと、静かに考えること、
誰かにやさしくすること、ただ丁寧に暮らすこと。
そうした行為は、スコアにもランキングにも現れないけれど、
間違いなく「生きること」を支えている。


「評価されること」は、たしかに自信をくれる。
でも、それがなければ価値がないと思い始めると、
人生の大半が“無価値な時間”に見えてしまう。

そんなときは、そっと距離を取ってみる。
評価とは別のところで、自分が何を大事にしてきたのかを思い出す。
評価されなくても、自分が納得できる行動があったことを認めてみる。


仕事で、SNSで、あるいは家庭の中で、
評価は変わるし、文脈によって形を変える。
その一方で、「生きていること」そのものは、
もっと静かで、確かなものとして続いている。


評価されることと、生きていくことは、別の話だ。
そのことを忘れなければ、
たとえ誰にも見られていなくても、
自分の歩みを止めずにいられる。

そしてその先に、思いがけず届く評価もあるかもしれない。
けれどそれは、生きる理由の“おまけ”であって、目的ではない。