評価されない日の記録帳 | 日曜日のキジバト

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生成AI/創発/しごでき(にあこがれる)/うまくいく単純なアルゴリズム/読書/職場のストレス

すべての仕事が評価されるわけではない。
予定通り終わった日も、誰かの作業を支えた日も、報告書の影に埋もれて終わる。
特に大きな成果があるわけでもなく、ただ淡々と予定された作業を進めた日。

そのような一日は、なかったことのように流れていく。
けれど、そういう日にも、考えたことや動いたことは確かにある。


成果が記録されない日常

作業に追われながら、仕様の意図を読み解き、他者の動きに合わせて調整を行う。
リリース手順の確認、チケットの棚卸し、資料の再整理。
それらは進捗表には現れず、報告会で話題にされることもない。

だが、仕事が予定どおりに進んでいるときほど、こうした小さな作業の存在が見えにくくなる。
誰かがやってくれている、という前提のもとに成り立っている工程がある。


評価されない日に、何を残すか

そうした日々に、評価というかたちではなく、記録というかたちで残しておく方法がある。

  • 何に気づいたか

  • どこで迷ったか

  • 何を確認して、どう判断したか

これは他人に報告するための記録ではない。
自分が「たしかにやった」と言えるための記録。
そして、あとから同じ問題に出会ったとき、自分を助けてくれる記録でもある。


記録は、働き方の痕跡になる

数週間後、数か月後に振り返ったとき、「あの頃、何を考えていたのか」がまったく思い出せないことがある。
仕事はしていたはずなのに、何も残っていないように感じる。

そんなとき、短くてもいいから、自分の判断や観察を記しておくと、時間のつながりが回復する。
記録は、働いたという事実を補強するだけでなく、自分の中にあった視点や思考の断片を残してくれる。


評価されなかった仕事に、意味を与える

他人からの評価がなくても、その日考えたこと、選んだ判断、控えた行動には意味がある。
それを記録することで、自分の仕事に輪郭が戻ってくる。

評価がすぐに返ってこない日でも、仕事は進んでいる。
そしてその一歩一歩が、後の誰かの判断材料や、自分の安定感になっていく。


結びにかえて

評価されない日の記録は、誰かに見せるためではない。
静かに働いたという実感を、自分のために残しておくためのものだ。

目立たない仕事の中にも、確かに積み上げたものはある。
忘れ去られる前に、それをひとことでも記録しておく。
それだけで、日々の仕事は少しだけ意味を持ちはじめる。