長く同じような仕事を続けていると、自分の中に何が残っているのか、わからなくなるときがある。
目に見えるスキルや、履歴書に書ける成果よりも、日々の中で積み上がってきたものは、もっと静かで、言葉にしにくいかたちをしている。
経歴に残らない行動
人から見えるのは、役職や資格、担当したプロジェクトの名前などだ。
だが、実際の仕事の中で繰り返されるのは、もっと小さく、単調で、記録されない行動の積み重ねであることが多い。
たとえば:
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エラーになりそうな箇所を先回りして確認する
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あいまいな指示を文脈で補う
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誰も言わないがやっておいた方がいいことを、そっと済ませる
こうした行動は、誰にも報告されず、履歴にも残らず、当然のように日常に溶けていく。
それでも、そうした“無名の判断”が、現場をなめらかに保っている。
評価されなくても、確かにやっていた
すぐに反応が返ってこない作業や、感謝されることのない対応にも、手を抜かず向き合ってきたことは、仕事の記憶として静かに残っていく。
誰にも褒められなかったが、誰かが安心して作業を続けられるように工夫した日。
誰にも気づかれなかったが、失敗を避けるために念のため確認した夜。
そういう行動のひとつひとつが、目立たずに積もっていく。
振り返ったとき、「あのときもちゃんと考えていた」と思えることが、かたちのない手応えになる。
積んだものは、言葉にしておかないと見えない
静かに積み上がってきたものは、記録しない限り、見えないまま消えてしまう。
それが本当に価値のあるものだったかどうかは、あとになってみないと分からない。
だが、自分自身が「これは意味があった」と思えるように、せめて言葉にしておくことはできる。
たとえば、やりとりのメモ、判断の理由、設計に含まれていた迷いの部分。
そういったものを残しておくことで、次に同じことに向き合うとき、かすかな足がかりになる。
「積んでいない」と感じる日があるからこそ
何年やっても、自分には何も積めていないように感じる日がある。
もっと成果を出している人、もっと上の役割を担っている人と比べて、自分の成長が見えないと感じるときもある。
だが、目に見えるものだけが積まれていくわけではない。
誰にも評価されなくても、言葉にされなくても、確かに仕事に向き合ってきた時間は、自分の中に残っている。
結びにかえて
何かを「積んだ」と言えるには、目に見える証拠が必要だと思われがちだ。
けれど、静かに積まれたものもある。外には見えなくても、日々の判断や丁寧さ、くり返された工夫の中に確かに存在している。
それらは、ただの自己満足ではなく、自分の中に根を張るような経験となって、次の行動を支えてくれる。
静かに積んだものは、静かなままでも、意味がある。