波乱の沖縄県知事選挙:今口にできるのは、臆病者の戯言だけ | “迷い”と“願い”の街角で

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確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

波乱の沖縄県知事選挙が終わりました。
良いことではないのかもしれませんが、選挙戦開始当初から可能な限り情報に触れないようにしてきました。
悪質な誹謗中傷、デマの流布、脅迫めいた言動など、先の兵庫県知事選挙のように、目にするだけで心身を蝕まれるように感じたからです。

選挙結果については、様々な意見が出されています。
インターネット、SNSを通じたデマの流布による影響も指摘されていますが、さすがに、それだけで今回ほど得票数に差が出るようにも思えません。
感覚的なものに過ぎませんが、アメリカでトランプ氏が大統領に選出されたように、現状を変えることへの希望が強かったのではないでしょうか。

しかし、暗澹たる気分ではあります。
今回のことで、ますます政治に関する言論空間が、誹謗中傷、デマ、脅迫などで占められていき、政治に関する考えを述べる、ただそれだけで多大な代償を払う危険を背負うようになってしまったと感じます。
労働環境において重視されるようになってきた心理的安全性が、政治に関しては全く図られなくなってきたのではないでしょうか。

政治に限らず、インターネットでの誹謗中傷などでは何人もの人間が亡くなっています。
それが社会問題として、対処されてきた、はずでした。
しかし、それを止められないまま、いつしかインターネットが原因で人が死ぬことに慣れてしまった、それどころか、開き直りさえされているようにも感じることがあります。

政治に関する議論が、誹謗中傷やデマ、脅迫を厭わない人達によって占められていき、普通の良識や道徳、共感性を持った人達には耐え難い場となっていく。
普通の感覚を持った人達が脱落していく中、残った人達はますます悪質な攻撃の格好の標的となっていく。
そして、その人達も脱落するか、生活、健康、家族、仕事、知人、挙句には生命まで、人生の大切なものを破壊されていく。
最後には、悪質な攻撃を厭わずに行えるような人達だけが政治的な言論を行い、彼らが好むような政治が実現していく。
そのようなディストピアが、本当に来るのではないかと不安でなりません。

そのようなディストピアにならないようにするためにも、声を上げることを諦めない、それが正論かもしれません。
しかし、言葉のこん棒を嬉々として振り下ろし、人の不幸や死さえも笑う人達が跳梁跋扈する中、それは、今殺されるか、いずれ殺されるかの違いでしかないのかもしれないと感じてしまいます。

今は何も答えを出せないでいます。
これ以上、誰かが傷つくのを見たくない、今言えるのは、そのような、現実に傷つく人がいながらどうすることもできずに目を背ける臆病者の戯言だけです。

(追伸)
8月に訪れた埼玉県春日部市のひまわり畑と近くの児童館です。
児童館には、春日部市在住のクレヨンしんちゃんのキャラクター達がいました。
昔、NHK「みんなのうた」で流れた又紀仁美さんの「ひまわり」という歌が印象に残っています。
1番と2番それぞれのサビ直前の箇所が特に印象深いものでした。
「「誰のために咲くか」よりも、背筋のばしきれいでいよう。いつもおなじ微笑みは、そうむずかしいけど。」
「誰もいない月の夜も、空をじっと見上げていた。胸の奥の哀しみを、そう越えてくように。」
このように凛として生きられたら、と思います。