目指すべき価値を確認する重要性:オバマ大統領の広島でのスピーチ | “迷い”と“願い”の街角で

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確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

去る5月27日、オバマ大統領が、アメリカの大統領として初めて、広島を訪問し、記念碑への献花、スピーチ等を行いました。


見る方の立場によって、スピーチの内容や広島での行動には細かい不満も表明されてはいますが、一般的には、歴史的な瞬間として、評価を得ているように思います。


アメリカの大統領としての立場がある以上、スピーチで表明できる内容には制約があったことでしょう。だからこそと言うべきか、スピーチの内容は、普遍性が高く、多くの方々の共感を得るものとなったのではないかと思いました。とはいえ、「あたりさわりのない」ものにとどまっているわけではなく、人間観、歴史観、個々人の生活に対する視点が織り込まれており、印象深いものとなったと感じました。


このスピーチが行われたからといって、核兵器の廃絶への動きが急速に進むわけではないでしょう。それは、オバマ大統領自身が、「私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。」と言っているとおりです。


しかし、それでも、オバマ大統領が、核兵器の廃絶を目指すこと、戦争の根絶に努めること、その背景には、人間が生まれながらに持つ生命の自由、幸福を希求する権利があることをスピーチにおいて確認し、安倍首相もそれに賛同する発言を行ったことは、非常に重要なことだと思います。


理想の実現は非常に困難です。しかし、理想とは異なる現実を受け入れざるを得ない状況が長く続いたとしても、それでもなお、目指すべきことを忘れずに、常に現実の中で努力すれば、少しずつでも改善していく、少なくとも事態の悪化を最小限に食い止められるのではないでしょうか。


日本においては、実現不可能な理想など捨て去って、日本も核武装を進めるべきという意見や、人権というものを軽視するような意見が、インターネット上だけでなく、責任ある立場の方からも、非常に軽々しく発せられる状況がみられます。


確かに、人間は本質的に愚かで醜いかもしれません。それでも、本当の優しや清らかさも間違いなく持っています。欲望の強い力の前では、そんな美しさは非力かもしれません。だからこそ、その非力な美しさを絶やさないように、現実とは違う理想でも、守って踏みとどまる必要があるのではないかと感じました。