雑草の強く優しい生命:金子みすゞ『しば草』 | “迷い”と“願い”の街角で

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確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

東日本大震災後に流れていた公共広告機構(AC)のCMで、金子みすゞ氏の『こだまでしょうか』が話題になりました。同氏の作品としては、ほかにも、「みんなちがって、みんないい」のフレーズで有名な『わたしと小鳥とすずと』などがありますが、私の印象に強く残ったものとして『しば草』というものがあります。


しば草は、つまらない雑草。その一方で、綺麗な花や玩具にして楽しく遊べる草がある。けれども、原っぱに、そんな草花しかなかったら、遊び疲れても、腰かけることも寝ることもできない。そして、しば草を、「青い、じょうぶな、やわらかな、たのしいねどこ」と讃えます。


誰もが華やかに生きられるわけではありません。そして、華やかに生きる人だけでは、世の中は成り立ちません。目立たずとも、優しく強い生き様があります。


これを、「弱者の視点」ということもできるでしょう。しかし、「弱者」という言葉からは憐憫が感じられるのに対して、この『しば草』からは、そのような印象を感じません。むしろ感じるのは、あらゆる生命への優しさです。


可憐な生き様も、目立たない生き様も、幸せな時も、苦しい時も、それは表面上の様子であって、その奥を見てみれば、変わらない生命の輝きがあります。


表面部分は環境に大きく左右され、その表面部分の迷いや混乱に、時には奥底の輝きが見えなくなってしまうこともあります。そして、表面部分も大事な生命の一部とすれば、それを捨て去ることはできませんし、捨てるべきでもないのでしょう。


しかし、生命の奥底の輝きを見失わないようにはしたいと思います。


私も表面的な迷いからは逃れられない弱い人間ですし、生命の輝きにあふれる世の中が今にもやって来るなどとは考えていません。それでも、自分の輝きを、そして人の輝きを少しでも増していこうとするのなら、それこそが、ほんの少しでも世の中を前に進めることになるのではないか、そんな気がしています。


表面は環境に応じて複雑になり、そうなることが必要ではあるとしても、本当に大事なことは、いつの時代でも、誰もが持っている、非常に単純なことなのかもしれません。

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