マナティの保護:狂った歯車を狂わせ続けること | “迷い”と“願い”の街角で

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確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

今日、あるテレビ番組でフロリダ州沿岸部に生息するマナティが瀕する絶滅の危機と、それからマナティを保護する取り組みについて紹介されていました。


この地域でマナティが減少し、絶滅の危機に瀕している原因は、ボートと衝突しスクリューに体を切られたり、発電所の建設による海中環境の変化があるということでした。


これに対して、マナティを保護する取り組みとしては、マナティが数多く生息する地域についてボートの侵入を禁止したり、生命の危機に瀕したマナティを救助・治療してリハビリさせ海に戻したりということが行われているとのことです。また、全てのマナティに発信機をつけ、生息場所を管理する試みもされているようなのです。


どう思われるでしょうか。マナティを危機に追いやった人間の罪と、それを保護する素晴らしい取り組み、そのような単純なものとは違った別の面があるようにも思います。


マナティの生息地域についてボートの侵入を禁止することはまだしも、マナティの救助・治療・リハビリ、そして発信機による生息場所の管理、これらは、本来野生の生き物であるマナティの生態に、あまりにも深く人間の手を加えるもののようにも感じます。


自然に対して人間が手を加えたために起きたマナティの危機を、さらに人間の手を加えることで解決しようとする。どこか矛盾したものもあるのではないでしょうか。


しかし、では、人間のために絶滅しかけているマナティを放っておくことが望ましいかといえば、そうは言えないのも確かです。


ところで、どこかで目にしたある物語に印象深いフレーズがあります。

「狂った歴史は狂わせ続けなければならない」


人間のために狂ったマナティの歯車、模索は続けられることでしょうが、マナティの絶滅という歯車の停止を避けるため、今は狂った歯車を狂わせ続け、回し続けなければならないのかもしれません。