ヒューマニズムとは何かを考えて | “迷い”と“願い”の街角で

“迷い”と“願い”の街角で

確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

ヒューマニズムという言葉は耳慣れたものでしょう。しかし、その意味するところ、必ずしも一定ではありません。哲学のことか、ボランティア活動のことか、はたまた、民族救済のための爆撃のことか。


ヒューマニズムというものの具体的な内容は私には分かりません。しかし、それは、人間である以上通用するような普遍的なものを突き詰めてゆく上に成り立つものではないかと思います。そういう共通の土台をもってこそ、相互理解の可能性も出てきますし、それこそがヒューマニズムというものの果たすべき役割なのではないでしょうか。


現代は、特に先進国において、画一的な価値観が通用しない多元化した社会であるということが言われます。そういう状況こそ、見えにくくなっている共通の価値・土台の要素を見出し、洗練されたものへと構築してゆく必要があると思うのです。


絶対的・画一的な価値観が通用した時代の感覚のまま、それをたった一つの真実として行動すれば、どこかで深刻な衝突が起こることになるでしょう。その価値観に合わない人間を理解することができず、その人間の存在すら認められない、排除以外にあり得ないということにもなりかねません。


時代に応じてヒューマニズムの変化するというのなら、その本質は、常に人間というものを率直に見て、突き詰めて考え続けてゆくというところにあるのだと思います。そういった純粋な姿勢を欠き、自分の正しさを証明することに躍起になった場合には、正義の観念も、傲慢な欲望へと転落する危険性があるのではないでしょうか。