皆様 おはようございます
昨夜はなかなか寝付けなかったのでEテレの「びじゅチューン」から始まって「KOMADORI」をみていました。
「びじゅチューン」はブロ友さんお勧めのかなり短い番組ですが美術作品が凝縮しています。
昨夜はドガの絵画(カフェにて)でした。
日付は変わって
「KOMADORI」コマ撮り。
見ていて引き込まれました。
プチプチアニメの作り方もわかって面白かったです。
ストーリーをまず考える。
起承転結。
で、乾燥しない粘土(アメリカ製)で登場するものを作り上げていく。
細かい気の遠くなるようなプロセスですが作っている方々の熱気が伝わってきました。
皆様イキイキしてお仕事をされてます。
一つのアニメーションを作るのに、細かい作業は勿論のことたくさんの写真を撮っていく。
凄いアートです。
「プチプチアニメ」こにぎりくん
私的には炊きたてご飯のお握り動画こにぎりくんインパクトありました。
考えてみると何気なくみていたものに「プチプチアニメ」、
随分前から(知らず知らずのうちに)目にしていたのですね。
話は変わって、ブログは私の備忘録も兼ねているので記しておきます。
私が眠れなかった理由は、夫のお友達が急逝して「死」を意識したから。
私的には死とは永遠に目が覚めないこと。
今朝は目覚めは悪かったけど生きていることを確認できました
昼間はいろいろやることが多いですが夜が近づくにつれて自分がこの世から消えたらとかいろいろなことを考えたら堂々巡りの思考になって眠れなくなりました。
自分亡き後の残された家族のこと。
ご飯はちゃんと作れる?
話し相手がいなくて寂しくならない?
洗濯物大丈夫?
お掃除は綺麗好きな人なのでゴミ屋敷の心配はないです。
ネット銀行のpasswordとかエンディングノートに記してあるけど大丈夫?
これらも心身共に健康である今だからこそ出来ること。
「一寸先は闇など」ということばもあるくらい誰しも先のことはわかりません。
朝から暗い話なので心が重くなる心配がある人は見ないでくださいね。
昨日、早朝(午前6:30頃)救急車のサイレンと共にとある1軒のお宅に停車しました。
まだあたりは薄暗い時間帯。
救急車の赤いパトライトがクルクル回っているのが見えました。
ベランダから確認すると、1月5日に我が家を訪れた夫のお友達Ⅰさん宅?
Ⅰさん宅は至近距離ではありますが道路を隔てた隣の自治会です。
ⅠさんはJRを退職し夫と同じ趣味のサークル「囲碁会」に所属したり、借地で「家庭菜園」をされたり定年後の自由な時間を満喫されておられました。
驚いたことに7km先の家庭菜園まで徒歩や自転車も当たり前。
夫より10歳も年上でしたが健康そのものでした。
過去形で記すことが悲しいです。
話によると去年12月、I さんは囲碁会の仲間とトラブルがあり退会勧告を受けたようです。
話の様子から、もしかしたら認知症の症状と伝えたら、夫も同じだと話してました。
Ⅰさん宅が気になりましたが、朝の忙しい時間帯です。
私はキッチンに立っていました。
そうこうしているうちに救急車はサイレンを鳴らさず去っていきました。
なんか胸騒ぎ。
夫も同じ気持ちだったと思います。
朝食の時も無口で上の空。
もしかしたらと二人で話しました。
9時頃、Ⅰさん宅に電話を入れると奥様が出られました。
ハッキリしたことは濁しておられましたがやんわりと遠回しの言い方でした。
夕方、Ⅰさん宅から電話がありました。
19日夜中お風呂でご主人が亡くなったというお知らせでした。
奥さんは寝てしまって朝まで気付かなかったようです。
有りがちなことです。
義兄夫婦が逆パターンでした。
義兄が酔って帰宅して(義兄が)朝、目覚めた時、義姉が倒れてたなんて話がありました。
義姉は、その後救急車で運ばれ手術して死線を彷徨いましたが半身不随ながらも生きてます。
反対に旦那様(義兄)は救急車で運ばれ亡くなったなんて内輪話もあります。
最後にⅠさんにお会いしたのは、所有の家庭菜園に夫を連れて行ってくださるということで(夫を)迎えに来てくださった時。
その時の格好が妙でした。
冬なのに薄着過ぎる・・・。
「奥さん、2時か3時頃まで旦那様をお預かりしますね」と。
失礼ながら服装は疑問符でしたが、私共夫婦に対する配慮が感じられいつもと変わらないⅠさん。
そのまま二人を送り出しました。
お昼は年末、夫が打った手打ちそばのお礼にということでラーメン屋さんでご馳走になったらしいです。
Ⅰさんは車の運転でしたから、
夫にはビールを注文してくださってご自分は餃子等注文して食欲もあったと話してくれました。
私はⅠさんが送り届けてくれた時、あいにく留守にしていましたが、夫は手土産に親戚から御年賀に頂いたお菓子とみかんをお裾分けしたようです。
Ⅰさんから奥さんにと「JRのカレンダー」をいただきました。
やたら、奥さんにと言っていたので夫から頼んだのかと聞かれたくらい「JRのカレンダー」は重要だったみたいです。
これから毎日JRのカレンダーを見るたびにIさんと最期にお会いした日を思い浮かべそうです
夫の話では、いつもご夫婦でどちらが先に逝くか、自分が先に逝くと言い合って年中喧嘩していたと聞きました。
頑固な性格、家と同じかも…
Ⅰさんの家はかかあ天下だと。
チラッと家と同じときこえたような?
Ⅰさんの死因は脳溢血。
眠るように逝ったのでしょう。
誰にも看取られることなく亡くなった場所はお風呂でしたが幸せな最期だったかと思います。
夫は5日に別れる時、これからも仲良くしてほしいと手を握られたとジェスチャーを交えて私に語ってくれました。
涙ながらに…。
友達がまた一人減ったと独り言。
親友が逝ってしまってかなり落ち込んでいます。
私の中では今でも5日の元気なお姿が脳裏から離れません。
まさか、元気だったがⅠさんが…。
今でもふいに我が家に来てくださるような感覚です。
ご冥福をお祈り申し上げます。
備忘録なので朝から暗い話でごめんなさい。
あまり寝ていないので文脈もおかしいかも知れませんが備忘録なので失礼いたします。
お向かいの御主人のことも思い出したのでリブログします。
命はとりとめたのですがその後2年近く病院を転々と入退院。
葬儀も家族葬で町内の人は参列しませんでした。
今、お向かいの奥様は老人ホームに入居されていらっしゃいます。
知っている人とお別れするのは寂しいものです。