皆様 おはようございます。
鉄道博物館続きです。
D51形蒸気機関車
今回は、南館について画像中心に、UPしていきます。
エスカレーターで3階へ。
歴史ステーション
入口を入ると目の前に梵鐘が出現!
何回か見ているので慣れましたが最初に見た時はなぜここにと思いました。
鉄道と梵鐘、意外な組み合わせです。
この梵鐘は東京の芝・増上寺の梵鐘のレプリカです。
1872年(1872年+150年=2022年鉄道開業150年)に新橋~横浜間の鉄道開業。
0哩標識(ゼロマイル)
電車を走らせるためには時刻表が必要です。
江戸時代から明治になった当時、時計を持っている人はほとんどおらず列車に乗るためには正確な時刻を知らせることになりました。
そこで当時の役所は増上寺の梵鐘を新橋駅に近い愛宕山に移設し定時に梵鐘を鳴らそうとしたけれど増上寺の反対もあり実現しませんでした。
増上寺が反対するのは当然ですね。
時刻表の表記が面白いです。
八時が八字
二時が二字
新橋~横浜間53分。
(ブラタモリから)
鉄道が開業して3ヶ月ほどで、明治政府は旧暦(太陰暦)を廃止して太陽暦への改暦を行い、これによって「時間」の概念がより正確に人々に浸透していくことになります。
文明開化の象徴である鉄道と、江戸時代以来の梵鐘。
一見何の関わりもなさそうな両者が、思わぬつながりを持っていた。
(ネットから引用)
電車に乗るとわかることですが数分の遅れでも謝罪のアナウンスがあります。
他の国で電車を利用すると日本ほど時間に正確な国はないと再認識することもしばしば。
日本人の時間に対する概念は鉄道開業から始まったのかも知れません。
ここで鉄道唱歌の詩をUP。
汽笛一声(いっせい)新橋を
はや我汽車は離れたり
愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として
右は高輪泉岳寺(たかなわ せんがくじ)
四十七士の墓どころ
雪は消えても消えのこる
名は千載(せんざい)の後までも
窓より近く品川の
台場も見えて波白く
海のあなたにうすがすむ
山は上総(かずさ)か房州か
梅に名をえし大森を
すぐれば早も川崎の
大師河原(だいしがわら)は程ちかし
急げや電気の道すぐに
鶴見神奈川あとにして
ゆけば横浜ステーシヨン
湊を見れば百舟(ももふね)の
煙は空をこがすまで
(続く)
行ったことがある場所ばかりなので情景が浮かんできます。
1853年ペリー来航
蒸気機関車が日本で初めて走った時より後でした。
日本の鉄道の前史(1825年~1870年)
ブラタモリでみましたが切符が「上等、中等、下等」というランク分けも笑えました。
今だったら大問題ですが士農工商の江戸時代から明治に変わったばかりでお侍の格好の方も写真に写っていた時代ですからね。
上等 金1両2朱。
下等の切符を買えるということもステータスだったのかも知れません。
東京駅丸の内側でこの像を写真におさめたことがありました。
うやきうと(京東)
反対言葉?
記載の仕方が面白いと思いませんか?
まはこよ(濱横)
高度成長による社会の変化
東京⇔新大阪
超特急「ひかり」4時間
特急「こだま」5時間
30往復-30分間隔
北海道新幹線開業
4階へ。
4階フロアは「ビューレストラン」があります。
南館「トレインテラス」へ
出入口に昔なつかしい「大宮ナポリタン」のぼりが立っていました。
(画像は拝借させていただきます)
ナポリタンは、子供の頃沢山食べました。
私にとって懐かしい昭和のメニューかも
「トレインテラス」の名のとおり高崎線等の列車が通過する様子が見えます。お天気だったので最高!
大宮駅は全国有数のターミナル駅で鉄道の町でもあります。
「鉄道博物館」横を通る高崎線は明治16年開通。
宇都宮線は明治18年開通。
工場では2000両を整備。
必然的に多くの人が移り住む街に発展しました。
(ブラタモリから)
続いて南館1階へ