皆様 おはようございます。

 

榛名神社(群馬県高崎市榛名町)から富岡製糸場(群馬県富岡市富岡1-1)へ。

 

富岡製糸場は、今回の群馬県の旅行で一番楽しみにしていた観光地でした。

 

私の母方の祖父宅で昔「お蚕さま」を飼っていました。

 

地元の人にとっては蚕を「お蚕さま」と、さま付けで呼ぶくらい貴重な生活の収入源だったとか...

 

今も敷地の中に母屋とは別にお蚕さまを飼っていた名残の二階建ての家は残されていますニコニコ

 

昭和遺産?

 

 

上州富岡駅です。

コロナ禍の影響でしょうか?

 

駅前は閑散としていましたね。

 

検索すると上州富岡駅近くに無料駐車場があるとのこと。

 

助かりました。

 

富岡製糸場へ行くシャトルバスも停車ニコニコ

 

電車で来た人には便利ですねウインク

 

駅前通りで食堂(川崎屋食堂)を見つけたので入店。

 

旅先ではファミレスや流行のお洒落なお店より地元の人に愛され続けているお店(老舗)の方が人の温かさを感じることが出来るし安心して利用できます。

 

 

先客1名。

 

たくさんのメニューの材料を揃えるだけで大変です。

安いですねニコニコニコニコニコニコ

 

「薄味にしてください」とお願いしたのでちょうど良い味でした。

 

ご馳走様でしたニコニコ

 

お店の方に「ここから富岡製糸場までどれくらいかかるか」と伺うと、無料駐車場からシャトルバス(1人100円)が出ているとのこと。

 

駅から徒歩11分。この1分が貴重です口笛

 

あちこち見ながら歩いて行くことにしましたウインク

 

店主が外まで出てきてくださり赤い矢印に従って進んでいけば”富岡製糸場”に着きます」と、教えてくださいました。

 

 

ご親切に有難うございますニコニコ

 

大手外食チェーン店ではタッチパネルでの注文(回転寿司店ではこの方法が好き)や配膳ロボットなるものまで登場する昨今ですが、接客や配膳は人にやって欲しい派です。

 

コロナ禍後はますます2極化が進むでしょうね。

 

介護用のロボット犬を見たことがありますが、触ってみるとあたたかかったですが所詮ロボットはロボットだと思います。

 

人や動物が必要ない世界はむなしく感じます。

途中標識も出ていたし駅前より人出が増えてきたのでわかりやすかったです。

 

閑散としてますね。

こちらで「富岡製糸場見学券」を購入しましたがお土産屋さんで購入した方がお得だったようです(笑)

大人900円

 

 

 

「世界遺産 旧富岡製紙場」

テレビで見た景色と同じですウインク

 

 

 

 

 

正門を入って前に見えてくるのが東置繭所(東繭倉庫)です。

明治5(1852)年建築。

1階は事務所、作業場などとして使い、2階に乾燥させた繭を貯蔵しました。

 

建物は、木材で骨組みを造り、壁に煉瓦を用いた「木骨煉瓦造り」という工法で建てられました。

 

使用された煉瓦は日本の瓦職人が甘楽町福島に窯を築いて作りました。

 

煉瓦積みの目地には下仁田町の青倉、栗山産の石灰で作られた漆喰を使いました。

 

また、礎石には甘楽町小幡から切り出された砂岩が使われました。

(パンフレットから転載)

 

 

 

 

 

 

渋沢栄一(1840~1931年)

現在の埼玉県深谷市の藍玉の製造・販売、養蚕などを営む農家に生まれる。

 

15代将軍となった徳川慶喜の実弟である徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会を見学するほか欧州諸国の実情を見聞した。

 

明治維新後、欧州から帰国した渋沢栄一は、明治政府に招かれ民部省(後の大蔵省)の役人となる。多くの政策立案する一方で、ブリュナの雇入れに関わるとともに、製糸場専務主任として富岡製糸場の設立に携わった。

 

大蔵省を辞した後は、実業家として活動した。

 

生涯に約500もの企業に関わったといわれ、「近代日本資本主義の父」と呼ばれる。

 

「尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)」埼玉県深谷市に生まれ渋沢栄一の学問の師であり思想的にも大きな影響を与えた。

なお、惇忠の母やへは栄一の父、市郎右衛門と兄妹であり、惇忠と栄一は従兄にあたる。

 

また栄一の最初の妻ちよは惇忠の妹である。

明治9年まで富岡製糸場の初代場長を務めた。

 

 

「富岡製糸場」設立には、埼玉県深谷市の偉大な先人二人が関わっていました😃

 

渋沢栄一翁と尾高惇忠は従兄弟でもあり学問の師弟関係。

 

尾高惇忠の妹が渋沢栄一翁に嫁いでいるのですから最強のパートナーです。

帰路「渋沢栄一記念館」(埼玉県)に行く予定だったのでいわば予習ですねウインク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これからのシルク

現在は、絹織物として使用する以外にも手術用縫合糸などの医療品や良質なアミノ酸を多く含むことからシルクタンパクが食品や化粧品に使われるなど、活用の幅は広がっています。

 

 

 

 

 

西置繭所

2階を原料繭の貯蔵庫として使用。

建物の構造・大きさは、ほぼ東置繭所と同じです。

 

入館には人数制限がありましたがタイミングが良かったので少し待っただけで入館できました。

入って左手は写真撮影が禁止。

 

外観と違って中は近代的でした。

 

↓こちらはガランとしてますから撮影OK。

 

 

 

 

 

 

 

西置繭所から白い建物の方へ歩いて行きました。


ブリュナエンジン(復元機)展示施設でした。

 

 

 

 

社宅

コロナ禍の真っ只中ですから外観からのみの見学でした。

 

屋根が全部繋がっていて玄関がいくつかある造りでした。

 

 

上州富岡駅前を通って無料駐車場へ。

 

帰りに以前から気になっていた「渋沢栄一記念館」(埼玉県深谷市)に寄りました。

ここが一番混んでました。

 

続きは次回へ。