皆様 おはようございます。

 

昨日は、久しぶりに暑いくらいのお天気でしたが、夏物の用意をしたりカーテンを洗ったり大忙しでお出掛けは近隣のスーパーくらいでした。

 

皆様はいかがお過ごしだったでしょうか?

 

大相撲夏場所も終わり、稀勢の里は怪我で休場でしたがその分高安が大関昇進確実なのでホッとしました。

 

加えて優勝の横綱白鳳のインタビューも感動でした。

ずっと優勝から遠ざかっていたので、断食をしたりヨガをされておられたとか。

勝敗がつきもののプロの世界は健康な肉体を維持するのはもちろんのこと、精神面も大事ですよね。

 

先日の両国国技館の続きです。

両国国技館前や両国駅前で次々に到着する力士たちの写真を撮っていましたが、私が知らない力士ばかりだったし、きりがないので江戸東京博物館へ向かいました。

 

江戸東京博物館は、去年4月30日に訪れていました。

ブログがあると備忘録も兼ねているので貴重です。

 

たまたま今年、ラジオで江戸東京博物館館長がいわき?(時間が経っているので自信がないです。)で講演している録音番組を聴きました。

講演の中で日本独特の畳文化のことや、原発で体育館等へ避難されておられる方々の履物がきちんとそろえられていたことなど、まさに困難な状況の中でも日本人て真面目で几帳面だと思うエピソードでした。

家の近くでも講演があったらぜひ聴きたいです。

 

この写真は先日アップしました。

相撲部屋の前には力士達が乗る自転車が多かったです。

偶然、自転車に乗っている後ろ姿を撮れました。(=⌒▽⌒=)

江戸東京博物館常設展チケット600円

特別展は坂本龍馬でした。

4/29~6/18ですね。

今回は1階のチケット売り場は全然、混んでいませんでした。

この横を通って奥のエレベーターに乗り、6階へ。

 

ちなみに、込み合っているときは、先ほどの正面階段を上って3階からのメインエスカレーターに乗っても良いかも・・・。

 

右が日本橋です。

日本橋から下を見下ろすと芝居小屋が見えます。

日本橋から右側を見下ろすと新聞社です。

日本橋を振り返ってみましょう。

他も、去年と同じような写真ばかりなので写真だけアップしていきます。

 

 

 

 

この日、ガイドツアーに参加して両国のお寿司屋さんが発祥の地だと教えていただきました。

 

 

学校給食の変遷も面白かったです。

 

学校給食は、明治時代に山形県で最初に導入されその後全国に広まりました。

戦後の食糧難の時期を経て、1950年代までは、児童の栄養補給の意味合いが強かったが、60年代以降は、健康教育の一環として位置づけが強化された。

また、食料事情の変化にともない、主食にパンのほか、麺類や米が用いられるようになった。

(掲示板を転載させていただきました)

1970年代の学校給食

1980年代の学校給食

1990年代の学校給食

2000年代の学校給食

 

 

 

右の白い建物が日本橋から見えた新聞社です。

向こうに見えるのが芝居小屋。

一通り観て、出口へ。

エスカレーターで3階に向かいました。

こちらが3階の広場です。

 

去年もここで写真を撮りましたが向こうに見えるのが両国国技館の屋根です。

7階のレストランは自治会の人と訪れていました。

いつのことかと振り返ってみると2014年10月4日でした。

富岡八幡宮

自治会の防災ツアーで本所防災館、富岡八幡宮、ラストが江戸東京博物館巡りをしました。

 

富岡八幡宮は相撲と縁が深く、歴代の横綱の石碑がありました。

 

ガイドツアーで回向院(えこういん)の力塚を、見た時、どこかで同じようなものを見たと記憶を辿ってみると富岡八幡宮でした。

 

富岡八幡宮には伊能忠敬の石碑もあったわ。

江戸東京博物館の階段から写真を撮っていたとき、日傘を忘れたことに気付き、問い合わせすると、思い当たるところを聞かれ、思い出せないと伝えたら、当日入場券があれば再入場可能といわれたので6階へ引き返しました。

 

教えられたとおり案内所が5階にあったので聞いたらありました。

良かったです。

 

席を立つときは、1度振り返り確認する癖をつけないといけませんね。

↑南雲先生の著書でも書いてあったのを思い出しました。

皆様にとっては興味のないことでしょうが記録しておきます。

 

今週も宜しくお願いいたします。