皆様 おはようございます。
土日、すっきりしないお天気だったのでお出かけは近隣だけでしたが皆様のところはいかがでしたでしょうか?
先週、新聞の番組紹介覧でみたBS朝日で放送された”負け続けた男、新幹線をつくる”、期待通りの面白さでした。
2015年5月3日に鉄道博物館で撮った写真がありましたので掲載します。
朝日新聞の番組紹介欄から転載させていただきました。
"負け続けた男、新幹線をつくる"
今では誰も「夢の超特急」とはいわないが、かつて新幹線は夢どころか「幻」だった。
東京・大阪間が8時間だった時代に、3時間といわれれば、確かに「幻」に聞こえただろう。
それを実現させた男の「ザ・ドキュメンタリー」だ。
第4代国鉄総裁十河信二(そごうしんじ)。
就任時、すでに71歳。
まだ、蒸気機関車が主力で、電化を進める国鉄は常に赤字。
加えて選挙区に鉄道をという政治家からの干渉。
誰が考えても新しく広い軌道の幹線を作ることなど不可能だった。
しかし、官僚時代に収賄で有罪(のちに無罪)をなめた十河には信念があった。
「どんな苦境にも必ず打開する方法はある」
新幹線は今日も、安全に人を運んでいる。
今、なお、世界に誇る「夢の超特急」だ。
番組は、かつてNHKで放送された『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』を彷彿させるドキュメンタリー番組でした。
今でさえ71歳は前期高齢者...。
71歳にして夢を実現させようとするチャレンジ精神、強靭な精神力に驚きました。
多くの技術者にささえられた新幹線開通。
それにはさまざまな困難が待ち受けていました。
プロジェクトを成功させるためにはまず、資金が必要なのは、いうまでもありません。
当時は国鉄の時代ですから、国民の理解を得るためには国会での承認も必要だったことでしょう。
従来の鉄道にはなかった時速200キロメートルを超える高速運転を行うため、新たに専用の高速路線を建設するという計画もすごいと思いませんか?
数々の困難を乗り越えてついに東海道新幹線が東京駅~新大阪駅間に開通。
東京オリンピックの開催年度1964年(昭和39年)10月1日でした。
当時、世界に類をみない超特急。
夢が夢でなくなった瞬間です。
これにより他の国も高速鉄道を開発するきっかけとなったとのこと。
長年、新幹線とは無縁な生活でしたが、去年、東北新幹線に乗って、福島や仙台に家族と旅行したり、転勤で住んでいた金沢にも北陸新幹線で行ったりする機会に恵まれました。
私達が今、当たり前のように新幹線に乗れるのも、新幹線の生みの親、十河信二(そごうしんじ)氏のお陰です。
改めて知った新幹線物語、昔の人は偉かったです。
なお、ウィキペディアより十河信二氏についてお借りしました。
十河 信二(そごう しんじ、1884年4月14日 - 1981年10月3日)は、日本の鉄道官僚、政治家。愛媛県西条市市長、第4代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1955年 - 1963年)。「新幹線の父」と呼ばれた。西条市名誉市民第一号。
十河(そごう)という苗字初めて知りましたがそごう百貨店の創立者とは字が違っていました。
そごう百貨店の創立者は、十合(そごう)と書きます。
こちらもウィキペディアよりお借りしました。
大和国十市郡十市村で絹屋として商売を行っていた徳兵衛の息子として生まれた十合伊兵衛(そごう いへえ) が1830年(天保元年)に大坂南渡辺町の坐摩神社(陶器神社)の南隣に古手屋(古着屋)「大和屋」を開業したのが始まりである[1]。
今週も宜しくお願いいたします。