皆様、こんにちは。おだろーです
本日もお越し頂き、本当にありがとうございます…
ちゅーか…
本年もお越し頂き、本当にありがとうございます。
今年もおだろーを、どうぞよろしくお願い申し上げます
って、もしかしてもしかして…
…遅すぎ…か???

長い間、ブログを更新できなかった理由。
そんなところからまずは…
と申し上げたいのですけれど本当にひっさびさ!!
なので、
「マジ…ちょー忙しかった
」
(楽しんごくんの東幹久さん風でね)
くらいで、許してくらさい。
すまん。
で早速、2011年初、おだブロ本題へ
いってみよ

毎日毎日、本当に考えることが多いっす。
誰でもそんなものなのかも知れませんが私の場合特に、
「答え」
を出さなきゃ気が済まない。
今起こっていること。
今疑問に思うこと。
そんなものを”放置プレー”できるほどのマニアックさは、
完全に欠如しておりますが故の、
煩わしい趣味も背負っている。
実は先日も、ちょいと考えさせらる場面と遭遇した。
「アイシテル」
と言ってくれる彼だけれど、
その行動がイマイチ理解できないのだと
そんな知人との話からの展開だった。
まぁ確かに、
彼の言動には随分と、一般的な理解を超えるものがあるのだと
私もその様に感じてしまった。
「で、彼は私のことを本気でアイシテくれてるんかな?」
ちょいと涙混じりの瞳で彼女は、
私の瞳を覗き込んだ。
…
コーヒー…
飲もっと

「アイシテくれてなくちゃ…
アイセないんかい!?
」
その瞬間、この言葉をコーヒーと一緒に飲み込んだ。
今日のコーヒー、アメリカンにしておいて…
ホントよかった。セーフ

随分と前にも、テーマにしたことがあったような、
そんな今回のテーマになってしまうのだけれど人はどうも
「愛されること」
ばかりを追い求め
「愛すること」
については無頓着になっている。
そんな気がしてならないの。
例えばね、
女性誌なんかでもよくあるネタが
『○○から愛されるテクニック』
といった類のもの。
愛されるための料理だとか
愛されるためのしぐさだとか
愛されるためのボディだとか
そんなもの
…ばっかじゃん。

愛されるためにがんばれること。
それはそれで素晴らしい。
恋する女性は本当に綺麗になってくもんね
でもね、でも、
人の愛って、永遠に
キラキラウキウキドキドキワクワク
なんてできないのね。
男性は2年、女性は3年で概ねその
『ピンク色した眼鏡』
を外すと言われてます。
だから
「この愛こそ永遠だわ~
」
なんて思っている間はまだ、
ピンク色した眼鏡が掛かった状態なのであるとそう
お考え頂ければベターです
← これはバター。
…またまた脱線しちゃいそうになったので
話を元へと戻します。
愛されることに重きをおいている人の殆どが、
結局のところ自分を見失い苦しんでしまってる。
彼女の場合だってそうなんだと、
私は一人、鑑定を下した。
だってさ…だって、
彼が彼女を本気でアイシテいるのかなんて、
彼にしか分からないのだしもしかしたら
彼にだって分かっちゃいない。
ただ言えることは、
そんな不可解な言動の彼をそのまんま
『アイシテいるのか?』
という、彼女…
即ち、自分を軸とした考え方ができるのか否か?
そこだけなんだ。

で、勉強しよう。
「愛する」
ということは、
相手のあるがまま
そのままを丸ごと受け入れかつ自分は決して
「心配を掛けない」
ということが鉄則なのだと。
相手に愛の条件提示をするのなら
自分だって相手の条件提示を飲まなくちゃならない。
それって…
愛か?
相手を束縛すること支配すること、
それって…
愛か?
相手が心配するようなことを散々しておいてかつ
「アイシテル」
って、
本当か?
・・・
でね、
そんな学習をしてしまった自分は、
そこを基準に相手を見定めたりするのだけれど
いつも申し上げます通り人は、
「習っていないことはできない」
習性を持ちますが故、
習っていないであろう相手に同じことを求めるなんて甚だ…
無理な話っす。
ただね、
相手のことを本当に大切に思うのであればきっと、
相手が下手な心配なんかしないようにと
それなりの手段は尽くしてくれるもんじゃないか?
人ってそのくらいの最低限の思いやりは持っているもんじゃないか?
そんな風にも思うのね。
番外編と致しましては、
「焼きもちを焼かせるために」
とか
「気持ちを確認するために」
なんて、変化球で攻めてくる
幼稚な人の愛し方
しかできない人もいるのでしょう。
そういう人と恋に落ちてしまったとき。
面倒だけれどその幼稚な人の愛し方しかしらない部分だって
自分が愛せるのなら
それはそれで大丈夫。
ただそんな冷静な分析なくして
愛されたい
愛されていることを確認したいがために振り回されちゃうこと。
ここには十分
気をつけましょうね!
結局、人生の主人公
恋愛の主人公は自分自身なんだ。
誰に愛されるのか?
ではなくて
誰を愛するのか?
ここに重きを置いたとき、
本当の自分の姿
…大好きな自分も大嫌いな自分も
そこんところが浮き彫りになってくるんじゃ
ないのかな?
男女の恋愛に限らず
親と子供の愛だって
同じ基準で捉えてみたとき
「誰かを愛する」
という感情を人間に与えてもらえているそこんとこを
とても感慨深く…
感じるのです。
人生のテーマがギッシリと
詰まっているのが…
わかるもんね

本日もお越し頂き、本当にありがとうございます…
ちゅーか…
本年もお越し頂き、本当にありがとうございます。
今年もおだろーを、どうぞよろしくお願い申し上げます

って、もしかしてもしかして…
…遅すぎ…か???


長い間、ブログを更新できなかった理由。
そんなところからまずは…
と申し上げたいのですけれど本当にひっさびさ!!
なので、
「マジ…ちょー忙しかった
」(楽しんごくんの東幹久さん風でね)
くらいで、許してくらさい。
すまん。
で早速、2011年初、おだブロ本題へ
いってみよ


毎日毎日、本当に考えることが多いっす。
誰でもそんなものなのかも知れませんが私の場合特に、
「答え」
を出さなきゃ気が済まない。
今起こっていること。
今疑問に思うこと。
そんなものを”放置プレー”できるほどのマニアックさは、
完全に欠如しておりますが故の、
煩わしい趣味も背負っている。
実は先日も、ちょいと考えさせらる場面と遭遇した。
「アイシテル」
と言ってくれる彼だけれど、
その行動がイマイチ理解できないのだと
そんな知人との話からの展開だった。
まぁ確かに、
彼の言動には随分と、一般的な理解を超えるものがあるのだと
私もその様に感じてしまった。
「で、彼は私のことを本気でアイシテくれてるんかな?」
ちょいと涙混じりの瞳で彼女は、
私の瞳を覗き込んだ。
…
コーヒー…
飲もっと


「アイシテくれてなくちゃ…
アイセないんかい!?
」その瞬間、この言葉をコーヒーと一緒に飲み込んだ。
今日のコーヒー、アメリカンにしておいて…
ホントよかった。セーフ


随分と前にも、テーマにしたことがあったような、
そんな今回のテーマになってしまうのだけれど人はどうも
「愛されること」
ばかりを追い求め
「愛すること」
については無頓着になっている。
そんな気がしてならないの。
例えばね、
女性誌なんかでもよくあるネタが
『○○から愛されるテクニック』
といった類のもの。
愛されるための料理だとか
愛されるためのしぐさだとか
愛されるためのボディだとか
そんなもの
…ばっかじゃん。

愛されるためにがんばれること。
それはそれで素晴らしい。
恋する女性は本当に綺麗になってくもんね

でもね、でも、
人の愛って、永遠に
キラキラウキウキドキドキワクワク

なんてできないのね。
男性は2年、女性は3年で概ねその
『ピンク色した眼鏡』
を外すと言われてます。
だから
「この愛こそ永遠だわ~
」なんて思っている間はまだ、
ピンク色した眼鏡が掛かった状態なのであるとそう
お考え頂ければベターです

← これはバター。…またまた脱線しちゃいそうになったので
話を元へと戻します。
愛されることに重きをおいている人の殆どが、
結局のところ自分を見失い苦しんでしまってる。
彼女の場合だってそうなんだと、
私は一人、鑑定を下した。
だってさ…だって、
彼が彼女を本気でアイシテいるのかなんて、
彼にしか分からないのだしもしかしたら
彼にだって分かっちゃいない。
ただ言えることは、
そんな不可解な言動の彼をそのまんま
『アイシテいるのか?』
という、彼女…
即ち、自分を軸とした考え方ができるのか否か?
そこだけなんだ。

で、勉強しよう。
「愛する」
ということは、
相手のあるがまま
そのままを丸ごと受け入れかつ自分は決して
「心配を掛けない」
ということが鉄則なのだと。
相手に愛の条件提示をするのなら
自分だって相手の条件提示を飲まなくちゃならない。
それって…
愛か?
相手を束縛すること支配すること、
それって…
愛か?
相手が心配するようなことを散々しておいてかつ
「アイシテル」
って、
本当か?
・・・
でね、
そんな学習をしてしまった自分は、
そこを基準に相手を見定めたりするのだけれど
いつも申し上げます通り人は、
「習っていないことはできない」
習性を持ちますが故、
習っていないであろう相手に同じことを求めるなんて甚だ…
無理な話っす。
ただね、
相手のことを本当に大切に思うのであればきっと、
相手が下手な心配なんかしないようにと
それなりの手段は尽くしてくれるもんじゃないか?
人ってそのくらいの最低限の思いやりは持っているもんじゃないか?
そんな風にも思うのね。
番外編と致しましては、
「焼きもちを焼かせるために」
とか
「気持ちを確認するために」
なんて、変化球で攻めてくる
幼稚な人の愛し方
しかできない人もいるのでしょう。
そういう人と恋に落ちてしまったとき。
面倒だけれどその幼稚な人の愛し方しかしらない部分だって
自分が愛せるのなら
それはそれで大丈夫。
ただそんな冷静な分析なくして
愛されたい
愛されていることを確認したいがために振り回されちゃうこと。
ここには十分
気をつけましょうね!
結局、人生の主人公
恋愛の主人公は自分自身なんだ。
誰に愛されるのか?
ではなくて
誰を愛するのか?
ここに重きを置いたとき、
本当の自分の姿
…大好きな自分も大嫌いな自分も
そこんところが浮き彫りになってくるんじゃ
ないのかな?
男女の恋愛に限らず
親と子供の愛だって
同じ基準で捉えてみたとき
「誰かを愛する」
という感情を人間に与えてもらえているそこんとこを
とても感慨深く…
感じるのです。
人生のテーマがギッシリと
詰まっているのが…
わかるもんね
