毎年思うこと。
“冬は・・・
・・・長い
”
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皆様、こんばんは。おだろーです![]()
本日もお越し頂き、本当にありがとうございます。
クリスマスの前後から、
すっかり滞らせてしまった更新ですが、
メッセージやメール、
コメントやペタを下さった皆様
毎日おだブロへ遊びにお越し下さっていた皆様
はたまたクリスマスカードと共に
メッセージをお送り下さった皆様へ、
おだろーココロよりお礼申し上げます。
また少しづつお返事を書かせて頂きたいと思います。
本当にありがとうございました![]()
多謝・・・![]()
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もしかしたら人生の
“冬の時期”
という期間も厳しさも、
大よそその想像を絶するくらい長くまた、
想像を絶するくらい
“宿題”や
“テスト”の
連発であるからこそ人は、
“自分を壊してしまうくらいのダメージ”
を受けるのかも知れないと・・・
そんなことを考えてもいた
私にとっての貴重な貴重な時間を隔てて今、
ようやく少し落ち着きを取り戻しかけている・・・
そんな今日この頃です。
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私の
“宿題”や
“テスト期間”
というものはいつも、
何故だか体調不良とセットになってやってきます。
もしかしたら飯島愛ちゃんも・・・
体調不良と、
起こるできとごの厳しい時期が・・・
セットになっていたのかな?
なんてそんな風にも考えてみたりもするのですけれど
とかくそんな時期には、
ジーッと動かずにいること。
不安や焦るココロをただ受け入れながら
ひたすら嵐が去るのを待つ。
2年でも3年でも4年でも・・・
ね
それが人生の冬を上手に乗りきるコツである
のだと、
そんなことを学んでみたりもできるのですがもう一つ、
冬の時期にはどうしても、
自分の
“潜在意識”
から送られてくるメッセージを
上手に読み取ることと向き合わねばならないと
そんな風に感じています。
いえ正確には、
クリアにしなければならない
“潜在意識”
の部分があるからこそ発生してくるのが
“問題”
や
“苦難”
でもあるわけなのですが・・・
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『誰かのために・・・』
と生きることは素晴らしい。
“生きる”
ということの究極の幸せは、
愛する誰かの笑顔に触れながら生きること。
愛する誰かやご縁を頂けた人の
“笑顔”
を自分の幸せに感じることができる毎日こそが
正に究極の
“幸せな生き方”
なのであると、
私もそう・・・
確信しています。
ただね・・・
もしそこに
“自分が犠牲になっている・・・”
という思いが入っていたとするのなら・・・
もたらされる結果は必ず、
“幸せ”
にはならないものなのだとも思います。
そんな自分に気づいてから私は、
もう一度改めて、
『自分の人生』
と、正面から向き合ってもいたんです。
時々立ち止まって振り返る。
『修正を掛けることができるチャンスの時期』
というものもまた、
この
”冬の時期”
の裏の表情なのかも知れません。
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私が“起業”したきっかけの一つとなってくれたのが
母、のりちゃん
という女性の存在。
『これまでよりもっと、
幸せに生きて欲しい』
昔から私にベッタリだった母が年々、
年老いてゆく姿にふと
“娘として一体何ができるのだろう?”
と感じ始めやはり
“暖かい場所に旅行に連れて行ってあげたい”
とか
“そのためには組織に属していては、
自分の思いを120%達成することはできない”
とか
そんな風に考えたことも起業の一つのきっかけです。
ですが結果として、
そんな私の考えと行動が、
母から自立(子離れ)するココロの強さと
“ココロの安定”
を奪っていったのだとは今の今まで思いもせずに・・・
・・・先日、
この数ヶ月間ずっと私に訴え続けていた
母の“体調不良”について、
ついに大喧嘩に発展してしまいました。
『私に訴えるのではなくて、
かかりつけのお医者様に何故言わない?』
そう詰問する私に、
『何て言えばいいのか分からない。
先生もいつも忙しそうだし・・・』
の返答しかしない母に私は、
『自分でできる精一杯のことをやってみてそれでもダメなら、
それは私も次の方法を考える。
だけど毎日毎日、
私に体調不良を訴えても
何もどうすることもしてあげられないんだよ!
どうして自分で何とかしようと思わないの?
どうして自分で何とかやってみようと思わないの?
人は
“誰も助けてくれないんだ!
自分で立つしか術はないんだ!”
って気づくことができるまでずっと・・・
地獄を彷徨い続けなくちゃいけない。
自分で、一人で立つ、歩く覚悟ができたとき初めて、
そこから光が見えるんだよ!
娘を頼りにするな!とは言わない。
だけど依存しちゃいけないの!
自分でできることを精一杯やって、
それでもダメなとき・・・
そのときには頼る。
それが“生きる”ということでしょう?
一体いつまで私に甘えるつもりなの?』
自らの“ネガティブ”な物事の捉え方で、
“老い”を招き入れ、
10以上も老けて見える最近の母の
丸い背中を横目にしながら私は、
悲しさと虚しさでいっぱいになり・・・
その夜はずっと泣いていました。
『あんたみたいな冷たい娘を産んでしまって・・・
ごめんね・・・』
母にはきっと、
私の言葉は何にも届いてなんかはいないのだと
その思いにさえ胸を締め付けられながら・・・
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思えば・・・
私もずっと、
“母がそれで幸せだと言うのなら・・・”
そんな
“自己犠牲の上に成り立つ愛”
に疑問さえ抱かずに生きていたのかも知れません。
また母も、
“あなたのために我慢してきた”
という自己犠牲の思いと言葉でいた様な・・・
お互いに感じながらの偽りの愛。
即ち、
そこに存在するのは
“自己犠牲の上に成り立つ愛”=“自己愛”
なのであると
悲しいけれどその現実を認め、
受け入れないわけにはいかないと、
ようやく私も
自分の中に密やかにうごめいていた
“潜在意識からのメッセージ”
に気づくことができました。
例え親子であっても恋人であっても
夫婦であっても兄妹であっても・・・
その関係を盾にした
“自己犠牲感”
から成り立つ相手への思いやりは必ずや
崩壊に繋がるものなのだと・・・
最近の出来事から学ばせて頂いた私なのであったりします。
ただ以前の記事にも書かせて頂いたことがあった様に、
人と人のぶつかりあうエネルギーの場においてはいつも、
“弱者”
は、その健康や精神的不安定をもって
“強者”
へメッセージを送り届けてくれる存在でもあるのです。
物事が思うように進まないとき。
滞りが生じているとき。
問題が矢継ぎ早に発生するとき。
そんな時は少し立ち止まって自分自身を振り返る。
『誰かのために・・・』
と、自己犠牲を強いてなんかはいなかったか?
依存したり依存されたりという
不健全な人間関係に縛り付けられてなんかはいなかったか?
ただ愛することだけ、
生きることだけを・・・
その日常をひっくるめて慈しみながら
大切に生きることができていたのか?
誰かのためにと思う前に自分の人生をまず、
楽しみながら生きていれているのかなんて・・・
当たり前のことなのですがそんな当たり前のことも時々、
点検してみたいものですね。
ココロの棚卸を一つ終えて私はまた、
生きるスタイルさえも変えてみたいな・・・
そんな風に考えています。