皆様、こんにちは。おだろーです![]()
本日2度目のお越し、本当にありがとうございます。
実は私が今日、記事を書くのは3度目で、
2度目の記事は
『禁止タグが入っているのでダメですぅ~
』
とアメブロさんからのよく見かけるメッセージにて、
アップするに至りませんでございます![]()
・・・凹むやん
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先週水曜日、
ええ・・ええ・・
もう一週間も前のお話でごめんなさい![]()
いつも仲良くして頂いている
(株)物語ライティング
が大阪にお見えになるとの由でしたので、
私も『親睦会』に参加をさせて頂きました![]()
くまあき代表と一緒に
これからの(株)物語ライティングさんを盛り上げてゆかれる
ライターさんやデザイナーさん、
大人気メルマガをお書きの経営コンサルタントの方も
お越しになっていらっしゃいまして、
本当に楽しい時間を御一緒させて頂きました。
皆様、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら是非、
御一緒させて下さいませ
内容はくまあき代表のブログで・・・ね![]()
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『受動的に生きることは果たして・・・
幸せなのか?』
最近、私の身の回りで、
こんな疑問を感じてしまう出来事がありました。
例えば人間というものは・・・
いや、女性は特にそうなのかも
知れませんけれど、
誰かに『与えられて』生きること。
を望んでいる傾向にあると見受けられます。
大昔の人類がそうであったと言われる様に、
男性は狩りで獲物を捕らえ、
女性はその獲物を与えられて家庭を守る。
これはもう、
もしかしたら今尚残り続けている
人間の本能の部分であるのかも知れません。
だからこそ
『狩りの上手な男性』
即ち、
『稼ぐことのできる男性』
は間違いなく・・・
モテル。
・・・その人間性の如何はどうであれ・・・
『稼げない男性』
と
『稼げる男性』
のどちらを選択しますか?
人間性が同じであると定義して・・・
の質問をぶつけてみれば大抵その答えは、
・・・言わざるもかな?
『稼げない男性』
を選ぶ女性は、
極々わずか!!
なのであると思います。
だからこの、
『誰かに与えられて生きる』
そんな生き方を望む女性は後を絶たず・・・
確かに『楽』な生き方なのであるだろうと、
私もそう思いますから
この『受動的』な生き方を、
いえ、
正確には、
『受動的に生きたい』
と願いながら生きる生き方を
否定するつもりはありません。
思い切りの愛情。
溢れんばかりの愛情を注がれ、
ワガママを周囲が全て受け入れてくれる。
蝶よ花よと真綿に包まれて生きること。
“日常”という“面倒”なことはお手伝いさんにお任せして、
毎日おいしいものを食べ、
毎日キレイなお洋服で着飾って、
お金の心配一切なし!
どこかに移動するときは、
車は当然、当たり前!
だんなさまも子供からも
『アイシテルよ!フランソワーズ
』
を連呼され、
病気も怪我も一切なく・・・
・・・はは。
アホくさ
でもでもでもね・・・
そんな日常を誰かに与えられて生きてゆきたいと、
それを与えられずに生きている自分は
“なんて不幸な人間なのぉ~
”
そう思いながら生きている人は、
結構たくさんいらっしゃるのかも知れません。
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どの時点で
“生きる”
ということに気づくのか?
もしかしたら死ぬまで気づかずに、
その人生を
“後悔”と“憎しみ”
で終わらせてしまう方もきっと多いと思います。
・・・生きるって・・・
もっと現実的なものなのではないのかな?
もっとドロドロベタベタで、
フツー・・・なの。
雑誌にあるよな素敵な毎日は理想だけれど、
そんな素敵な毎日を送ることは毎日それなりの努力が必要。
それこそが
『能動的な生き方がもたらしてくれる素敵な毎日』
・・・なんだ。
誰かが『素敵な毎日』を運んできてくれる訳なんかじゃ・・・
なくってね。
今更ながらこんなくっだらないことを、
一人つらつら考えてしまう私なのでありますが例えばね、
“お金持ちの優しいだんなさま”
とご縁を頂戴できる女性。
私の感じるところでは、
こういった素敵な理想的なだんなさまと
ご縁を頂戴できる女性というものは、
“能動的”
に生きてらっしゃる。
常に自分を磨いておく。
常にお部屋を磨いておく。
愛されることより愛している。
自分を向上させる場所へはどんどん出向く。
不調は不調でちゃんと療養する。
・・・なんだか当たり前なんだけどでも、
これら当たり前のことを当たり前にこなすことは
ムツカシイ。
そこには自らの意思。
“こうしておきたいからこうしているの!”
という
“能動”
が入っていると思うから。
決してだんなさまに
“全てを依存して”
生きているわけではないのだと思うから。
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年を重ねれば重ねるほどに、
身体はもっと自由を奪われてしまいます。
そんな時、
“もっと若い間にもっと能動的に生きていればよかったな・・・”
その後悔はまだまだとても可愛くて、
“私はずっと不幸な人生を歩んでいた。
どうして誰も、私を幸せにしてくれなかったの?
神様の・・・バカバカッ!”
そんな後悔に苛まれるとき・・・
人はきっと究極の
“生き地獄”
を生きることになるのでしょう。
能動的に生きるということは確かに辛い。
だからこそ
誰かに依存し、守られ、愛されてという
受動的な生き方を望んでしまうというものでしょう。
だけど目先の小欲に囚われて生きていると、
必ずその“楽をしたツケ”
を清算しなければならぬ日がやってくるというものです。
能動的に生きる人は、
能動的に生きる人と共鳴し、支えあい、愛することに
幸せを覚えて生きている。
受動的に生きる人は、
“棚からボタモチ”
を待ち続けながら
決して落ちてはこないボタモチに苛まれながら生きている。
どんな人生を選ぶのか?
どんな人生を歩むのか?
これは単にその人の好みであるという以上、
どんな人生を歩もうとも全く構わないのだと思います。
ただ、知らずに生きていらっしゃる皆様へ、
“受動的な生き方を望むという苦しみの意味”
を少しでも知って頂きたい。
・・・最近の私の身の回りで起こった出来事を考えながら、
ふとそんな風に感じてしまった私
・・・なのでありました。