『上方落語 流行唄の時代』刊行
 天保から明治初期の上方の落語家のことを、和泉書院から刊行しました。初代林屋正三、二代目笑福亭吾竹(のち竹我)、初代笑福亭松鶴、初代桂文枝などを取り上げています。図版をできるだけ入れました。図版の文字はすべて活字にしています。一度、本屋で立ち読みでもしてみてください。


本のチラシ

6月11日、妻に運転してもらって、車で西尾市にでかけました。一番の目当ては西尾市立図書館岩瀬文庫の本で、何年も前に見た本をもう一度確認することでした。



 その本は『三都角力番付』。その中に貼り込まれている天保15年(1844)の「諸国相撲 関取改名附」というものです。江戸時代の相撲取りは、今日とは違って四股名をよく替えていました。一年に一度、江戸の関取が大阪に来ますが、以前の誰が今の誰だということがわからなければなりません。そこで、こういうものが出版されたようです。天保15年版は、大阪府立中之島図書館にもあるのですが、貼り紙で追加した力士の分が欠けております。それでどうしても岩瀬文庫まで見に行かなければならなくなったというわけです。



 ついでに落とし噺の本も見てきました。『鹿野 武左衛門くでんはなし 下』は複製・翻刻では有名な本ですが、実物を見るのははじめてでした。保存がよくて菱川師宣風の挿絵もみごとでした。いくら情報化がすすんでも、実物の迫力は違うと感じました。



 岩瀬文庫は大学院生の頃から、何度も通ったのですが、20年ぶりくらいになるでしょうか。今は大変近代的な建物になっており、西尾市も「古書のミュージアム」と銘打って、観光の目玉の一つとして力を入れているようです。行った日も企画展「How to? 岩瀬文庫の指南書たち」を開いていました。昔でいう往来物(おうらいもの)、独稽古(ひとりげいこ)の本類です。

 岩瀬文庫の閲覧を終えたあと、西尾市の観光にでかけました。いつも岩瀬文庫だけ寄って観光は一度もしていなかったのです。青葉に包まれた西尾城丑寅櫓は歴史の偉大さを訴えかけてきました。近年、お城めぐりをしている目から見れば、さほど観光化されていないのも気に入りました。
西尾城

 吉良の話は別に書きましたが、西尾観光の最後に、三河一色さかな村に行きました。もう4時過ぎでしたから、みな閉まっていて魚はみられませんでした。「一色うなぎ」の一色だということも来てみてはじめてきづいたのでした。バラバラに持っていた知識がつながってくるとうれしいものです。そこで夜はうなぎ尽くし。うなぎの干物をはじめて味わいました。干物独特のにおいが最初鼻につきましたが、噛んでいるうちに、生のうなぎより濃い味。肝の山椒煮も白焼きも酒のあてにはもってこいのものでした。大阪で食べるよりは安くて(といっても今うなぎは高級魚)心残りなく堪能して、帰ってきました。

三州吉良へ行ってきました。

 忠臣蔵の話を人前で何度もしてきたのに、吉良上野介の領地吉良にははじめてでかけました。愛知県西尾市。三河湾のほぼ中央にある町です。温泉もある漁港。

 浅野と吉良の確執の背景には、塩の流通をめぐっての経済闘争があったともいわれています。赤穂へは何度も行き、昔子供を連れて行った時、塩の製造体験もしました。大石内蔵助の屋敷の長屋門の前で赤穂塩の販売もしていました。吉良では塩田らしきものは残っていませんでした。けど、港まで行って、海を見てますと、そんなこともあったかもしれないと思いました。

 

吉良の港
















華蔵寺

 上野介の菩提寺は華蔵寺(けぞうじ)。吉良家のな人の墓や木像もあります。今頃知って恥ずかしいのですが、吉良家がいかに名門の家柄であったかがわかりました。西尾市教育委員会の説明文には、「源家嫡流足利家の名門で、鎌倉初期に足利義氏が三河守護になり、吉良荘(現在の西尾市一帯)に住み、吉良を称した。室町時代には有力大名の一として常に室町幕府を支えた。江戸時代には旗本高家に列し、その筆頭として栄えたが、不幸な元禄事件により断絶した



 うーーん。たしかに「不幸な元禄事件」といえるでしょうね。刃傷のあった年、上野介61歳、内匠頭35歳。上野介からみれば、することなすこと、みな生意気に見えたかもしれません。



 その華蔵寺の隣に花岳寺があります。華蔵寺から細道でつながっております。木がおいしげり蜘蛛の巣が張り、足下には蛇が出て来そうでしたが、風情がありました。臨済宗妙心寺派。


 中世に吉良荘東条を領した東条吉良氏の菩提寺。案内板によりますと、東条吉良家十六代の持広は岡崎城主松平清康(家康の祖父)の妹をめとり、その娘(家康のおば)を養女としました。そして、清康急死の際、仙千代(家康の父)の家督相続に力を貸し、「広」の一字を与えて、松平広忠と名乗らせたというものでした。


 なるほど、この関係ならば幕府が吉良家に遠慮したことも納得できます。ここの庭の(季節はずれの)萩の花が目をひきました。花岳寺の庭

 

 赤穂にも浅野家菩提所の花岳寺があります。こちらは、正保2年(1645)浅野長直(内匠頭の祖父)の代に建てられましたので、吉良の方がはるかに古いということになります。宗派も赤穂は曹洞宗です。同じ禅宗の中とはいえ、宗派が違います。しかし、偶然の名前の一致に不思議な縁を感じてしまいました。






………」とあります。

歴史・文芸 講談の会 『太平記』の巻  内容案内

 南北朝の争乱を描いた『太平記』は、江戸時代にはよく読まれて、人々に知られていました。そのため、浄瑠璃や歌舞伎にはよく出てきていました。
 ところが、近年ではなじみがうすくなったように見受けられます。たとえば『仮名手本忠臣蔵』の作品は有名でも、なぜ「塩(えん)冶(や)判官(はんがん)」や「高師直(こうのもろのう)」が出てくるのか疑問を持たれることもあります。『忠臣蔵』は元禄時代の赤穂討入事件を、江戸幕府をはばかって、『太平記』の世界に時代を移した作品でした。
 鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇でしたが、その後、天皇の下で内紛がおこります。護良親王・新田義貞・楠木正成らと、足利尊氏との間で争いとなります。尊氏は光(こう)厳(ごん)上皇・光(こう)明(みよう)天皇を担いで京都に幕府をつくります。尊氏の右腕として権勢を誇っていたのが高師直でした。これが北朝。これに対して、後醍醐天皇は吉野に籠もります。これが南朝。
 後醍醐天皇についていた新田義貞や楠木正成も、尊氏軍に攻められ滅んでしまいます。

 私の【講演】では、『太平記』の基本的な筋や登場人物を説明し、楠木正成の出る芸能作品などのお話をします。

【素浄瑠璃】『仮名手本忠臣蔵』大序を、将来の文楽を背負う豊竹希大夫・鶴澤清馗さんに、たっぷりと演奏していただきます。『仮名手本忠臣蔵』が通しで上演されましても、大序はなんとなく聞き過ごしてしまうことがあります。特に「兜改め」の部分は、若手が勉強のために、顔を出さずに御簾内で演奏することが普通ですが、今回はきっちりと一段語っていただきます。ご期待ください。

【歴史文芸講談】「塩冶判官の妻」(四ツ橋わたる脚本)
 『太平記』巻二十一の「塩冶判官讒死(ざんし)の事」をほとんど忠実に(もちろん、見てきたような虚構も含んでいますが)講談で演じてもらいます。江戸時代、講談師は「太平記読み」と言われたほど、講談と『太平記』は縁の深いものでした。
高師直が塩冶判官の妻の美貌の噂を聞き、吉田兼好に艶書を書かせたり、薬師寺次郎左衞門に歌を詠んでもらったりします。やっとの思いで、判官の妻を垣間見ることができたのですが、その仲介者が後難を恐れて姿をくらましてしまいます。
 そこで高師直は、塩冶判官に謀反の動きがあると、足利尊氏に吹き込みます。塩冶判官は妻子を連れて、ひそかに京を離れて本国出雲へ向かい、途中妻子を八幡六郎に預けて別れます。追手に追いつかれた六郎は、次郎君だけは僧に預けることができたのですが、判官の妻や太郎君を刺し殺し小屋に火をつけ、自分たちも切腹して死にます。
 一方、本国に着いた塩冶判官も大軍に攻められ、戦さの最中、八幡六郎の命令で生き延びてきた家臣から、妻子の最期を聞かされます。判官は嘆き悲しんで、馬上で腹を掻き切り絶命するという、とても憐れな物語です。
 これを旭堂南陵一門の南照、南陽、小二三の三人が演じてくれます。

【対談】
旭堂みなみの司会で、南陵さんと私荻田とが出会った頃の思い出話です。昭和四十年代後半の上方演芸界を、観客として表から見た立場、演者として中から見た立場で話し合う予定です。

【上方講談】「楠木の泣き男」。
 最後にお耳なおしに、古典的な上方講談を旭堂南陵さんに演じてもらいます。これはくすぐりも多い楽しい講談です。 ご期待ください。

歴史・文芸 講談の会

         『太平記』の巻

日時  平成二七年三月十五日(日)  午後3時開演(2時半開場)

場所  国立文楽劇場 小ホール    (終演予定6時半)

総合司会:旭堂みなみ

《挨拶と講演》

「『太平記』の出る芸能」            荻田  清

《素浄瑠璃》

仮名手本忠臣蔵 大序   大夫・豊竹希大夫

 「兜改め」「恋歌」     三味線・鶴澤清馗

〈休    憩〉

《歴史文芸講談》

  四つ橋わたる脚本  『太平記』巻二十一より 

塩冶判官の妻 上(高師直の執心) 旭堂南照

塩冶判官の妻 中(判官妻の美貌)    旭堂南陽

塩冶判官の妻 下(判官夫妻の最期) 旭堂小二三

〈休    憩〉

《対談》

昭和四十年代の上方演芸界    荻田清×旭堂南陵

おもてとうら

《上方講談》

 楠木の泣き男           旭堂南陵

入場料:前売り・当日  三○○○円

        (前売りで完売の場合当日券はありません)

            発売所:国立文楽劇場窓口、主催者  

            主催:荻田先生の定年退職を労う会

             問合せ:FAX・電話 ○七二・六七三・○九○七

                メール:okiyoshi@eonet.ne.jp

協力:大阪講談協会