こんにちは、キヌです!
いつも読んでくださりありがとうございます
今日は、私の思い込みのきっかけになった出来事のお話をしたいと思います。
グダグダです。
長いです。
昔の私って、とにかくなにがなんでも他人に迷惑を掛けてはいけないと思って生きてきました。
悩み事や困った事なんかがあっても、絶対に人に相談しなかったし、どんなことでも自分自身で決定して解決しなくてはいけないと、半ば強迫観念のように思ってましたね。
なぜ私がそんなふうに考えるようになったのかというと、小学校6年生の時のあることがきっかけでした。
あれは小学6年生の夏休みにあったキャンプでのことでした。
それはなんと、一週間ずっと親元離れてキャンプで過ごすという、なかなかハードなもので。
周辺の他校から集まった人たちと5人づつの班を作り、キャンプを張るところから始まり。
一応は、班に2人他校の先生が担当についてくれるんですが、手助けはなし。
食事も、与えられた食材をやりくりしながら、これまた自作のかまどで火を熾すところから作るというね。
洗濯も川でやってテントの横で干したりね。
お風呂はもちろんなし!
子どもたちの自立と自律を養うってのが目的だったのでしょう。
よくやったよね、自分。
で、それなりに楽しいながらもやっぱりしんどくて、みんな早く帰りたいわけですよ。
そんで最終日、テント畳んで掃除もして、
キャンプ地の河原から徒歩15分くらいのところに
ある体育館に、班ごとに○時までに集合と説明が。
私達はそれはそれはうっきうきで、
やっと帰れる〜とか言いながら、どこよりも早く
テント畳んで掃除して自分の荷物を持って体育館に
到着しました。
完全に終わった気になって待ってると、
他の班も続々と帰ってくるんですけど、
みんな自分の荷物以外にテントと食材の入った
クーラーボックスを手分けして持ってたんです。
どうやら、それらも持って帰ってくるよう言われてたようで、うちの班だけがキャンプ地にテントなどを置きっぱなしにして帰ってきてしまったみたい。
(帰れるのが嬉しすぎて話聞いてなかったのか)
こりゃまずい、と班内でどうしようかって話してたら担当の先生に呼ばれました。
そっからがもう地獄。
やっぱまずいことしたっぽい、とか薄々感じながら5人で輪になって体育座りさせられ。
完全に説教の空気感。
そしたら担当してくれてた先生の一人が泣きだしまして。
曰く、
- このキャンプでは、なんでも自分の力でやってみることを目標にやってきた
- この一週間で少しづつ成長してくれて嬉しかった
- でも最後の最後に、テントを持って帰ってこなかったことで、他の人に迷惑を掛けている
- それはとても恥ずかしいことだ
そういった内容でした。
私達5人は、自分が情けなくて恥ずかしくて、車座になってみんな大号泣。
その時に私の心に強く刻み込まれました。
他人に迷惑をかけることが、いかに情けなくて恥ずかしいことかを。
迷惑=悪ってことです。
今振り返ってみれば、先生の言いたいことも理解できるし、何が悪いとかないんですけど、
強いて言えば状況が悪かったですよね。
先生も私達も。
先生は20代の女性だったんですけど、うちらと同様にテントで寝起きして、うちらの作った美味しくない料理を食べ、お風呂にも一週間入れず。
うん、かわいそう。
私達は私達で、体力的にホント限界だったのでね。
そんな状態では、迷惑をかける事は悪だと心に深く刻まれても仕方なかったかなと。
(そのあと、私がこの状況をどうにかせんと!と思って、走って取りに行くことを提案して事なきを得たわけですが。)
この出来事があったことを、
私は20数年間忘れてました。
きっかけは忘れていながらも、
迷惑=悪という考えだけは残って
ずーっと生きてきたんです。
去年まで。
去年、さとう式の友達に施術してもらってたときに、ふとこのときの記憶が蘇ってきました。
いやその時はも〜ほんっとにびっくりしました。
まさかそんなことがきっかけと知らなかったので。
子供時代の他人から見れば何でもない出来事で
私達人間はできてるんだなぁって
改めて思い知らされました。
筋肉が緩むと過去の記憶が蘇ることがあるよーって話を明美ちゃんが書いてくれてます
すごく完結でわかりやすく!
https://ameblo.jp/anela-love321/entry-12766653817.html
こういう方もいるってわかったので!
だいぶ安心してます。
セルフケアしたり、施術してもらってると
そういう記憶がポンって出てくることがあるかもしれないんですけど。
それってその記憶を手放しても大丈夫って
サインだと思ってるので。
ただただ自分をハグしてあげて
ナデナデしてあげれば大丈夫です!
さてさて今日は言いたいことがまとまりませんので
この辺で。
もうライチ食べます。